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第四話 老人の失態

わたしがこの世界に生まれてから、一年が過ぎた。


子供の成長は早い。わたしはすでに歩行を習得し、日々の移動に素晴らしい変化を与えていた。


しかし、遅い。

じつに遅い。


考えれば当然のことである。わたしが慣れている「歩行」というのは、成人男性のそれだ。

子供となれば歩幅は狭く、望んでいたような移動は到底不可能であった。


前世では、2歳ごろにはもう家の中を駆け回っていた記憶があるのだが、これは個人差であるからどうしようもあるまい。


神田正とヴィルバード・アッシュは完全なる別人なのだから。


若干の諦念と共に、てちてちと歩く。

木目に躓き、転んでしまう。


泣きはしない。

だか、非常に腹が立つ。苛立ちと共に軽く床を蹴る。


その様子を微笑ましく見守っていた父が、わたしを抱きあげる。


ええいやめろ、わたしはもう歩けるのだ。抱き上げられずとも移動くらいできるわい。


わたしは身を捩って抵抗する。

「あー!あぁー!!」と、激しく叫んで振りほどこうとする。抱かれるのが嫌だというわけではない。父に抱かれるというのが気に入らないのだ。


父はしょぼんとした様子でわたしを手放す。

再び自由になったわたしは、今度は父から離れるように走る。

「あぁ…」と、背中から父のため息じみた声が聞こえた気がしたが、気にしない。


しかしまあ、いくら不便でも歩行という面では変わりない。現に、抱きかかえられていたときよりも格段に書斎への侵入が容易くなった。


わたしは今できる最高速度で階段を登り、父の書斎から「世界の歴史について」を取り出す。かなり読み込んでおり、すでに二周ほどは読み終わっているのだ。


これを持って下に移動するのも億劫なので、そのまま書斎で本を開く。

手っ取り早く本の内容を覚えたければ、音読をするに限る。声に出すという過程は、より強く脳に情報を読み込ませることができるのだ。


「この世界に存在する種族は、主に二つである。人類、そして魔族。人類圏に存在する種族も多々あり、犬、羊、馬、牛…」


どうやら、魔族以外は大体元の世界にいた動物と同じようなレパートリーらしい。


「で、魔族は人類の生活圏の外にいるが、たまに侵入してくることもある…と。ふむ、一応は我々の領域には近づくことはないということか」


何気なくページをめくる。そこで、わたしはとある見出しに目が止まった。


『四体の厄災』


「この世界には四人の人類にのみ与えられた特殊な力が存在する。それらは皆、『器』と呼ばれ、人類を破滅させる使命を与えられている…か」

ここのところが、興味深い。


『器』とは何か?厄災とは一体どのような?疑問は尽きない。子どもの知識欲というよりは、純粋な疑問だ。わたしが前世で老人であったときも、同じことをしたであろう。


ふと、周囲が暗くなっていることに気づく。窓を開けてみると、空は黒雲に覆われていた。


思えば、この世界で曇天なのは初めてだったかもしれない。

その後間もなく、ザーッという音と共に雨が降り始める。


階下ではドアがばたんと開いた音がする。

多分、母だろう。何をしていたかは知らないが、急な雨降りによってびしょぬれであることは違いあるまい。


「いやぁ、降っちゃった!ただいま!」

その声に階下にいた父は「お帰り」と応えたが、わたしは本に熱中していたためそれどころではなかった。


「なるほど…この世界には『スキル』というものがあるのか…」

歴史書の中にあったのは、『スキル』についての論文。論文がそのまま歴史書に貼り付けてあるらしく、ざっと目を通して見る。


「どれどれ…?『スキルとは、万人が当然であるかのように手に入れられるべきものではない。才を持つ者に、スキルの原石は宿る。しかし、才だけでは不充分である。親しき者の死、耐えきれない憤怒、堪えきれない哀感。激しい感情の変化と、生まれながらの才を以てしてのみ、魔族に対抗しうる『スキル』は顕現する』…か。」


つまり、才能プラス激情でのみスキルなるものは形をなさないらしい。

厄介であるし、そも己が才能を持っているかどうかすら現状不明のままである。まあ顕現しなくても、どうということはない。もとよりわたしは、この世界で平和に生きることを望んでいる。争いとは無縁の人生を送ろうと、決めている。


「ふむ…スキルを持っていると、魔族との戦いに重宝され、騎士として招集される可能性が高くなる…か。もっとも、元の世界の軍隊制度を少し緩めたような感じだな。」

わたしが全盛期のころは、年齢と性別という条件さえ満たしていれば、問答無用で赤紙が渡され、これまた問答無用で戦場へと徴兵されたものだ。


「懐かしいなぁ…」

わたしは、未だ自分が時々神田正に戻ってしまっていることを、実感している。


それは、悪いことではないと思うのだが。


この本を読んでわかったことは、主に三つある。

一つ、この国は王政国家である。

二つ、この国には魔族を撃滅するための『騎士』という戦闘特化の役職がある。

三つ、この世界の人類には、いつの時代にも必ず四人、世界の破滅を目論む存在がいる。


三つ目が少々気になるところではあるが、この本にはそれ以上のことは記されていなかった。ない袖は振れないので、諦めて本をしまう。


本棚から、また新たな本を物色する。

わたしの目を引いたのは、『厄災を知る』という題名の小さめの本。小説、と言ったほうが正しいかもしれん。


わたしは迷わずそれを棚から引き抜き、ぺらりとページをめくる。


「この世界にいる四人の厄災については、すでに読者も知るところだろう。その四人は、同じ人類でありながら我々人類を滅ぼそうと企んでおいるためそれを阻止するために聖騎士団による徹底的な捜索が行われている。過去の記録によると、聖騎士団は100年ほど前に一人その『器』を捕獲していた―」


ここで、一つ反省をしよう。油断していたと言ってもいいかもしれない。

わたしは、新しい知識を見つけると、他のものが見えなくなるたちである。前世の話ではあるが、戦後まもなくして日本国憲法が発布されたとき、1週間不眠不休で憲法全文を読みあさり、現行の憲法における矛盾点や疑問点を紙にまとめていたことがあった。どうしようもない悪癖として片付けていたが、どうやらそれはわたしの身体から抜けていなかったらしい。


わたしは、すっかり本に夢中になっており、気づかなかったのだ。

先程から、書斎のドアを細く開けてわたしの音読している姿を眺めている、二人の人物がいたことに。


「…アッシュ…?」

心なしか震えた声で、母が問うてくる。


わたしは、すっかり動揺してしまった。ここが二つ目の失敗だった。せめて冷静さを失っていなければ、もっとよい選択ができたはずなのに。

過去を振り返っても仕方がない。冷静さを欠いたわたしは、母の震える問いかけにこう返してしまった。


「どうしたんだ、母さん」


もう、めちゃくちゃである。


「…アッシュがしゃべった」

呆然とした様子で、父が呟く。


恐らく彼が唖然としているのは、わたしが喋ったことじゃないだろう。

わたしが、明確に理解して、声を出して本を読み、「なるほどな」とか「ふむ」とか言っていた事実に驚いていたのだ。


ちっ、と心のなかで舌打ちをする。

しくじった。今からでも取り返せればいいが。


「アッシュ…!」

ふるふると震えながら、母が顔をうつむける。


まずい、何かは分からんがとにかくまずい。


母の反応が過剰なものとは思わない。もしわたしの息子が歴史書なんて音読していたら、今の母と同じ気持ちになるだろう。


「アッシュ、天才!?」


予想外。


「アッシュ、お前…天才だったのか!?」


父よ、お前もか。


「ま、待ってくれ、違う、これは違うんだ」

自分が墓穴を掘りまくっている自覚は充分にあった。行動を考える暇もないほど、わたしはそこで慌てふためいたことは間違いないだろう。


「ああどうしよう、ねぇあなた、この子学校に行かせましょうか!?」

「お、おお!いいかもしれんな!学校かぁ、そうか!」


落ち着け2人とも。頼むから落ち着いてくれ。

わたしも落ち着きたい。


その日の夕飯は、実に盛り上がっていた。味の薄い離乳食を決まり悪そうにもちゃもちゃ食べるわたしを差し置いて、父と母はわたしの将来について話し合っていた。


もしかしたら学校に行かせられるかもしれない。

いや行かせよう。

なんてったって、この子はたった一歳で歴史書を読んでいるんだから。

この子は天才だから。


…これは後で思い出したのだが、通常の一歳児は「ママ」や「パパ」などしか発声することができないらしかった。

間違っても、「どうしたんだ」なんて言葉使わない。

思い返すも、これが最初のわたしの過ちであった。


「ねぇアッシュ、いつから話せるようになったの?」

その問いに、わたしは答えることを逡巡する。

「生まれたときから」などと真実を述べてしまえば、間違いなく詰む。

天才以前に、前世を疑われかねない。


「ついこないだ」

多分この回答も満点ではないと思う。


「…なぁお前、あの本、もしかして本当に内容を理解して読んでいたのか…??」

半ば恐ろしげに父が訊く。


「…うん」


父は、ふーっと長い息を吐いて天を仰いだ。


「…天才だ」


だからなんでそうなるんだ。


夕食が終わり口をゆすぐと、わたしは家族の質問から逃げるように部屋に戻った。


わたしが一歳の誕生日を迎えた日に、あのよくわからん動物の木彫りがくるくる回るベッドはおさらばとなった。

かわりに、床に直接置くタイプの敷布団がわたしの寝床となった。

前世のこともあるから、こちらとしては敷布団のほうが使い慣れている。ぼさっと横になると、天井をみあげた。


まったく、やらかした。

しかししてしまったことはしょうがない。

これからは「なぜか」人より成長が圧倒的に早いヴィルバード・アッシュとして生きていくしかあるまい。


齢一歳にして、自分の身の振り方を考えるようになってしまうとは。


わたしは苦笑し、目を閉じた。母と父の驚いたような顔を思い出しながら、わたしは深い眠りについた。





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