第28話 雪斎の机、制度の形
三河が静かに変わり始めてから、季節は何度も巡った。
道は増え、
村は息を吹き返し、
国衆は氏真の言葉に耳を傾けるようになった。
氏真は十四になり、十五になり、
やがて十六になった。
少年の声は少し低くなり、
背は雪斎の肩に届くほどになった。
だが、心の奥には、
転生したときから持っていた“現代の知識”が静かに残っていた。
◆
十六の春。
駿府の一室で、雪斎は机の前に座っていた。
机の上には三河の地図。
村の名。
道の線。
兵糧の流れ。
国衆の家紋。
氏真が入ると、雪斎は筆を置いた。
「若殿。そなたは三河を歩き、民を見、道を直し、国衆をまとめた。
次は――形でございます」
氏真は静かに頷いた。
「制度ですね」
雪斎は少し驚いたように目を細めた。
「若殿は……その言葉をご存じで?」
「ええ。国を動かすには、仕組みが必要です。
人の善意だけでは続きません」
雪斎は深く頷いた。
「まさしく、その通りでございます」
◆
「まずは兵糧でございます」
雪斎は地図の中央を指でなぞった。
「三河は広い。
村ごとに米の量が違う。
道が整えば運べるが、整わねば滞る」
氏真は地図を見ながら言った。
「兵糧は血管です。
流れが止まれば、国が死ぬ」
雪斎は目を細めた。
「若殿……その比喩は、まことに的確でございます」
「村ごとに“兵糧役”を決めましょう。
どの村がどれだけ出すか、どの道を使うか。
負担が偏らないように、年ごとに見直す仕組みも必要です」
雪斎は筆を走らせた。
「若殿……そなたは、まるで未来を見ているようだ」
氏真は心の中で苦笑した。
未来を知っているのだから当然だ。
◆
「次は道でございます」
雪斎は地図の線を指でなぞった。
「若殿が直した道は、民が守ります。
だが、守るだけでは足りませぬ」
「道は増やすべきです。
尾張へ向かう道、駿河へ向かう道、
それぞれに“役割”を持たせる」
雪斎は興味深そうに聞いた。
「役割……ですか」
「商人が通る道、兵が通る道、
村と村を結ぶ道。
道を分類して整備すれば、無駄が減ります」
雪斎は深く頷いた。
「若殿。道は国の骨でございます。
そなたの言う通り、役割を持たせれば強くなる」
◆
「最後は国衆です」
雪斎は家紋の紙を並べた。
「松平、吉良、西尾、鵜殿……
それぞれが力を持つ。
だが、力は方向を揃えねば意味がない」
氏真は紙を見つめた。
「役目を与えましょう」
雪斎は静かに頷いた。
「若殿。そなたの考えを聞かせてください」
「松平には兵を。
吉良には土地を。
西尾には商を。
鵜殿には道を。」
雪斎は目を閉じ、ゆっくり頷いた。
「若殿……そなたは、戦国の国衆を“組織”として見ておられるのですね」
「ええ。
力を持つ者には、役目を持たせるべきです。
役目があれば、勝手に動かなくなる」
雪斎は筆を置いた。
「若殿。これが制度でございます」
◆
その年の夏、
三河では新しい道が一本通った。
その年の秋、
村ごとに兵糧役が定められた。
その年の冬、
国衆が役目を持ち、三河は静かに動き始めた。
そして翌年、
氏真は十七になった。
三河は、
少年の手で育てられた国から、
若武者の手で形を持つ国へ変わりつつあった。
そして――
雪斎は氏真に静かに告げた。
「若殿。三河は、そなたの国になります」
その言葉は、
未来を知る氏真の胸に、
深く、静かに落ちていった。




