第5話 消えた米
城を出ると、秋の風が思ったより冷たかった。
馬を進めながら、俺は昨日の評定を思い返していた。
米の数字が合わない。
ただ、それだけの話だった。
けれど、帳簿に書かれた数字と実際の量が違うというのは、どうにも気になる。
「若殿、あちらでございます」
前を走っていた家臣が振り返った。
道の先に、いくつかの蔵が見えている。
米の集積所らしい。
近づくにつれて、人の声が聞こえてきた。
米俵を運ぶ者。荷車を引く者。帳面を抱えて走る者。
思っていたより、ずっと忙しい。
馬を降りると、蔵を預かる男が慌てて駆け寄ってきた。
「若殿、お越しいただき恐縮です」
「昨日、父上に調査の許しをもらった。米の出入りを見せてもらいたい」
「もちろんでございます」
男は深々と頭を下げた。
俺はそのまま蔵の中へ入った。
薄暗い。
壁際には米俵が高く積まれている。
これだけの量を、帳面だけで管理しているのか。
そんなことを考えながら、俺は帳簿を受け取った。
「三日前に届いた米は、ここか?」
「はい」
「百俵?」
「その通りでございます」
俺は帳簿を眺めた。
数字そのものに、おかしなところはない。
問題は、その数字が本当なのかどうかだ。
「実際に、いくつある?」
「数えれば分かります」
「頼む」
蔵番が人を呼ぶ。
何人かの男が米俵を数え始めた。
俺は少し離れたところで、その様子を見ていた。
十。
二十。
三十。
数える声が蔵の中に響く。
やがて最後の一俵が確認される。
「……九十三です」
蔵番が呟いた。
俺は帳簿を見る。
百俵。
もう一度、米俵を見る。
九十三。
「七俵、足りないな」
「はい……」
蔵番の顔が曇った。
「何か記録は?」
「ございません」
「この三日間で、七俵を別の場所へ出したことは?」
「そのような記録は……」
蔵番が帳簿をめくる。
何度確認しても、答えは同じだった。
出した記録はない。
それなのに、米はない。
俺は帳簿を閉じた。
「この米を運んできた者を呼んでくれ」
「承知しました」
しばらくして、一人の男が姿を見せた。
日に焼けた顔をしている。
「佐助と申します。米の運搬を任されております」
「三日前、ここへ米を運んだな?」
「はい」
「百俵か?」
「百俵でございます」
答えに迷いがない。
「途中で何かあったか?」
佐助の眉がわずかに動いた。
「……何もございません」
俺は黙って男を見た。
何もないのなら、それでいい。
だが、さっきから妙に言葉が早い。
「そうか」
俺は一度、視線を外した。
「では、もう一つ聞こう。ここへ来る途中、荷車を止めた場所は?」
佐助が顔を上げた。
「……ございます」
「どこだ?」
「川沿いでございます。車輪が外れましたので」
「誰か来たか?」
男は黙った。
蔵の中が妙に静かになった気がした。
「佐助」
「はい」
「何か隠しているなら、今のうちに話してくれ」
しばらくして、佐助が小さく息を吐いた。
「……男が二人、来ました」
「何者だ?」
「分かりません」
「何をしに?」
「車輪を直すのを手伝う、と」
「それで?」
「しばらくして、二人ともいなくなりました」
「米には触れていない?」
「……」
また沈黙が落ちた。
やはり何かある。
「見たんだな?」
「一人が、米俵のそばに立っておりました」
「何をしていた?」
「そこまでは……」
俺は考えた。
七俵。
たった七俵。
だが、偶然にしては妙すぎる。
「その場所まで行けるか?」
「はい」
「案内してくれ」
佐助が驚いた顔をした。
「若殿が……?」
「何か問題があるか?」
「危険ではございませんか」
「だから確かめるんだ」
俺は蔵を出た。
外では相変わらず、人足たちが米を運んでいる。
その光景を眺めながら、ふと思った。
俺は今川家を立て直すつもりでいる。
だが、その前に知らなければならないことがある。
今川家が、今どうなっているのか。
帳簿だけでは分からない。
人の話だけでも分からない。
自分の目で見て、聞いて、確かめる。
それくらいは、俺にもできる。
「佐助」
「はい」
「行こう」
馬に乗る。
七俵の米が消えた場所へ。
大した事件ではないのかもしれない。
ただの手違いかもしれない。
それでも、俺は気になっていた。
今川家が滅びる未来を知っているからこそ。
こういう小さな綻びを、見過ごしたくなかった。




