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第二話 不躾なる脳内音声

「おはよう、神田正。そしてようこそ、()()()()()()()。」


わたしは、その唐突に脳内に流れたその音声に驚いた。…とうとうボケ始めたのか、と軽くショックを受ける。


「お前は誰だ」

声は出さない。というか、出せない。舌がうまく回らないのだ。しかし脳内に声が直接届いたということは、わたしの声もその声の主に届くということだろう。幸いにもこちらも脳内で話すことができたらしく、実に楽しげな声音で声の主は言う。


「そのうちわかるさ。少なくとも、俺に今のお前を害しようという気はないことだけは、信用してもらいたいものだね」

声の主は、若い男とも年老いた男ともとれない、不確実な声だった。

女の声と言われても、信じてしまうかも知れん。


「そうか。して、ここはどこだ。まさかそれもはぐらかすわけではあるまいな?」

わたしは、声に少々の圧を込める。戦場で培われた威圧感は未だ衰えず、大抵の若者はこの声に怯えるのだと自負していた。


「まさか。さすがにそれくらいは話すさ。」

…少し、わたしの自負を疑った。

「あとそうだねぇ…そうだ、言葉を身に付けさせなきゃ。せっかくの人生二周目だもん、余計なプロセスは省きたいよねぇ…」


ぷろせす?老人には横文字を使うなと、社会に教わらなかったのか?わたしが知っている横文字なんて、チョコレートとインプラントしかないぞ。


「俺の名前は…まぁ、名前なんて無いようなものだけど。強いて言うなら、「先代」。それが俺の名前さ。…ああ、俺の名前なんてどうでもいい。今重要なのは、君は転生したということだ。ここ、異世界にね。」


…は?

「何を言っている。転生?異世界?」

い、いやしかし聞いたことはあるぞ?あれだろう、最近の若者の間で流行っている小説の題材みたいな、それだろう?


「君は、輪廻転生という概念を知っているかな?」

君、か。よほどなっとらんその言葉遣いを何とかしてやろうかと思ったが、面倒になってやめる。処理するべき情報が多すぎる。


「知っとるわ。…だが、わたしは転生できるほど心清らかな人生を送ったわけじゃないぞ。そもそも輪廻転生自体、因果応報だか六道だか、わたしはそこに送られるべき人間のはずだが」

声の主はすこし苛ついたように、声を荒らげた。


「君の世界の宗教観なんてどうでもいいんだよ。輪廻転生を知ってるかって聞いてんだから。…まあともかく、君は転生した。もちろん赤ちゃんからね。」


…わかった、百歩譲って転生したとかいう事実は受け取ろう。厳密に言えば、「信じないとしても今の状況が大変に妙ちきりんであるためどうにも信じざるを得ない」なのだが。

「わたしはなぜ転生した?」

その問いに、しかし声の主ははぐらかすばかりであった。

「さあねぇ。それを君に言う義理もないし?」


チッ、と舌打ちが出てしまう。舌打ちばかりは脳内で済ますこともできなかったので、目の前の女がびっくりした顔をする。

…わたしが赤子ということは、目の前のこの女はわたしの母親ということになるのだろうか。少々、複雑な気持ちだ。


「そして。「先代」と言ったな。何の先代だ?貴様はわたしの何を知っている?」

「それも、おいおい話すさ。うん、10年後くらいに」

あまりに曖昧な答えに、わたしも苛立ちが募る。


「調子に乗るなよ、若造。話せ」

くっくっ、と歌うように笑いながら、声の主は続けた。

「まあまあ、そんなに怒るなよ。今俺が君に伝えたいことは、俺は君の導き手であるということ。君が俺を信用しないのは勝手だけど、俺の導きには従ったほうがいいと思うよ?」


「何を言うか。わたしはわたしだ。導き手など不要、わたしはわたしの道をゆく。」


わたしの反発が、聞こえたのか、聞こえなかったのか。

はぁ、とため息が聞こえてくるあたり、聞こえていたのだろう。

「だーから。そんなのいらないって。言ったでしょ?信じるのは勝手だ、ってね。」


…。

言葉に詰まってしまった。こちらからこのふざけた声の主に与えるものは何もない。だが、こいつはそれでも構わないと言う。なんなら、こちらからわたしに色々なものを授ける、と。


そう言われると。


こちらにデメリットがないではないか。


「…まぁ、勝手にしろ。だが、できれば話しかけるのは最小限にしてくれると助かる」


声の主はふっ、と笑ったような声を漏らし、言った。

「わかった、わかったよ。最小限、ね。君の言うとおりにしよう。」


そして声の主は思い出したかのように慌てて続けた。

「あっ、そうそう。言葉、言葉。またイチから言葉学ぶの面倒でしょ?手っ取り早く脳に情報ぶち込んでどいてあげるから、感謝してくれよ。」


「なに?なぜそこまで…?」

「決まっているじゃないか」

そこで初めて、声の主の声音に、冷たい残虐そうな喜色が混ざったことを、わたしは聞き逃さなかった。


「俺は君の仲間だからだよ。あと、君にはたくさん活躍してもらわないとね。…たくさん、ね」


その言葉に含みがあるような気がして。

「おい。今のは…」

言いかけた矢先、頭の中に激痛が走った。


「っ…!」

恐らく、わたしの顔が急に強張ったのを、わたしを抱いている女、いや母親は見ていたのだろう。

「〆」〒÷☆$????\…○」+×€!!!!」


頭の中に、おびただしい数の情報が流れ込んでくる。

この世界の文字について。基礎的な文法について。

新生児には少々重すぎるほどの情報量。


「っ…貴様…」

「感謝しろよ?これでお前の語彙力と言語能力はこの世界の標準レベルまで進化した。…まあ、読み書きだけはどうにも不完全だけど。これが俺の限界。…ほら、今ならその女が言っていることも聞き取れるぞ?」


耳を澄ませば、母親の必死な声が耳に届いた。

「大丈夫!?何かあったの?!」

父親と思しき男も、心配そうに顔をのぞかせる。

「うーん…今は大丈夫そうだが…」


見れば、わたしの母親はかなり端正な顔立ちをした美形の女だった。長い黒髪による落ち着いた雰囲気とはうらはらに、その瞳は紅く、まるで暗い夜に輝く満月のような印象を与える。まだ視力が発達していないせいでその魅力は十二分には伝わってこないが、ふむ。母親のほうに遺伝したとしたら、かなり物事を有利に運べそうだ。

回りくどい言い方をしてしまったが、つまりかなり美しいということだ。


…父親の顔は、いかにも気弱な若者といった感じだ。正直に言うと、わたしの一番苦手な部類の顔立ちだ。ナヨナヨした顔をしている男をみると、わたしまで気分が萎えてしまう。だが不思議と、この男の気弱そうな顔立ちはわたしに安心感を与えた。…しかし、父親のほうに遺伝したとしたら、かなり苦労しそうだ。

父親、だからだろうか。


「な?聞き取れるだろう?」

どこか調子付いたような声が脳内に響く。

「まぁそうだな。これについては感謝しよう。」

「冷たいなぁー…ま、いいさ。俺はお前が大事な選択をしようとしているときにだけ話しかける。それが最大限の譲歩。いいね?」


それはいい。何せ、わたしとて大事な選択をいくつも強いられるような生き方をするつもりはない。


わたしは、断固としてこの異世界で平凡にのんびり生きていくつもりだ。


「ねぇあなた、この子の名前は何にしようか」

父親は、にこにこと笑いながらわたしの頬をつんつんとつつく。どうにもくすぐったくて、少し頭を動かして反抗の意思を示す。

わたしの母親の隣にいたもう1人の女性―状況的に言えば産婆なのだろうが―が、あとはご家族でごゆっくり、といったように出ていく。

「ありがとうございました!」

出産して体力が落ちている母親に代わって、父親が大きな声で礼を言う。


ぱたん、と扉が閉まる音がやけに響く。父親は再びわたしの頬をぷにぷに触りながら、その琥珀色の瞳でわたしの目を見た。


「実は、もう決めているんだ。アッシュ。この子の名前は、ヴィルバード・アッシュ。」

母親が、ふわりと微笑む。

「アッシュ。アッシュ。…うん。いい名前ね」


そうして、母親はわたしをぎゅっと抱きしめた。

何とも言えない安心感が、わたしの全身を満たす。


他人のはずなのに。


これが、親というものなのだろうか。長く生きると、忘れてしまうものも多いものだ。…特に、一度失えば二度と手にはいらないものとかな。


「この子の瞳の色は、君に似ていて綺麗な紅色だね」

そうか、わたしの瞳の色は紅色なのか。

となると、顔面の方もこの母親に遺伝していることを強く希望する。


母親は、まだ出産間もなくで疲れているだろうに、わたしの頭を撫でた。ゆっくりと、ゆっくりと。

「大きく、元気に、優しく育ってね、アッシュ。」


父親も、わたしの頭を撫でる。こっちの手つきは少々乱暴だ。いつか叱ってやらねば。

「そうだぞ。強く、強くなるんだ。男ならな、強くならなくちゃいかん。」


ふむ。その持論には、賛同の意を示そう。


「…にしてもこの子は、本当に泣かないな」

「うーん…産婆さんは異常なしって言っておられたんだけど…」


そうか。赤子は、泣くのか。…ん?そういえば、わたしはちょっと前に息子に「男が泣くな」と説教したばかりではなかったか?


…やはり、赤子から再び生きるというのは、難しいのかもしれん。



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