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『今川氏真に転生した俺、滅びるはずの今川家を立て直します』  作者: 水原伊織


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第6話 川沿いの荷車

 城を出てしばらくすると、道の両側に広がっていた田畑が途切れ、木々の間から川が見えてきた。


「この先です」


 先を行く佐助が振り返る。


 俺は馬を止め、川沿いの道を眺めた。


 昨日、帳面で見た数字が頭に残っている。


 百俵。


 届けられたはずの米は百俵。


 それなのに、倉にあったのは九十三俵。


 七俵が消えていた。


「荷車が壊れたのは、どの辺りだ?」


「もう少し先です」


 佐助に案内されて進むと、道が急に悪くなった。


 車輪の跡が深く残っている。


 雨が降れば、ここはかなりぬかるむだろう。


「ここです」


 佐助が馬を降りた。


 俺も馬から降り、周囲を見回す。


「車輪が外れた?」


「正確には、車輪が泥に取られて、そのあと軸が歪みました」


「それで、どうした?」


「荷を降ろしました。そうしないと車輪を直せなかったので」


 俺は頷いた。


「全部?」


「はい。最初は全部です」


 佐助は少し考えてから、道の脇を指差した。


「ただ、そのあとが少しややこしくて……」


「話してくれ」


「荷車を直している間に、別の荷車が通りました。急ぎの荷だったので、そちらに一部を移したんです」


「一部?」


「五俵です」


 俺は佐助を見る。


「五俵?」


「はい。あのままここに置いておくわけにもいきませんでしたから」


「その五俵は?」


「先に向かわせました」


「どこへ?」


「この先の集積所です。たしか……小川村の手前だったと思います」


 俺は黙って考えた。


 それなら、五俵はなくなったわけではない。


「帳面には?」


 佐助の顔が曇った。


「……書いていません」


「なぜ?」


「荷車を直すのに手いっぱいで。あとで書けばいいと思っていたんですが、そのままになってしまいました」


「そうか」


 俺は川へ目を向けた。


 残る二俵についても、すぐに理由が分かった。


「まだあるだろう。二俵」


「はい」


「何かあったのか?」


「一緒に積んでいたんですが、川の水が跳ねて濡れてしまいました」


 佐助は申し訳なさそうに続けた。


「俵が破れて、中の米も少し駄目になりました。倉に入れるわけにもいかなかったので、別にしてあります」


「それも記録していない?」


「……はい」


 俺は小さく息を吐いた。


 ようやく分かった。


 七俵は盗まれたわけではなかった。


 五俵は別の荷車に移され、先に集積所へ送られている。


 二俵は運搬中に濡れて傷み、通常の米として倉へ入れられなかった。


 つまり、百俵の米が九十三俵になったわけではない。


 **百俵あった米が、途中で別の場所へ移され、別の扱いになった。それが帳面に残っていなかった。**


「佐助」


「はい」


「五俵を運んだ荷車の行き先は分かるか?」


「確認できます」


「頼む」


「承知しました」


 俺はもう一度、道を見る。


 昨日までなら、七俵足りないと聞けば、誰かが盗んだのではないかと思っただろう。


 けれど、実際に現場を見ると違った。


 荷車が壊れる。


 荷を降ろす。


 別の荷車へ移す。


 濡れれば使えなくなる。


 そのたびに、誰かが記録しなければならない。


 けれど、運んでいる人間からすれば、そんなことまで細かく帳面につけている余裕はない。


「……なるほどな」


「何か分かりましたか?」


 佐助が尋ねる。


「米が消えたんじゃない」


 俺は答えた。


「記録から消えていたんだ」


 佐助は黙った。


 俺自身も、その言葉を口にして初めて問題の大きさに気づいた。


 今回の七俵だけなら、大したことではない。


 五俵は別の場所にある。


 二俵は傷んでしまった。


 損失として見れば、二俵分だ。


 それでも、これが一度だけなら問題にはならない。


 問題は、同じことが他の荷でも起きていたらどうなるかだ。


「佐助」


「はい」


「こういうことは、よくあるのか?」


 佐助は困ったように頭を掻いた。


「……珍しくはありません」


「そうか」


「荷車が壊れることもありますし、途中で荷を移すこともあります。雨が降れば、濡れる荷も出ます」


「そのたびに、ちゃんと記録しているか?」


 佐助は答えなかった。


 その沈黙が答えだった。


 俺は川沿いの道を見た。


 この道を、米だけではなく、塩や魚、木材、その他の荷も通っている。


 荷車が壊れれば、予定が狂う。


 荷を移せば、人手が必要になる。


 濡れれば、荷が傷む。


 そして記録が抜ければ、あとから帳面を見ても何が起きたのか分からなくなる。


 現代で働いていた頃なら、すぐに問題として扱うところだ。


 物がどこから来て、どこへ行ったのか。


 途中で何かが起きたなら、それを残す。


 当たり前のことだ。


 けれど、ここではそれが仕組みになっていない。


「……父上に話す必要があるな」


「若殿が?」


「ああ」


 俺は馬へ戻った。


 今回の七俵を取り戻したところで、それで終わりにしてはいけない。


 同じことが何度も起きているなら、今川家は気づかないうちに米を失い続けていることになる。


 しかも、失っているのは米だけではない。


 人手も、時間も、馬も、荷車も使っている。


 それらを全部合わせれば、決して小さな問題ではない。


「まずは、五俵の行き先を確認する」


「はい」


「それから、最近運ばれた米についても調べよう」


「最近の分を、ですか?」


「ああ」


 俺は馬にまたがった。


「一度、全部を見てみたい」


 城へ戻る道を進みながら、俺は考えていた。


 今川家を立て直す。


 そう決めたとき、もっと大きなことをしなければならないと思っていた。


 新しい制度を作る。


 農地を増やす。


 商人を呼ぶ。


 戦に備える。


 そんなことばかり考えていた。


 けれど、その前にやるべきことがある。


 今、何が起きているのかを知ることだ。


 百俵の米が届く。


 その百俵が、誰の手を通り、どこへ運ばれ、最後にどれだけ残るのか。


 そこを知らなければ、何を変えればいいのかも分からない。


「……面白くなってきたな」


 思わず笑みがこぼれた。


 俺は歴史を変えるために、この時代へ来た。


 その第一歩が、まさか七俵の米から始まるとは思わなかった。


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