第4話 評定で、俺は口を出した
翌朝。
俺は重臣たちが集まる評定の間に向かっていた。
廊下を歩きながら、昨夜何度も読み返した資料のことを考える。
今川家の領地は広い。
米も取れている。
商いもある。
それなのに、駿府に集まってくる米の量が妙に少ない。
昨日の時点では、単なる輸送の問題だと思っていた。
だが、もう一つ気になることがある。
記録に不自然なところがあった。
同じ地域から、似たような時期に何度も米が減っている。
偶然にしては多すぎる。
「若殿、こちらです」
案内役の家臣に促され、俺は襖の前で足を止めた。
中から男たちの声が聞こえる。
何人いるのか分からない。
ただ、声の一つ一つに重みがあった。
ここにいるのは、今川家を実際に動かしている人間たちなのだろう。
俺は一度だけ深呼吸してから、襖を開けた。
「失礼します」
視線が一斉に集まった。
思った以上の圧力だった。
中央には義元。
その周囲には重臣たちが並んでいる。
「来たか、氏真」
「はい」
俺は義元の近くに座った。
すぐに評定が始まる。
話題は尾張の情勢、周辺の国人、兵の配置など、俺にはまだ詳しく分からないことばかりだった。
それでも黙って聞いていると、やがて米の話になった。
「今年の年貢については、例年通りで問題ございません」
年配の家臣がそう言った。
俺は思わず顔を上げた。
「問題ない?」
男がこちらを見る。
「はい。何かございますか、若殿?」
俺は少し迷った。
昨日見つけた数字を、ここで出していいのか。
まだ俺は、今川家のことを何も知らない。
転生して数日しか経っていない人間が、いきなり重臣たちの前で「あなたたちの仕事はおかしい」と言えば、反発されるに決まっている。
それでも、口にした。
「駿河へ運ばれている米の量が、少なくありませんか?」
部屋の空気が変わった。
「……何をおっしゃっているのです?」
「記録を見ました。収穫量に対して、駿府へ届いている米が少ない」
「輸送の途中で費用がかかりますからな」
「費用の話ではありません」
俺は持ってきた資料を広げた。
「去年と比べて、複数の村から届く米が減っています」
「不作でしょう」
「記録には、そう書かれていません」
男の顔から笑みが消えた。
「若殿は、何を疑っておられるのですか?」
「まだ何も疑っていません」
俺は答えた。
「ただ、理由を知りたいだけです」
別の男が口を挟んだ。
「村ごとの事情など、いちいち調べていては政が進みませんぞ」
「だからこそ、調べる必要があると思います」
「何ゆえです?」
「同じような減り方をしている村が多すぎるからです」
俺は資料を指で叩いた。
「一つなら偶然かもしれません。でも、何カ所も同じようなことが起きているなら、何か理由があるはずです」
誰も口を開かなかった。
俺はさらに続ける。
「それに、村から米を運ぶ経路も確認したい」
「経路?」
「はい。どこで誰が米を受け取り、どこで保管しているのか。そこまで調べたいです」
年配の家臣が鼻で笑った。
「若殿。米運びの細かな話など、家臣に任せておけばよいでしょう」
その言葉に、少しだけ腹が立った。
だが、感情的にはならない。
「では、任せている結果がこれです」
部屋が静まり返った。
言い過ぎた。
そう思った瞬間だった。
「氏真」
義元の声が響いた。
「はい」
「お前は、この米がどこで減っていると思う?」
俺は義元を見る。
ここで曖昧なことを言えば、ただの思いつきで終わる。
だが、断定する材料もない。
「分かりません」
正直に答えた。
「だから、調べたいです」
義元は俺をしばらく見つめた。
「よかろう」
「父上?」
「調べてみるがいい」
重臣たちがざわついた。
義元は構わず続けた。
「ただし、証拠を持ってこい」
「分かりました」
「もし本当に問題があるなら、私も考えよう」
俺は頭を下げた。
「ありがとうございます」
評定が終わり、俺が部屋を出ようとしたときだった。
「若殿」
先ほど俺に反論してきた家臣が、後ろから声をかけてきた。
「はい?」
「余計なことを調べれば、人の恨みを買いますぞ」
穏やかな口調だった。
だが、その目は笑っていなかった。
「覚えておきます」
俺はそう答えて、その場を離れた。
廊下に出ると、大きく息を吐く。
「……思ったより厄介だな」
今川家は、ただの大きな家ではない。
多くの人間が関わり、それぞれに立場がある。
何かを変えようとすれば、必ず誰かが困る。
それでも、やるしかない。
俺は一人の家臣を呼び止めた。
「頼みがあります」
「何でしょう?」
「この米の輸送について詳しい者を探してください」
「輸送ですか?」
「はい。実際に村から駿府まで米を運んでいる者です」
記録だけでは分からない。
現場を見なければならない。
俺はそう思った。
「それから、できれば口の堅い者を」
「承知しました」
家臣が去っていく。
俺は廊下の先を見つめた。
歴史を変える。
そう決めた。
だが、そのために最初に変えなければならないのは、歴史そのものではない。
今川家の中だった。
そして俺はまだ知らなかった。
この米の問題が、思っていた以上に大きなものにつながっていることを。




