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復讐の味は甘美か、それとも苦水か。

 





「……はあ」

 セリアは柔らかな陽射しが降り注ぐサンルームにやるせないため息を落とした。彼女の側に控えていた執事のカロルは何も言わずに、すっかり冷えてしまったカップを下げて、新しく茶を準備する。

 白磁に花模様をあしらったこの茶器は西の海の最果てにある島国ルーファから輸入した物でセリアのお気に入りだった。フェリエンでの主流は背が高く下に膨らみを持った形だ。湯を注ぎ茶葉を滞留させるのに最適なのと、滑らかな曲線が優美である事も人気の要因だ。

 それに比べルーファの茶器は両手の平に乗るほどの大きさで、丸を押しつぶしたように平べったい。注ぎ口もピンと上を向き、独特の形をしている。揃いのカップもフェリエンで使うものより小ぶりで、驚くべき事に取っ手が付いていない。初めて目の当たりにした時はどうやって持てばいいのか、本気で思案してしまったものだ。


 カロルは丁寧な所作で茶を淹れると、セリアの前にカップを置いた。

 セリアはためらいなくカップを両手で包むように持つと口に運んだ。紅茶とは違う甘い香りが鼻腔をくすぐる。口に含むとまろやかな味が舌を包み、ゆっくりと嚥下した。ほう、とさっきとは違う意味合いのため息が漏れる。

「ありがとう。とっても美味しいわ」

 セリアは屈託ない微笑みを向け感謝を伝える。カロルはその言葉に軽く会釈すると、音もなく壁際に戻った。


 セリアは手の中のカップに目を落とす。褐色の水面にはどこか浮かない顔が映り込んでいた。その顔を見て、一旦落ち着いた心が再び騒つき出すのを感じた。




 *****




 あの男にどうやってやり返すか考えた時、まず必要となってくるのは情報だった。

 よくよく思い返してみるとヒューイという名前以外、彼の事を何も知らなかったのだ。彼が普段何をしているかも、彼が住んでいる場所も、聞いたことがなかった。その事実にセリアは愕然とした。セリアは金持ちの家のお嬢様という身分に胡座をかくような真似はせず、父の元で商売について学んでいた。父の教えにこんな言葉がある。


 “情報を制すものが商売を制す”


 むやみに物を売ろうとしたところで、売れなければただのごみだ。人々が何を求めているのか、何なら売れるのか、次に流行する物は何か。いち早く戦況を掌握し、需要に見合った商品を供給する。後手に回っていては掃いて捨てるほどいるライバルたちに客を取られてしまう。その上で情報の獲得は商売人の生命線と言っても過言ではなかった。

 情報の重要性を理解していたはずなのに、恋愛に浮かれていたとは言え相手を知ろうとしなかったなど完全な落ち度だ。


 セリアは慌ててヒューイについて調べた。フォレスタ商会の伝手を使えば人ひとり調べ上げるなど容易かった。

 調査の結果、予想はしていたがヒューイという名前さえ偽りだったと知った時は怒りを通り越して呆れかえった。自分自身に。

 商人に求められるのは良い物を見極める目と、同じく人を見抜く目だ。商売をする相手が詐欺師では目も当てられない。骨の髄までしゃぶり尽くされ、最後は無惨に捨てられる。

 デートの時は大抵セリアが話し、ヒューイは聞き役に徹していた。うんうんと熱心に聞いてくれるから、セリアもついつい調子に乗っておしゃべりしてしまった。よくよく思い返してみればヒューイの事が話題に上ると僕の事はいいから君について知りたいなとか何とかうまくはぐらかされていた気がする。そんな事にも気づけなかったなんて自分の愚かさに眩暈がした。

 恋は盲目というけれど、恋から覚めたセリアにしてみれば自分で自分が信じられなかった。


 ヒューイ、否。カーライル・リングレイはまごう事なき詐欺師だったのだ。


 手口は簡単。その美貌にふらふらついてきた金持ちのお嬢様に甘い言葉を吐いて、貢がせるだけ。直接的な言葉などなくても、何としても気を引きたい女達は、自身の魅力・・をアピールするのだ。

 貢がせた物は即座に換金し、両親に会ってくれだの、結婚だのまで話が進むと僕と君とで釣り合わないからと涙の別れを演出する。

 何と言ってもやり口が巧妙だ。顔に釣られた女達が自分の意思でカーライルに貢いでいたのだ。カーライルは自分から強請った事はないし、女の方が積極的だった。

 これだけだと、カーライルに落ち度はないように見える。

 同時に複数人の女と関係を持ち、舞台俳優も真っ青な演技で籠絡していなければと注釈がつくが。

 だからと言ってカーライルを裁ける法はどこにもない。兵の詰所に駆け込んだところで、痴話喧嘩は他所でやれと追い返されるのがおちだろう。


 それにセリアとしても事件として立証つもりは毛頭なかった。

 あれはセリアが勝手に贈ったものだ。カーライルの美貌と優しさにのぼせ上がり、少しでも自分に気を引きたくて、お金という最も醜い手段を使った。

 それはセリアの悪手でしかなく、セリアが憧れた恋愛を貶すような事を自身で犯してしまったのだ。

 だから、貢いだ物の末路がどうなろうとも文句はない。

 貢いだ金に関して文句はないのだが、ただ悔しかった。


 初恋だった。物語じゃない。セリアだけの初恋だった。


 物語みたいに甘くてふわふわしてて、本当に夢を見ているような心地だった。それが偽物だったとしても、セリアにとっては何物にも代えがたい、幸せだったのだ。


 偽物も、最後まで気づかなければ、それは本物になるはずだった。


 綺麗なままの初恋で終わりたかった。


 どうせなら、最後まで夢を見せてくれれば良かったのに。

 そう思ってしまう自分が何より情けなかった。


 初恋をきちんと終わらせるために、カーライルに復讐・・をしたのだ。



 なのに。どうしてこんなにもやもやするのだろう。

 暴力で解決するなんて思っていないけれど、あれはけじめをつけるための一発だった。今後一切カーライルには関わらない。

 これでおしまいでいいはずだ。


 そうやって気持ちを切り替えようとするのに、何故だか彼らの顔が思い浮かぶ。


 カーライルの妹は純粋で素直で、魔都フェリエンの掃き溜めの中で穢れを知らない無垢そのものだった。

『友達』だと言ったらミーシャは本当に、本当に嬉しそうに笑った。

 今までの『友達』とは違う。見定めるような視線を送り合うでもなく、自分の持ち物を自慢し合うでもない。ただ、友達になったという事柄を喜び合うような相手など、セリアにはいなかったから。

 戸惑いはあったけれどそれ以上にセリアも嬉しかった。

 フォレスタ商会の一人娘ではない、ただのセリアに出来た始めての友達だった。

 カーライルに関わらないという事は、ミーシャにも会えないということだ。



 そして、忌々しいと言わんばかに歪んだカーライルの顔。

 ヒューイとして会ってる時は優しい笑顔か、困ったように笑う顔しか見たことがなかった。それはすべて演技で作られた物だったと分かったけれど。

 だからこそ、敵意剥き出しのあの顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。

 あれが本当のカーライルだ。妹を守るためなら、何をするのも厭わない、兄の顔だった。

 それは偽りの笑顔よりもずっと、ずっと。


「お嬢様。そろそろ」

 呼ばれてはっと顔を上げる。コップの中身はほとんど減っていないのに、すっかり冷めてしまっていた。

 この後は、他の商会の娘たちと西国で流行っている茶菓子の試食会をする予定が入っている。準備をして出かけたら結構ぎりぎりだ。

「もう少し早く教えてくれても良かったんじゃない」

 ついつい恨みがましく睨むセリアにカロルはしれっと返した。

「十分、間に合います」

 余裕があるのとないのとでは心持ちが全然違う。

 焦れば余計な失敗をしかねないというのに。

 セリアは試食会までの時間を逆算しつつ、行動に移ろうとして、止まった。


『十分、間に合います』


 なぜか、その言葉が頭の中に響く。

 違う。セリアの初恋は終わった。それも最悪の形で。なのに、何が間に合うと言うのか。


『フォレスタさんと友達になれてすっごく嬉しい!』

『ミーシャを傷つけたらただじゃおかないぞ』


 本当に?本当に終わったのだろうか。すべてが終わったならこんなにもやもやするはずがない。


「お嬢様?」

 カロルが怪訝そうに呼びかける。突然止まったのだから、仕方がない。セリアは「何でもないわ」と答えて、今度こそ準備するために椅子から立ち上がった。


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