第10話 ⑩ お兄ちゃんの国土改造計画 インフラ整備編
王都の上下水道の整備に合わせて、サトルは他の都市や農村部にも衛生改善のためのインフラ整備運動を開始していた。
イトナには石鹸などの洗剤さえほとんど普及しておらず、生活排水に廃油さえ滅多に出ない地域が大半なので、炊事洗濯由来の生活排水は目下のところ気にする必要は無かったが、糞尿については話が別だった。
農村なら当然といえば当然だが、トイレは特に定めなどなく、壷にためたものを川に流してしまう村や家畜の餌にする村、あるいは肥溜めに貯蔵して醗酵させて堆肥にする村などまちまちであった。
しかし場所によっては飲料用の井戸の傍に穴を掘っただけのトイレを設置している村や、川に直接投棄している村も調査の結果多数存在していると判明したのだ。
「予想はしていましたけどかなりの数ですね……」
調査結果を見たマナが溜息を漏らす。共同井戸の付近にトイレが設置されていたのが確認できた村は全体の四割ほど。立ち入っての調査までは行われていないが、聞き取りでは単に穴を掘っているだけという場所も多数あるとのことだった。
「イトナは昔の日本とも違って、魔物の襲撃を避けるために土塁や石塁の中に村が作られていましたから、住環境が過密になってしまうのは仕方ないですけど」
「だからといって放置はできないな……」
さらに驚きと懸念を抱いたのは都市部の状況だった。
「都市部はもっと酷いな」
「殆ど全部の都市が危険な状態なのね……」
報告書を見てナツキも絶句する。都市部では共同井戸の付近にトイレが設置されている場所は八割以上で、水質調査でもその大半が飲料にするには危険な状態だったのだ。
都市部は特に住宅が過密気味だったので、飲料用の共同井戸の傍にも住宅が並ぶばかりかトイレも複数。一応受けに瓶などを置いているというが、整備が不十分で汚水の浸透が疑われる井戸が多数あるという。
「飲み水の汚染は病気に直結する!猶予は与えるから厳しく取り締まって欲しい!」
かくして全土にトイレの設置についての通達が出され法整備も進められた。
「飲料用の井戸の周辺や河川傍への厠の設置を禁止する。家畜の糞も同じく井戸の周囲に置いてはならない」
「トイレの便槽は必ず汚水を漏らさない作りにしなければならない」
さらに都市と認定された場所には、さらに厳しい基準が設けられた。
「トイレは規程の下水式か、腐敗槽式の汲み取りで無ければならない」
汲み取り式の場合は土に吸収されないよう大きな瓶か、モルタル等で防水処理を行った空間であることを絶対条件とし、さらに都市部では下水道もしくは腐敗槽の設置を段階的に義務付けすることに。
腐敗槽とは屎尿をそのまま貯めるのではなく、醗酵させて無害化させる便槽を言う。
これは内部が最低でも三つの層に分かれており、第一は流された屎尿がそのまま蓄積されるが、その底部から第二層にゆっくりと流れ込む。
第二の層は密閉されており、酸素が断たれた嫌気層になっており、そこで発生した嫌気性の微生物が屎尿を醗酵させて危険な病原体や寄生虫とその卵を死滅させ、肥料に近づける。さらにその層で無害化され越流したものが三層に達し、これは無害化され肥料として使える状態になっているので汲み取って希釈して破棄されるか、肥料として利用されるのだ。
「幸か不幸か、イトナのほとんどの村では昔の日本みたいに人のし尿を肥料として利用していないみたいだからね」
人間のし尿は肥料として優秀であり、平地の少ない日本で江戸時代に三千万人もの人口を維持できた大きな要因の一つであった。
しかし人のし尿は肥料に仕上げるには先に述べたような方法で十分に醗酵させる必要があり、それが不十分な状態で肥料として使用すると肥料として機能しないばかりか、今度は死滅していない寄生虫やその卵を畑に散布することになり、寄生虫を再度体内に取り込む事になってしまう。
さらに日本の場合は時代が進み人口の急増と人工肥料の出現でし尿を用いた肥料の需要が激減すると、汲み取りそのものが停滞したり、不完全な処理で投棄されて河川や地下水を汚染するなどの社会問題を引き起こしてしまったのだ。
また、肥料化のための汲み取りがあまりに普及していた為に下水道化への取り組みが進まず、現代でも先進国の中では下水道の普及率が低いという弊害ももたらしていた。
そのため農業技術が中世レベルのイトナが短・中期的に収穫を増やそうとするなら、人のし尿の肥料化とその普及は有意義だが、長期的には弊害になりかねないとサトルたちは判断したのだ。
「とはいえ下水道を整備しても下水処理場なしで放流すると、かえって衛生環境が悪化してしまいますから難しいですね」
以前歴史を調べた際に知った事だが、下水道を普及させた都市があったが、下水の放流先が都市部に近すぎたためにかえって河川を汚染してしまい、疫病の流行を招いてしまったという事例があったのだ。さらにその付近の別の都市は汲み取り式だったが故にかえって衛生的で疫病の惨禍にあまり見舞われなかったとも。
「だから都市部も当面は汲み取り式で対応して、きちんと王都並みに整った下水道を敷設させていかなきゃな……」
このようにサトルは衛生環境の改善のために下水道ばかりかトイレにまで指導を行ったことで、そのことを揶揄する陰口も叩かれるようになっていたが、その風聞を聞いても彼は全く意に介しなかった。
「哂いたければ好きなだけ哂えばいいよ。不衛生が原因の伝染病に巻き込まれてくたばるよりはよっぽどいいからね」




