第35話 凱旋
永禄三年五月二十七日。
駿府の町は、朝からざわめいていた。
桶狭間での勝利。
尾張国衆の従属。
清洲城の開城。
そして、信長の最期。
そのすべてが、
今川義元の“完全勝利”を意味していた。
今日――
義元が駿府へ凱旋する。
◆
城下の道には、民がぎっしりと並んでいた。
「義元様が勝ったぞ!」
「尾張を平らげた!」
「今川の時代だ!」
歓声が波のように広がる。
氏真は馬上でその光景を見ながら、
胸の奥に静かな熱を感じていた。
父の背中は、
戦国の覇者そのものだった。
そして民の視線は、
その隣にいる氏真にも向けられていた。
「若殿もおられるぞ!」
「三河の若殿だ!」
「義元様を守ったのは氏真様だ!」
その声は、
氏真の胸に深く響いた。
◆
駿府城の前。
家臣・国衆・公家が勢揃いしていた。
松平元康、鵜殿長照、朝比奈泰能、岡部元信――
東海道の名だたる武将たちが並ぶ。
義元が輿から降りると、
国衆たちは一斉に膝をついた。
「義元様の御勝利、まことにおめでとうございます!」
義元は頷き、
氏真を横に呼んだ。
「この戦の要は――氏真である」
その言葉に、
国衆たちの視線が一斉に氏真へ向いた。
松平元康が深く頭を下げた。
「若殿の采配、見事でございました」
鵜殿長照も続く。
「若殿が本陣を固められなければ、我らは討たれておりました」
岡部元信は拳を握りしめた。
「若殿こそ、雪斎様の後継にございます」
氏真は静かに頭を下げた。
――雪斎様。
――あなたが築いた道を、俺は確かに歩いています。
◆
義元は家臣たちへ告げた。
「氏真は、今川の柱となる。
そなたらは、氏真の言葉を雪斎と同じく聞け」
その言葉は、
氏真の立場を“義元の後継者”へ押し上げる宣言だった。
国衆たちは一斉に頭を下げた。
「ははっ……!」
氏真は胸の奥で静かに息を吸った。
――俺はもう、ただの若殿ではない。
――この家の未来を形にする役目を負った。
◆
凱旋の宴。
義元は酒を手にしながら、氏真へ言った。
「氏真。そなたがいなければ、桶狭間は危うかった」
氏真は静かに答えた。
「父上。三河が力をつけたことが、大きく働きました」
義元は笑った。
「そなたが育てた三河だ。
これからは、その力を東海道全体に広げるぞ」
氏真は頷いた。
「尾張の再編を急ぎましょう。
兵站と道を整えれば、美濃も揺らぎます」
義元は杯を掲げた。
「氏真。そなたがいる限り、今川は進む」
その言葉は、
氏真の胸に深く刻まれた。
◆
その夜、
駿府の空には無数の灯が揺れていた。
民は歌い、
武士は酒を酌み交わし、
城は光に包まれていた。
氏真は静かに空を見上げた。
――この家は、まだ強くなれる。
――東海道は、もっと大きく動かせる。
――父上の背中を支えるのは、俺だ。
その夜、
氏真の評価は爆発的に高まり、
今川家は“天下への道”を歩き始めた。




