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第三話 見た目は赤子、中身は爺さん

わたしがこの世界に生まれついてから、おそらく2ヶ月と少しが経過した。


未だに母親の授乳には慣れることがないものの、食うに困る生活はしていない。こればかりは、両親に深く感謝をしなければなるまい。


そして、時々散歩として外に出ることもある。母親の腕に抱かれて見る世界は、新鮮だった。

わたしを取り巻く環境について気づいたことが、二つある。


一つ、わたしが生まれついたこの村は、おそらくだがあまり裕福ではないようだ。戦後の日本ほどではないが、家々の外観は綺麗と言えるものではなく、また商店などの経済施設も見たところ存在しない。

もっとも、この世界に商店や質屋があるかどうかは甚だ疑問であるが。


二つ、これも推測だがわたしの生まれた家は、この村の中では裕福な方に当たるらしい。その推測を裏付けるものとして、わたしの家にある父の書斎には、おびただしい量の本や図鑑が並んでいる。

文字を書くことは難しいが読むことはできるので、最近のわたしのひそかな趣味は母から隠れて本を読み漁ることだ。そのへんは父が理解をしてくれているようで、書斎で常にわたしを視界に入れながらではあるが自由に本を読まさせてくれる。もっとも、彼はわたしがその本に書いてある言葉の意味を理解しているとは毛ほども思っていないだろうが。


いつものように母の腕に抱かれながら、わたしは散歩道を歩く。たまに人とすれ違うときは、母が挨拶するのを真似するようにしてわたしも挨拶をする。

挨拶とはいっても、赤子であるわたしが「おはようございます」などと口走ったら大問題であるため、ぎこちなく手を振るだけに留めている。


「あら〜今日も可愛いわね!おはよう!」

わたしの挨拶にそう応じたその女性の腕には、昨日まで見なかった赤子が抱かれていた。

女子だろうか、短く生えているその桃色の髪の毛が、風に揺られてふわふわと揺れている。


わたしがその赤子に気を取られているのを察知したのか、女性は笑ってわたしに言った。

「先週生まれたの、女の子よ。」


母が、目を丸くして問う。

「あら、生まれていたのね?名前は何にしたの?」

女性は腕のなかの我が子を揺すりながら、ふわっと笑って、言った。


「ファレリアよ。ファレリア・ラングレー。」

ファレリア、か。歳が近いということは、これから嫌というほど顔を合わせる仲になるということだろうな。


名前くらいは記憶の片隅に留めておくのが賢明だろう。


その後も女性二人は井戸端会議に興じた。

ファレリアの退屈そうなあくびにハッとした様子で、女性が申し訳なさそうにもじもじする。


母はその意図を汲み取った様子で、一歩女性から距離をとった。

「あら〜ごめんね?ついつい話し込んじゃって。じゃあ、またね?」


ラングレー親子と別れ、母は再び歩き出す。

「いつか大きくなったら、あの子と友達になるかもね?」


ふむ、友達か。もっともわたしにとっては、ひ孫よりも下くらいの年齢なのだが。


赤子を連れた散歩は、そう長くない。

小高い丘まで登り、そのまま丘の頂点に一本生えている木の陰で休む。わたしは、母に与えられるがままに哺乳瓶を口に含む。

外にいるときなどは基本哺乳瓶だ。わたしは直接的授乳を何としても回避するため、あからさまにこの哺乳瓶への反応を良くしている。


狙いはもちろん、この母親に「哺乳瓶の方が美味しいのね」と思わせ普段から哺乳瓶を与えられるようになることに他ならない。


だから、わたしはミルクがのどを通過した瞬間、きゃっきゃと笑いながら手を叩く。

これを100歳越えたボケてすらいない老人がやっているとなるとなかなか地獄絵図だが、赤子ならそう咎められるのでもあるまい。


哺乳瓶の中身が空になると、母は再びわたしを抱き上げ家への帰路を辿った。

帰り道、母はぽつりと言った。わたしに向けたものではない、静かな独白。

「私、ちゃんとお母さんできてるかなぁ…」


わたしは、その言葉を聞き逃さなかった。ふむ、分からなくもない。

わたしも、初めて息子ができた時分はちょうど戦場を駆け回っていた時期であったため、夜に塹壕で興奮が切れると、「オレはこんなんで父親できるのか」と泣いた時があった。


だから心配しないほうがいい。親が思っている以上に、子供というのはちゃんとすくすく育つものだ。

わたしはまだ短い腕を伸ばして、母の頬にぺたりと触れた。


心配するな、と言いたくて。

お前はちゃんと母としてやれている、と伝えたくて。


母は、そこで何かをぐっと堪えた表情になると、わたしをぎゅっと抱きしめた。しばらくの抱擁ののちに腕をゆるめた母の頬には、一筋光るものがあった。


「優しいね、アッシュ。」


…ふむ。親への最低限の敬意を払っているだけだ。

だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


家へと帰還すると、すでに父親が夕食を作っている最中だった。

…こいつ仕事していないのか?


と、我が家の金銭事情がすこし不安になる。

まぁ、この世界の金稼ぎのルールが元の世界と同じとは限るまい。


じゅうじゅう、と何かが焼ける音が響く。ついでに、なにか果実のような甘い香りも。


とは言っても、わたしはまだ生後2カ月。まだ主食は乳である。母は、屋内にもかかわらず哺乳瓶を取り出した。


ようやく…ようやく、わたしの努力が実を結んだらしい。よかった、これでもうあの何とも言えない複雑な気分を味わわなくて良くなった。


哺乳瓶の中に入っていたミルクをたらふく飲み、そのまま母の膝に座らされる。見事な手際でわたしからげっぷを引き出すと、両親は彼らの夕食を食べ始めた。その間、わたしは暇である。実は、すでにわたし用の部屋はあてがわれている。それも部屋全体がモコモコとしたクッションに覆われていて、数分ごとに心配した母ないしは父が偵察しに来る部屋が。


部屋のなかにあるのはただ一つ、名称は不明だがベッドの上の方に馬やらなんやらの動物たちが木彫りでぶら下げられているもの。質感的に手作りだろうが、なんと言ったか。


メリーゴーラウンドだったか。

違うか。違うかもしれない。赤子の寝台の上でくるくると回る、あれだ。正直邪魔で仕方ないのだが、文句は言うまい。これを作るのに、相当な努力と時間を有したはずだから。出来栄えというより、過程を評価すべきだろう。


わたしはその部屋をあまり好んでいない。居心地が悪いとかいう意味ではなく、暇を潰せるものが一つとしてないからだ。


わたしがさも退屈そうに待っていると、夕食を終えた両親は皿を下げ、わたしの方に寄ってきた。

父がわたしを抱き上げ、母に言う。

「じゃあ、僕が部屋に連れて行くからね」


母は皿を洗わなければならないため、必然的に母の注意はわたしから逸れる。

父がわたしをあの簡素な部屋に連れて行こうとするのを、わたしは精一杯抵抗した。


「ああ、また…どうしたのさ」

わたしは自分が出来る限界まで目を潤ませ、上目遣いで父を見上げた。


ズキュウウン、と父の心臓部から音が聞こえたような気がした。父はだらしなく笑うと、わたしを抱いて階段を登った。木製の階段は大人一人と子ども一人の体重が乗っても充分すぎるほど丈夫で、難なくわたしと父は書斎の前までたどり着いた。


「また書斎ー?」

階下から母の声が響く。怒っているわけではないだろうが、若干訝しんでいる節はあるようだ。

「アッシュはあの部屋より書斎の空気のほうが気に入っているみたいでさ!」

わたしは心のなかでほくそ笑んだ。


いいぞ。この男は、わたしがただ書斎の空気が好きなだけだと勘違いしておるわ。


書斎の中は、いつも通り整然と片付いていた。

壁を埋める一面の書物。最近見たところによると、どうやら文献も多々置いてあるらしい。


わたしは、「あー、あー」と言いながら一冊の本を指さす。『世界の歴史について』と書かれた本。題名からすると、文献らしい。


本当は、「すまない、あの本を取ってきてくれないか」くらい話せるのだが、もしそんなことをすれば父は卒倒するだろう。能ある鷹は爪を隠すと言うし、まだこの時期は喋らないほうが賢明だ。


父に渡されたその本はずっしりと重たい。

余談だが、わたしの発育は元の世界の赤子より早かったようで、2週間ほど前にはすでに首がすわっていた。

わたしに言わせてもらえば、わたし一人で本程度読めるのだが、そこは両親の心配があったらしい。

「ほらアッシュ、来なさい」

父の膝にしっかりと座らされ、本を開く。


「この世界には、わるーいわるーい四体の厄災が――」

開始数秒で、わたしは父の声を頭からはじき出した。

申し訳ないが、父の読み聞かせる声などまったく耳に入らない。淡々と読み、情報を脳に読み込ませる。とくに歴史書は、子どもの知識の向上にはうってつけだ。勉強にもなるし、なんなら難しい字がたくさんあるため頭の体操にも役立つ。


知識は財産だ。あればあるほど輝きを強め、いざというときに己を助ける盾となる。


最初の数ページほど読んだところで、ふと眠気を感じる。ふむ、わたしが若い頃はこんな本の一冊や二冊、一晩もあれば読むことなど容易かったのだが。

…やめておこう。赤子と成人男性を比べるのはお門違いもいいところである。

「おっと、もう眠たいんだね。寝ようか」

赤子の体力の持続時間は少ないのだろうか、泣く泣く父に抱かれて階段を降りる。


そしてあの簡素な寝室に寝かせられる。反抗しようとしたが、眠気に侵食された身体がそれを許さなかった。


父が名残惜しそうにドアを閉める。ぱたん、と柔らかな音が響いて寝室が閉ざされる。


そして数分後、母が部屋に入ってくる。わたしの頭を一撫でし、優しく言った。

「おやすみなさい、アッシュ」


返事を発する間もなく、わたしの意識は沈んでいった。







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