第10話 俺は、米の流れを変える
翌日、俺は昨日の帳面をもう一度見直していた。
遠江から駿府へ運ばれる米。
同じ量を運んでいるはずなのに、日によって必要な荷車の数や運ぶ日数が違っている。
昨日までは、記録のつながりが悪いことばかり気にしていた。
でも、こうして並べて見ると、もう一つ気になることがあった。
「……時間がかかりすぎている」
俺は一つの記録を指でなぞった。
三十俵の米を運ぶのに、以前なら三日。
最近は四日、長いときには五日。
米の量は変わっていない。
それなのに、運ぶための日数だけが増えている。
「若殿、昨日お呼びになった者たちを連れて参りました」
声がして、顔を上げる。
昨日頼んでおいた荷運びの者たちが、三人ほど部屋に入ってきた。
「忙しいところ、すまない」
「いえ。若殿のお呼びとあれば」
俺は帳面を開いた。
「この荷について聞きたい」
日付と数量を見せる。
「三十俵を運んでいるな」
「はい」
「三日で届いている」
「そうです」
「だが、同じ道を使っているはずの別の日の荷は、四日かかっている」
三人は顔を見合わせた。
「何か違いがあるのか?」
「荷の量は同じです」
一人が答えた。
「ただ……途中で荷を集める場所が違います」
「集める場所?」
「はい。最近は一度こちらへ荷を集めてから、まとめて駿府へ向かうことがあります」
俺は帳面を見た。
「なぜだ?」
「そのほうが荷車をまとめられるからだと聞いております」
「まとめれば、早くなるんじゃないのか?」
「うまくいけば、そうなのですが……」
男が少し困ったように笑った。
「荷が揃うまで待つことがあります」
「待つ?」
「一台の荷車だけ先に出すより、何台かまとめて出したほうが安全だという話でして」
俺は考えた。
荷車をまとめる。
一見すると効率が良さそうだ。
だが、三十俵しかない荷が、別の荷を待つために一日止まってしまえば意味がない。
「そのやり方は、いつからだ?」
「はっきりとは分かりません」
「誰が決めた?」
三人とも黙った。
しばらくして、一人が答える。
「蔵の者から、そうするよう言われました」
「理由は聞いたか?」
「昔からそうしている、と」
俺は思わず苦笑した。
昔から。
それだけで続いている仕組みは、現代でも珍しくない。
もちろん、この時代にはこの時代の事情がある。
荷車を一台だけ動かすより、何台かまとめたほうが人手を減らせる場合もある。
けれど、すべての荷を同じやり方で動かす必要はない。
「この荷を、別の方法で運んだことはあるか?」
「ございます」
「そのときは?」
「三日で着きました」
俺は顔を上げた。
「今も同じやり方なら、三日で届く?」
「道に問題がなければ」
それなら、試してみる価値はある。
「分かった。ありがとう。もう戻っていい」
三人が頭を下げて部屋を出ていく。
俺はすぐに一人の家臣を呼んだ。
「この三十俵の米を、今までとは違うやり方で運んでみたい」
「別の道を使うのでしょうか?」
「道は同じでいい」
「では?」
「他の荷を待たず、この荷だけ先に出す」
家臣が少し驚いた顔をした。
「一つの荷だけを?」
「ああ」
「しかし、それでは荷車を一台余計に使うことになります」
「そうだな」
俺は頷いた。
「だから、どちらが得なのか比べたい」
「比べる?」
「荷車一台分の費用と、一日早く届くことで得られるもの。どちらが大きいのか」
家臣は黙って考えた。
「……なるほど」
「まずは一度だけでいい。やってみよう」
「承知しました」
それから数日後。
俺のところへ報告が届いた。
「若殿、米が届きました」
「何日だ?」
「三日です」
「前と同じだな」
「はい。ただ……」
家臣が少し笑った。
「他の荷を待たなかったので、一日早く駿府へ着いております」
俺は頷いた。
たった一日。
それだけなら、大したことではないようにも思える。
けれど、俺は帳面を開いた。
もしこれが一つの荷だけではなく、十の荷、百の荷で繰り返されたら。
その差は決して小さくない。
「荷車を一台余計に使った分の費用は?」
「計算しております」
「分かった。出してくれ」
家臣が下がる。
俺はもう一度、地図を広げた。
遠江から駿府へ続く道。
そこを米が行き来している。
今までの俺は、米がどれだけあるのかばかり見ていた。
でも違う。
大事なのは、どこにあるかだけではない。
**いつ届くのか。**
**どれだけの人手が必要なのか。**
**どこで待っているのか。**
そこまで見なければ、本当の無駄は分からない。
俺は地図の上を指でなぞった。
「これなら……まだ、変えられる」
七俵の米を調べたことから始まった。
最初は、ただ記録の問題だと思っていた。
けれど今は違う。
米の流れを変えれば、人の動きも変わる。
人の動きが変われば、今川家そのものも変えられるかもしれない。
俺はその日の夕方、父上のところへ向かった。
「父上、少しお話があります」
「何だ?」
義元がこちらを見る。
「遠江からの米の運び方について、少し試してみました」
「結果は?」
「一日早く届きました」
父上は黙って俺を見た。
「ただし、荷車を一台余計に使っています」
「それでは、得をしたとは限らぬな」
「はい」
俺は頷いた。
「だから、どちらが今川家にとって得なのか、これから比べたいと思っています」
義元は少し考えてから、口元をわずかに緩めた。
「以前のお前なら、そんなことを考えたか?」
「……分かりません」
「そうか」
父上はそれ以上、何も言わなかった。
「続けてみよ」
「はい」
俺は頭を下げた。
部屋を出ながら、少しだけ胸が熱くなった。
初めてだった。
自分の考えで、今川家のやり方を変えた。
まだ小さな一歩だ。
けれど――
この一歩を積み重ねれば、いつか歴史そのものにも手が届くかもしれない。
俺はそう思いながら、廊下を歩いていった。




