第21話 初陣の道
翌朝、三河の空は薄く曇っていた。
道の修繕は二日目に入り、人足たちが土を運び、村人が手伝い、荷車の車輪を点検する音が響いていた。
俺は十一歳。
だが、中身は現代で三十年近く生きた大人だ。
戦国の現実を知り始めたばかりの俺は、今日も道の様子を見に来ていた。
「若殿、こちらの道幅が広がりました」
「よし、次は石を敷こう」
そんな会話をしていたときだった。
遠くから、土煙が上がった。
家臣が目を細める。
「……馬の数、五、六。槍を持っております」
「織田か?」
「おそらく」
胸が冷たくなる。
昨日、安祥の村が荒らされたばかりだ。
今日もまた、戦が来たのか。
家臣が俺を見る。
「若殿、退かれませ!」
だが、俺は首を振った。
「退かない」
「しかし――!」
「ここで退いたら、道を直している人たちが逃げる。村人も逃げる。昨日までの三河に戻る」
家臣は息を飲んだ。
俺は馬にまたがった。
「行くぞ」
わずかな手勢が俺の後ろに並ぶ。
十一歳の子どもが先頭に立つ姿は、戦国では異様だろう。
だが、俺はもう迷わなかった。
◆
織田の小勢は、こちらを見て笑った。
「子どもが出てきたぞ!」
「今川は人手が足りぬらしい!」
槍を構え、こちらへ向かってくる。
俺は馬を進めた。
怖くないと言えば嘘だ。
だが、逃げる気はなかった。
俺は叫んだ。
「道を荒らすな!」
織田の兵が一瞬、動きを止めた。
その隙に、俺の家臣が槍を突き出す。
小さな衝突が始まった。
槍と槍がぶつかり、馬が鳴き、土が跳ねる。
俺は馬上から声を張り上げた。
「ここは三河の道だ! 村の道だ! 商人の道だ! 荒らすなら――俺が止める!」
織田の兵が俺に向かって槍を構える。
その瞬間だった。
「氏真様ぁぁぁぁぁ!」
後ろから、怒号が響いた。
振り返ると――
三河の村人たちが、鍬や棒を持って駆けてきていた。
「今川様が道を直してくださっているんだ!」
「この道は俺たちの道だ!」
「織田に荒らさせるか!」
十人、二十人、三十人。
昨日まで疲れ切っていた村人たちが、今は目に火を宿していた。
織田の兵が驚く。
「村人が……今川に味方しているだと?」
俺は馬上から叫んだ。
「下がれ! ここは三河の民の道だ!」
村人たちが一斉に押し寄せる。
鍬が槍を弾き、棒が兵を押し返す。
織田の兵は数が少ない。
すぐに押し負けた。
「くそっ、退くぞ!」
織田の兵は馬を返し、土煙を上げて逃げていった。
村人たちが息を荒げながら俺を見る。
「氏真様……!」
「今川様が道を直してくださるなら……俺たちも守ります!」
「三河を守るのは、今川様だ!」
その言葉に、胸が熱くなった。
昨日まで、三河の民は誰も頼れなかった。
松平家は弱く、織田は荒らし、今川は遠かった。
だが――
今、俺はここにいる。
道を直し、村を支え、商人を呼び、三河を育てようとしている。
その姿を見て、民が動いた。
民が、俺を守った。
◆
家臣が駆け寄る。
「若殿……ご無事で!」
「ああ」
俺は馬から降りた。
村人たちが鍬を持ったまま、俺の前に集まる。
「氏真様……道を直してくださるなら、俺たちも力を出します」
「三河を守るのは、今川様です」
「お願いします……三河を強くしてください」
その言葉は、昨日の竹千代の言葉と同じだった。
俺は静かに頷いた。
「必ず強くする」
村人たちが深く頭を下げた。
◆
夕暮れ、俺は地図を広げた。
今日戦った場所に、小さく印をつける。
そこは、三河の民が俺を守った場所だ。
戦国の現実は重い。
戦が通れば、道は壊れ、村は荒れ、民は怯える。
だが――
育てれば、民は立ち上がる。
支えれば、民は味方になる。
そのことを、今日初めて知った。




