乙女の鉄槌は脆いか、あるいは剛鉄か。
「セリアさん。今日はもう遅い。そろそろ帰った方がいいんじゃないかな?家まで送ろうか?」
カーライルは引き攣りそうになる頰をぐっと堪え、やっとの思いでそれだけ口にした。言外に早く帰れと言っても、セリアはにっこり笑って、受け流した。
「お気遣いありがとう。執事と一緒に来たから送っていただかなくても大丈夫よ。今日はありがとう、ミーシャ。とっても楽しかったわ」
「こちらこそありがとう!良かったらまた遊びに来て!楽しみにしてるから!」
「ええ、ぜひ伺わせてもらうわ」
少女二人は約束、と手を握り微笑みあった。
カーライルは今すぐ引き離したい衝動を堪え、セリアの腕を恭しくとった。
「玄関まで見送るよ。ミーシャすぐ戻ってくるから大人しく待ってるんだぞ」
「はーい。セリアさんまたね!絶対だからね!」
ベッドから身を乗り出すミーシャにセリアは満面に笑みを乗せ、「またね」と手を振った。
ミーシャの部屋から出るとカーライルは被っていた仮面を剥ぎ取り、セリアを乱暴に引っ張った。ずんずんと進み玄関から出ると、さらに数軒越えて、家と家の間に身を滑り込ませた。
「お前、ミーシャに何をした?何を企んでいる?」
カーライルはセリアの腕を掴んだまま壁に押し付けた。街で見た時よりは幾分落ち着いた色合いのドレスだが、貧民街では明らかに浮いている。よくぞ、追い剥ぎに会わず無事にたどり着いたものだ。
ここまでこれば遠慮はいらないとばかりにセリアの腕をぎりぎりと締め上げた。
「あんなに可愛らしい妹さんがいるなんて知らなかったわ。見た目通り純粋で無邪気であなたと大違い」
「質問に答えろ!!ミーシャを傷つけたらただじゃおかないぞ。この世に生まれてきたこと後悔させてやる」
「……よっぽど妹が大切なのね。言われなくたってミーシャには何もしないわ。おしゃべりしてただけ。私がどうにかしたいのはあなただもの」
セリアはそう言ってにっこりと笑った。カーライルは場違いに笑うセリアに居を突かれ胡乱げな眼差しを向ける。
「何が目的でミーシャに近づいた?」
「あなたの家で待っていれば、逃げられないと思っただけよ。他意はないわ」
ミーシャを害さないと言われてもカーライルは信じられなかった。女の言葉など信じられないし、恨まれることをしたという自覚もある。カーライルにはセリアが何を考えているのか皆目見当つかない。復讐と言われればそうなのだろう。カーライルにとってセリアは金づるだったが、セリアは本気でカーライルに惚れていたのだ。やっていた事といえば恋愛ごっこだが、想いが通じ合っていると思っていた恋人に騙されていたと知れば、恨まれて当然だ。小娘と言えど金持ちで、貧民街で暮らすカーライルたちをどうにでも出来る力を持っている。にも関わらず、男に腕を掴まれ壁に押し付けられても微笑んでいるセリアは得体が知れなかった。
ここで真意を詳らかにしなければならない。答えの如何によってセリアを害することも視野に入れて。
「じゃあ、何しにきた?俺を罵倒するか?それともその細腕で殴るのか?」
お前ごときに何が出来ると言わんばかりのカーライルにけれどセリアは余裕の微笑みを崩さなかった。
「まあ。そんな野蛮な事はしないわ。それにあなたを責めるために来たんじゃないの。今回の事だって私が馬鹿だった。あなたの外見と甘い言葉に舞い上がって、本当のあなたを知ろうとせずに騙された私が悪いの」
セリアは殊勝に瞼を伏せた。長い睫毛が震えて今にも泣き出してしまいそうだった。
絆された訳ではないが予想していなかった言葉にカーライルは思わずセリアを掴んでいた手を緩めた。その瞬間をセリアは見逃さなかった。きっと眦を吊り上げ、掴んでいた手を振り払った。
「……なんて言うわけないでしょう!!」
その言葉と共に握りしめた小さな拳をカーライルの鳩尾に叩き込んだ。更に内臓を抉るがごとく拳を捻りあげる。カーライルは無防備だった腹に力を入れる事も出来ず、もろに受けてしまった。
少女の細腕のどこにこんな力があるのか、勢いに数歩下がり、あまりの痛さに腹を抱えて蹲った。
「よくも私を騙したわね!馬鹿だった。ええ、私も馬鹿だったわ。外見に惑わされてこんなろくでなしに貢ぐなんて、セリア・フォレストの名折れだわ!安心して頂戴。今まであげた物を返せなんて野暮な事は言わないから。あなたの時間を買った対価だもの、すべて差し上げる」
言いたかった事を言い切るとセリアはふーと息を吐いた。咳き込むカーライルを見下し、さっきまで浮かべていた綺麗な笑みが嘘のように口元を歪めて嗤った。
「騙してごめんあそばせ。今日はあなたを罵倒して殴るためにわざわざ来たの。あ、でもあなたの大事な妹にはもちろん何もしないわ。ミーシャは何にも悪くないもの。それよりミーシャに感謝する事ね。あの子がいなければ、あなたの唯一の取り柄であるそのお綺麗な顔を見れないくらいボコボコに殴ってやったんだから。では、ごきげんよう。その面、二度と見る事はないでしょうけど」
ふんっと鼻から息を吐くと踵を返して背を向けた。薄闇の中で青いドレスはあっという間に見えなくなる。
カーライルは蹲ったまま去って行く後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。




