第39話 義元、驚愕す
三河の館に早川殿が滞在して三日目。
氏真は毎日、彼女と話し、
互いの価値観を少しずつ知り合っていた。
そんな折、駿府から急ぎの使者が到着した。
「若殿! 義元様が三河へお越しになります!」
「父上が……? なぜ急に?」
使者は言いにくそうに口を開いた。
「……北条の姫が三河にいると聞き、
義元様が“まさか”と……」
氏真は頭を抱えた。
「……そりゃ、来るよな……」
◆
翌日。
義元は三河の館に到着した。
家臣たちは緊張で固まり、
氏真は玄関で出迎えた。
「父上、遠路お疲れ様です」
義元は氏真を一瞥し、
低い声で言った。
「……本当に来ておるのか?」
「はい……」
「北条の姫が、だ」
「はい……」
義元は深く息を吸い、
氏真の肩を掴んだ。
「氏真。
戦国で姫が勝手に動くなど、
聞いたことがないぞ」
「……ですよね」
「外交問題どころか、
下手をすれば戦の口実になるのだぞ」
「……ですよね」
義元は額を押さえた。
「なぜ来たのだ……?」
「俺の言葉が……嬉しかったらしくて……」
「そなた、何を言った?」
「政治の道具にされるのは嫌だ、と……」
義元は固まった。
「……そなたは戦国に向いておらぬ」
「すみません……」
◆
そのとき、
廊下の奥から早川殿が姿を見せた。
「義元様。
突然押しかけてしまい、申し訳ありません」
義元は驚愕した。
姫が単身で三河へ来るなど、
戦国では絶対にありえない。
「……そなたが、早川殿か」
「はい。
氏真様のお言葉を聞き、
どうしても自分の目で確かめたくて参りました」
義元は目を細めた。
「確かめる……とは?」
「氏真様が、どんな方なのか。
縁談ではなく、人として」
義元は完全に言葉を失った。
◆
氏康の娘が、
政略を超えて“自分の意思”で動く。
これは戦国では絶対に起こらないことだ。
だが――
義元はゆっくりと息を吐き、
氏真を見た。
「氏真。
そなた……本当に戦国の人間ではないな」
「……はい」
「だが、そなたの言葉が姫を動かした。
それは、戦国の理を超えておる」
義元は早川殿に向き直った。
「早川殿。
そなたの意思は理解した。
今川はそなたを客として迎えよう」
早川殿は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
◆
義元は氏真にだけ聞こえる声で言った。
「……氏真。
そなた、戦国の常識を壊しすぎだ」
「すみません……」
「だが――悪くない」
「え?」
「人の心で動く者は、
時に国を変える」
義元は静かに笑った。
「そなたのやり方、見せてもらおう」
氏真は胸の奥が熱くなるのを感じた。
◆
その日、
三河の館には不思議な空気が流れていた。
戦国ではありえない姫の行動。
それを受け止める今川家。
そして、氏真と早川殿の距離は、
また少し縮まった。




