負け犬が見る夢は健気か、あるいは強欲か。
商都フェリエン。
国の西端に位置する港町で、商業の中心地だ。主な産業は貿易で、海を通じて各国から様々な品物が運び込まれる。
鉱石、絹、ワイン、香辛料。“金があるならフェリエンへ行け”という格言があるほど、大抵の物が揃い、商売人たちがこぞって店を構えている。
表通りにもなれば昼間は多くの買い物客でごった返し、商売人たちの客引きにも熱がこもる。高級店から安価な店まで千差万別。買い物好きならばここはまさしく天国だろう。
けれど、活気にあふれた華やかな街にも、例外なく裏の姿がある。
東に行けば行くほど、店の数は少なくなり、小汚い道にどことなく腐臭が漂う。虚ろな目をして座り込む浮浪者と艶かしく誘う手をさらに抜け、東の最奥。粗末な家々が密集するその場所にカーライルの家はあった。
「ただいま、ミーシャ。体調はどうだ?待たせてごめんな。すぐ、夕飯の支度するから。食べたら薬を……」
「おかえりなさい、お兄ちゃん!心配しないで。今はすっごく元気よ。こんなに楽しい気分は久しぶり!」
帰ってきてすぐ妹の部屋に顔を出したカーライルに、ベッドに半身を起こしてクッションに体重を預けて座るミーシャは言葉の通り頬を紅潮させて、元気よく返事をした。最近は咳き込むことが多く寝たきりだったため、塞ぎがちだったミーシャの元気そうな様子に嬉しく思うのもつかの間。ありえない状況にカーライルは扉を開けた姿勢のまま絶句した。
「あら、おかえりなさい。遅かったのね。でも、おかげでミーシャと楽しい時間が過ごせたわ。ヒュー……じゃなくてカーライル?」
それはここにいるはずのない人物。水色のドレスに身を包み、栗色の髪を複雑に編んだ見るからに裕福そうな少女が。先日、手酷く振ったはずの元恋人が自分の妹と仲良さげに話していたのだ。
***
カーライルは妹のミーシャと二人でフェリエンの東地区に暮らしていた。
東地区は他地区の人々からこう呼ばれている。“負け犬どもの墓場”と。
フェリエンに一攫千金を求めてやってきたとしても、全員が全員成功するわけではない。才のなかった者、運のなかった者。彼らに残された道は三つ。大人しく故郷へ帰るか、奴隷のようにこき使われてその一生を終えるか、自身の運命を受け入れる事なく野垂れ死ぬか、だ。
カーライルたちの両親は間違いなく負け犬だった。
両親はもともと田舎で農業をやっていたが、そんな生活に嫌気が指し、その他大勢と同じように成功を夢見て、まだ幼かったカーライルとミーシャを連れてフェリエンにやってきた。
しかし、読み書きもろくに出来なかった両親に働き口があるはずもなく、父親がやっとの思いで手にした職はとある商家の下働きだった。
身を粉にして働いても得られる賃金は僅か。家族四人が暮らしていくにはあまりにも少なかった。それも当然だ。契約書には正規の賃金の半分以下で良い、仕事を辞めるには雇用主の許可がなければいけないというような悪辣な内容が記載されており、文字の読めない父親はそれにサインしてしまったのだ。
父親の稼ぎだけでは生活は儘ならず、母親はその身体を売ることになった。村一番の器量ともてはやされたその美貌は歳を経ても衰えることなく、商都の貴婦人にも引けを取らなかった。多くの男が母の美貌を求めたが、歳を理由に母もまた大した額はもらえなかった。
身体の酷使と精神的なダメージで母は呆気なくこの世を去った。
母が死んですぐ、父親は心中を図った。
これ以上生きていても辛いだけだと自身の未来を諦め、子供たちに苦労をかけまいという最期の親心だ。
この時、カーライルは十歳、ミーシャは四歳だった。
結論を言うと無理心中は失敗に終わり、父親だけが死に、カーライルとミーシャは生き残った。
兄妹ふたりに残されたのは小さなあばら家と貯金とも言えない数枚の銅貨。
明日を生きていくどころか、今日の命すら危うい。子供だけで生きていくには強い光の裏にある影はあまりにも濃く深すぎる。
十歳にしてカーライルはすべてを悟り、そして恨んだ。
力なき者が淘汰される世界を。力を持つ者が振るう不条理を。力を持たなかった両親を。世界を受け入れるしかなかった脆弱な自分を。
両親の死が理解出来ないのか父と母を呼び泣き続けるミーシャの小さな手を握り、カーライルは誓った。
何があっても、何をしてでも、ミーシャを守る。
両親のように負け犬になどなってたまるか。
死が救いだと吠えるなら地べたを這いつくばってでも、生きて、生きて、生き抜いて、理不尽に奪おうとした温もりを守ってみせる。
そう誓った存在の前に得体の知れない女がいた。
真意の見えない笑みを浮かべ、手を伸ばせば届く、ミーシャのすぐ側に。
瞬間的に血が沸騰する。この女を排除しなければ。行動に移すべく一歩踏み出したが、ミーシャの顔を見て躊躇した。女をミーシャから遠ざける方法はいくらでも思いつくが、心臓が弱い妹の前でどれも実行出来きない。何よりミーシャから笑顔を奪いたくはなかった。
「どうして、君が、ここにいる?」
出来る限り感情を押し殺して言葉を発する。しかし、演技で鍛えられたはずの表情が強張っていくのがわかった。
女が質問に答える前にミーシャが怒ったように口を挟む。
「もう、なんで教えてくれなかったの!こんなに素敵なお友達がいたなんて、お兄ちゃんだけずるいよ!フォレスタさんはお兄ちゃんの忘れ物をわざわざ届けに来てくれたんだよ」
「すぐに必要な物だといけない思って。それに訪ねて来て良かったわ。こんなに素敵な女の子とお友達になる事が出来たんだもの」
にっこり笑う女にミーシャは感極まったように『わたしも!』と言って女の両手を掴んだ。
「わたしもフォレスタさんとお友達になれてすっごく嬉しい!わたしの事はミーシャって呼んで!」
「では、私の事はセリア、と」
少女たちは手を取り合い、嬉しそうに笑う。
そんなふたりを前にカーライルは何も出来ず、ドアの前で立ち尽くした。口の中に血の味が広がった。




