第20話 動き始めた道と、止まらぬ戦の影
三河の道を直すための人手が駿河から集まり始めた。
鍬を持つ者。
縄を運ぶ者。
荷車の車輪を点検する者。
村の入口には、今川家の旗を掲げた一団が立ち、村人たちに挨拶をしていた。
「若殿、準備は整いました」
家臣が頭を下げる。
「まずは、昨日印をつけた三つの場所から始めます」
「頼む」
俺は頷いた。
紙の上に描いた線が、現実の道として動き始める。
それは、ただの修繕ではない。
三河を育てるための最初の一歩だ。
◆
最初の修繕場所は、荷車が深く沈んでいたぬかるみだった。
人足たちが土を運び、石を敷き、道の形を整えていく。
村人たちが遠巻きに見ていた。
「今川様が……道を直してくださるのか」
「こんなこと、初めてだ」
その声を聞きながら、俺は静かに道を見つめた。
昨日まで、ここは荷車が動けずに止まる場所だった。
商人が足を止め、兵糧が遅れ、村が疲れる原因だった。
それが今、少しずつ形を変えていく。
「若殿、こちらを」
家臣が別の場所へ案内する。
商人が避けていた分岐点だ。
道が細く、馬がすれ違うたびに土が削れていた。
そこでも人足たちが道幅を広げ、石を敷いていた。
「これで、商人も通りやすくなります」
「そうだな」
俺は頷いた。
道が整えば、商人が来る。
商人が来れば、村が動く。
村が動けば、三河が強くなる。
その流れが、少しずつ形になっていく。
◆
だが――
そのときだった。
「若殿!」
別の家臣が駆けてきた。
「西のほうで、織田方が動いたとの報せが!」
胸が冷たくなる。
「どこだ?」
「安祥の近くです。村が一つ、荒らされたと……」
俺は息を止めた。
昨日、家臣が言った言葉が頭に浮かぶ。
――戦が通れば、土地は必ず荒れます。
道を直している。
村を支えようとしている。
商人が通れるようにしている。
だが、戦が通れば――全部壊れる。
「若殿……どうされますか」
家臣の声が震えていた。
俺はしばらく黙っていた。
目の前では、道が整えられている。
人が動いている。
村が少しずつ息を吹き返している。
だが、西では――また壊されている。
それが戦国だ。
それが現実だ。
俺はゆっくり口を開いた。
「……修繕は続ける」
「しかし、若殿!」
「続けるんだ」
俺は道を見た。
「壊されるなら、また作ればいい。昨日も言っただろう」
家臣は息を飲んだ。
「戦が通れば壊れる。それは分かっている。だが、だからといって何もしなければ、三河はずっと壊れたままだ」
俺は家臣を見た。
「俺たちは、壊されてもまた作る家になる。そうでなければ、三河は今川を選ばない」
家臣は深く頭を下げた。
「承知しました……若殿」
◆
駿河へ戻ると、竹千代が待っていた。
「氏真様……西で、また戦があったのですか」
「ああ」
竹千代は静かに目を伏せた。
「三河は……また壊れるのですね」
「壊れた」
俺は答えた。
「だが、直している場所もある」
竹千代が顔を上げる。
「道を直している。村を支えている。商人が通れるようにしている」
俺は竹千代を見た。
「壊されるたびに、また作る。それを続ければ、三河は強くなる」
竹千代はしばらく黙っていた。
そして――ゆっくり頷いた。
「氏真様……三河を、お願いします」
「ああ」
俺は答えた。
「必ず強くする」
◆
夜、地図を広げた。
西三河の空白の部分に、ゆっくり線を引いた。
それは、戦が荒らした土地に向けて伸びる線だった。
そして――壊されても、また作るための線だった。
戦国の現実は重い。
だが、それでも進むしかない。
三河を育てるために。
今川家を強くするために。
そして――家康が今川を選ぶ未来を作るために。
俺は筆を置き、静かに息を吐いた。
「……まだ始まったばかりだ」




