第八話 浅き夢見し
わたしの学校進学における祝い兼クリエトの送別会、その翌日。
祭りの次の日の朝というのは、普段と比べて若干憂鬱な気分に見舞われる。
この感覚を味わったことがあるのは、わたしだけじゃあるまい。
いつもより遅く起きると、家の前にはファレリアがいた。
「アッシュー!クリエトの見送り!いくよー!」
な、なんだなんだ。やつの引っ越しは今週末じゃなかったのか?わたしは慌てて外に出る。
「どういうことだ?クリエトの引っ越しは、今週末どと聞いたはずだが」
ファレリアにもわからない様子で、首を傾げられた。
「さぁ。予定が早まったんじゃないかな?」
取り敢えず、行かねばなるまい。
わたしはファレリアを連れて村の入口へと走った。
あの日と同じ荷車が、ゆっくりと村から出ていく。
どうやらこの村は来るもの拒まず去る者追わずの精神らしく、見送りは誰一人としていない。
ふと、荷車の後ろの方でもぞもぞと何かが動くのが見えた。
わたしよりも目がいいファレリアが、叫ぶ。
「クリエト!クリエトだよ!」
目を凝らすと、たしかにそれはクリエトだった。手をちぎれんばかりに振っている。
彼の目元に何か光るものがあるような気がしたが、恐らく朝日のせいだろう。
そうに決まっている。
わたしとファレリアも、手を振り返した。
ファレリアは泣いていた。
クリエトとの交流が始まってから、気づけば二年といったところか。長いようで、あっという間な時間だった。寂しいが、愛別離苦というのは人間として生きる以上誰しもが経験する最大の苦難だ。
それを幼いうちから知れるというのは、ある側面、幸運なことかもしれん。
そんなことを思った。
クロバーナ家が去ったあと、わたしの隣家は再び空き家となった。
わたしはその足で家に帰り、父母と共に朝食を平らげた。両親ともに、寝坊してクロバーナ家の見送りに行くことができなかったことをものすごく悔いていた。
いい親だと思う。
わたしは外に出る。いつも通り、本を抱えて。
あの丘の、あの大木の下にあの子がいることを知っているから。
やはり彼女はいた。
大木の下で、いつも通り腰掛けている。あの木には、昔から大きなうろがあった。彼女はそこに、一人手を抜き差ししていた。
客観的に見れば、ただの遊んでいる子ども。しかしその横顔からは、あまり彼女からは見慣れない緊張感が生まれていた。
わたしが近づいてきたことを察したのか、パッと顔を上げてこちらを見てくる。
「あ…アッシュ!は、はやいね…!」
やはり緊張している。何なのだろうか。全く分からん。ファレリアの緊張に触発されて、わたしもなぜか緊張してきた。
「あのね…アッシュ、あのね…」
どもりながら、彼女は話し始めた。
な、なんだ、なんなのだ本当に。
「あ…うーん…うぅ…」
なんなのだ、さっさと言え、ファレリア・ラングレー。
「あぅぅ…やっぱ言えないっ!」
彼女はわたしにそっぽを向いた。なんだ、わたしは何かやらかしたのか?知らぬ間に何かファレリアに緊張を催させるような行動をしたか?
ファレリアはもじもじとしながらわたしに告げた。
「…今日の夕方、ここに来れる…?」
切実な、切迫感を伴った問い。どうせ夕方は暇だろう。だから頷く。
「ああ。行けるぞ。なんだ?」
彼女は顔を赤くしたまま、わたしの頭を叩いた。
「言わないってば!」
そう言うやいなや、彼女は全速力で丘を下っていった。てっきりそのまま帰るのかと思いきや、一度振り返ってわたしに手を振る。
「じゃ、じゃあまた夕方ね!またね!」
今度は振り返らなかった。一目散に丘を下るファレリアの姿を、あっけにとられて眺め続けていた。
そこからの一日は、ずっとファレリアに一方的な約束を押し付けられたことの意味を考えて過ぎた。
昼が過ぎ、太陽が傾き始めた頃。
「父さん、母さん。ちょっとあの丘に出かけてくるよ」
両親は、笑って頷いた。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「帰ったら、俺が夕飯を作るからな。楽しみにしてろよ?」
わたしは家を出た。丘まで、徒歩でもそう時間はかかるまい。
その時だった。
「やぁ」
ちっ、と反射的に舌打ちが出た。いかん、この声は。
「久しぶりだね。…神田正」
「先代っ…!」
すぐに脳内での会話に切り替える。もう慣れたもんだった。
「えーっと…最後に会ってから、二年?かな。どうよ、調子は」
「すこぶるいいぞ。お前さえいなければもっと素晴らしいはずだが」
先代は、笑わなかった。いつもの奴に宿る軽快さが、そこにはなかった。
「…ねぇ」
ただならぬ様子に、わたしは忌々しげに聞き返す。
「なんだ」
「頼みがあるんだ」
「は?頼み?」
「いや、違うな。これはちょっとした誘いだ」
誘い?先代が何かをわたしに促すことは、これまで一度としてなかった。わたしに何をさせようというのか。気になった。
「…なんだ?」
先代は、切迫した声で続けた。
「…散歩にでも行かないか?」
「…はぁ?散歩?」
拍子抜けである。先代の頼みごとだ、てっきり世界征服か何かだと身構えていたというのに。
「悪いが、人を待たせている。散歩はできん」
「いや。俺の言うとおりにしてくれ。散歩に行こう。村のすぐ外にある、森かどこかに」
確かに村の外には、小規模ながら雑木林がある。
が、しかし。
「だから。人を待たせていると言って…」
そこで、怒声が響いた。
「そんなこと言ってる暇ないんだよ!はやく!」
今までただの一度も聞いたことのなかった、先代の怒鳴り声。わたしは驚いた。
「…な、なぜだ。なぜ散歩にそこまで執着する?」
先代は、それには答えなかった。
わたしは迷った。先代か、ファレリアか。
…ファレリアとは、またいつでも会える。しかし先代は、そうはいかない可能性もある。
あとで埋め合わせをしてやろう。謝れば済む話だ。
「…まぁ、いいが」
先代は、そこで初めて声に明るさを取り戻した。
「ああ、それでこそだ。ありがとう」
村の外には、何度か出たことがある。
わたしは村の出口を越え、すぐそこにある雑木林へと足を踏み入れた。先代は、一体ここで何をさせようというのか。
「…なぁ、ここで何するんだ?」
「…もうしばらく、ここにいようか」
わたしには従うほかなかった。もうここまで来たら、とことん付き合ってやろう、と。
しばらく、草木をいじったりして時間を潰す。
先代の意図が何一つとして読めない。
おのれ、先代め。もう限界だ。ここらでガツンと―
ドゴォォオオオオオオオン!!!!
突然、けたたましい破壊音が響いた。続けて、何回か。
ズドーン、ズドーン、ズドーーーーン…
その音は、何かに似ていた。
わたしの前世の記憶が、警告を発する。
そうだ。これは、戦場で聞いた音。何かが壊れ、崩れ落ちる音。崩落、崩壊、破壊。形あるものの断末魔。
「おい、先代…これはなんだ!」
先代は、落ち着いた声で答えた。相変わらず、その軽さはこいつに戻ってきていない。
「…いいかい?静かにしておくんだ。決して音を立てるな」
わたしはその要求に、即座に答えた。地面に這いつくばる。土で顔が汚れ、草で頬が切れるが気にしない。
戦場での、隠れる体勢。まさか今世でもするとは思わなかった。
「俺がいいって言うまで絶対動くな。いいね?」
わたしは沈黙で応じた。
一時間。いや、もっとだろうか。少なくとも、わたしが出る時傾いていた日はすっかりと山の奥に隠れ、空は暗く夜の様相を醸し出していた。
「…よし。立っていいよ」
わたしは身体に付着した土を払いながら立つ。
もう聞くまでもない。わたしの軍人としての本能が、叫んでいた。
何かが起きている。
村まで駆ける。何度も何度も躓く。すると、村を出た時には感じなかった臭いを感じた。
これも、戦場でよく嗅いだ臭い。…血と、死の匂い。満洲戦線の夜、塹壕でこの臭いを幾度となく嗅いだ記憶がある。
「っ…!」
わたしは、家まで走る。
…そこには、すでに家はなかった。
わたしが両親と共に十二年を過ごしたあの我が家は、今や瓦礫と煙に覆われた醜い残骸と化していた。
しばし、思考が飛んだ。
何が起きた?何があった?母さんは?ファレリアは?…父は?誰か…誰かいないのか?
わたしがいなかったあの一時間あまりに、何があった!何があったというのだ!!
そこまで考えたあと、はっと我に返った。そうだ、まだ両親が瓦礫の下にいる可能性が高い!!
わたしは両手が傷つくのも考えずに、瓦礫を退かしていった。一度掘るごとに、わたしたちの生活の残骸がこぼれ落ちていく。
瓦礫の奥底に、人の手のようなものを見た。あの手には見覚えがある。何度も抱きしめられ、そのたびにわたしが逃れてきた手。
父だ。
「…おい!」
父を引っ張り出そうとする。しかし下半身が瓦礫に埋まって出られないらしく、痛みを訴えている。
見れば、その屈強な胸は板材にぶち抜かれていた。
まだ、意識はある。
「説明しろ、何があった!」
父は薄く目を開け、血反吐を吐きながら笑いかけた。
「あぁ…アッシュ…無事だったのか…よかった…」
わたしは激しい焦燥感と苛立ちに駆られながら、父にまくしたてる。
「何があったんだ!言え!」
父は首を振った。彼にも分からないのだ。
板材による傷は深い。もしかしたら、貫通しているかもしれん。となると、もう…
「アッシュ。」
父が、わたしの名を呼んだ。震える手で、わたしの頬を撫でる。
「今から…お前の、たった一人の父親として、お前に教えを授ける」
わたしは黙った。何も、言えなかった。
父は血反吐を垂れ流しながらも、わたしの頬を撫でる手を止めない。
「友を大事にしろ。愛を大事にしろ。聡く生きろ。賢く、強くなれ。愚者にはなるな。…お前は、自由だ」
わたしの手が震えた。死にかけの父の、熱く激しく燃える命の鼓動を感じた。
「そうだ。…飯作ってやれなかった。ごめんな」
「馬鹿野郎…謝ってんなよ…馬鹿野郎!」
父はわたしの罵倒に怒らなかった。怒ってほしかった。
「…父さん…」
父は、そこで驚いたように目を見開いた。そして、しみじみとこう言った。まるで、最期の息を吐き出すかのように。
「はは…お前が父さんって言うの、初めてかもな…」
そのまま。
父は、わたしの頬を撫でたまま、力尽きた。
瞳から色が消えていき、わたしの頬に添えた手はそのままに。
父は、死んだ。
「何が、聡く生きろ、だ…そんなもの、わたしが一番よう知っとるわ…この若者め…」
わたしは、立ち上がった。本当は、今すぐ倒れ込みたかった。夢を見たい。ほんの数時間前まで、確かにそこにあった幸せを返してほしい。幸せな、夢が見たい。
…母は?
わたしは、ふらふらと立ち上がった。父がここにいるなら…母も近くにいるはず…だ…
震える手で瓦礫を退かしていく。
いた。フライパンを握ったまま、横たわっている。
火にかけられることなく地面に投げ捨てられていたその食材は、わたしが大好きな魚だった。
「…母さん」
母も、目を覚ましてくれるのではないか。
長く生きろとは言わない。最期に話したい。
…
「目を、開けてくれよ…」
わたしの視界がにじむ。前世、父母を癌で失った時。病室で妻を看取った時。
同じ光景だ。前が、見えない。
わたしは、拳を強く地面に打ちつけた。鈍い痛みが、今だけはかすかな救いだった。
「…ファレリア」
わたしは再びよろよろと立ち上がり、あの丘へと這うように歩いていった。
丘につくと、わたしは衝撃的な光景を目にした。
大木が、あの大木が、根本から折れている。
そして、わたしやファレリア、そしてクリエトがいつも腰掛けていた大木の陰には。
…一つ。いつもファレリアがつけていた、赤いリボンが落ちていた。
「あ…ああ」
リボンを握りしめる。その持ち主が持っていたであろう熱は、もう、ない。
視界が明滅する。回転する。
心臓が激しく暴れる。
手が震え、足が震える。膝が笑い、地面へと崩れ落ちる。
「ああ…がぁ…ああああああああああ!」
喉がはち切れんばかりに、天に向かって咆哮する。
この惨状を引き起こした「何か」への怒り。
それ以上に強い、哀しみ。
それらすべての感情が、わたしの胸の内でぐるぐると混ぜ合わされる。
「がああああああああ!あああああああああああ!」
ぶちぶちぶちぃ、と身体の奥底で何かが引き裂かれる音がした。自分を抑え込んでいた、何かが。
怒り、泣き、叫び。
そんな乱れたわたしの内面で、酷く理性的な一面は、赤子のころに読んだ本のとある項目をなぞっていた。
――『スキルとは、万人が当然であるかのように手に入れられるべきものではない。才を持つ者に、スキルの原石は宿る。しかし、才だけでは不充分である。親しき者の死、耐えきれない憤怒、堪えきれない哀感。激しい感情の変化と、生まれながらの才を以てしてのみ、魔族に対抗しうる『スキル』は顕現する』――
やがて、喉が枯れ、涙が枯れ、怒りすら枯れた頃。
わたしは悟った。自分のなかに、今まで感じたことのない力の奔流が渦巻いていること。
『生まれながらの才』、『激しい哀感』。
わたしの中に長らく息を潜めていた、力。
『スキル』が目覚めたことを、知った。




