第十一話 基礎的魔力流動について
「というわけで、本時の授業を始める。今日のテーマは、『基礎的魔力流動について』だ。まずは魔力について―」
学校生活三日目。慣れたとは到底言い難いが、それでも月日は無常にも流れてゆく。
現在のわたしには交流関係がまったくと言っていいほどない。
あの日から、例の金髪少年と茶髪少年に心なしかジロジロ見られている気がするが、特にわたしに被害はないのでよしとしよう。
わたしは学園において、交友を求めていない。
あくまでもここに求めているのは魔力や体術における基礎的、発展的な知識と、そしてウロボロスについての知識だけ。
なぜなら、わたしがウロボロスだから。
なぜなら、わたしが『破壊』のウロボロスを殺さなければならないから。
「えー、魔力というのはつまり、人間の内に宿る力のことです。皆さんは、『気力が充実する』という言葉を聞いたことがありませんか?この場合、『気力』はつまり『魔力』。そう思っていただけると分かりやすくてよいと思います」
サネル教授の講義が始まる。
とりあえず、講義をきちんと受けよう。知識の取りこぼしは必ずどこかで命取りになるのでな。
サネル教授は黒板に円を描いた。
「魔力とは、水に似ています。器があり、流れがあり、出口がある。出口を間違えれば暴発し、流れを止めれば澱む」
わたしは黙って板書を書き写す。
前世でも似た話は聞いたことがある。兵は銃を扱う前に、まず安全装置の意味を学ぶ。力とは、振るう前に制御を学ぶものだ。
「身体強化も魔法も、結局は同じです。魔力をどう流すか、その違いに過ぎません」
…身体強化。
わたしの『鬼神』も、この延長線上にあるのだろうか。
「…そして、魔力にはある特異な性質が一つあります」
わたしはその声に改めて集中し直す。
「魔力の持ち主か、激しい激情により我を忘れたとき。魔力は時たまに、本人の意思を無視して体外へと放出されることがあります。陳腐ですが、我々はこれを『魔力漏出』と呼んでいます。魔力漏出が発生した場合、魔力はオーラのようなものに変異し、持ち主の全身から吹き出るように立ち昇ります。この状態にある場合、往々にして精神状態が危うくなっているので、見かけた人は是非ともそれを抑えてくれるよう、お願いします」
…ということは、村が壊滅したあの日に感じた激しい力の奔流は、その魔力漏出によるものだったのか。
講義後。
貸し出された例の家に戻ると、さっそく授業の復習に入った。
「魔力は循環するエネルギー…か。そして魔力漏出という現象がある以上、平時でもある程度の魔力の放出はできると思うんだが…」
わたしは目を閉じ、集中する。己の中にある魔力の源泉を、探ろうとする。
…む。なかなか難しいではないか。
「……」
流れない。
「違う違う。肩に力が入りすぎ」
「黙れ」
突如として脳内に入り込んできた先代の声にわたしは辟易とする。
「君は案外不器用なんだな。よく戦争を生き残れたね?」
「黙れ」
何十回繰り返しても、あの時感じた力は一欠片も感じられることなく終わった。
かつての戦争を生き抜いた百年の経験も、魔力の扱いには何一つ役立たない。
わたしは深く息を吐いた。
仕方がない。学び直しと銘打ったからには、このくらいのことも覚悟すべきだ。
学習するとは、こういったことなのだろう。
久しく忘れていた感覚だ。
思い通りにいかない現実とは裏腹に、わたしは何故かすごくわくわくしていた。
『思い通りにいかない』
このことが、なんとかけがえの無く、なんと尊いことか。
人間は高齢になるにつれ、『思い通りにいく』ことが増える。肉体の老化こそあれど、培ってきた知恵と経験で大抵の問題は解決することができる。
だからこそ、わたしは忘れていた。
『思い通りにいかない』、不愉快だが限りなく楽しかったあの時。
あれこそが、『若さ』だったのだと。
にしても。
「…やれやれ。出来ぬならば仕方がない…諦めるか」
別に、ここで諦めたとして特に問題はない。
悩む時間も、悩みに向き合い解消する時間も、今世のわたしには山ほどある。
焦って事態をより悪化させることさえしなければよい。
わたしはすっぱりと、魔力については諦めた。
「…しかし、なぁ」
することがない。
この借家は生活最低限の設備は整っている。
しかし、ベッド以外の設備が絶望的だ。
これはこの家の問題ではなく、たぶんこの世界の構造だろう。
この世界には、冷蔵庫がない。
わたしの時代は氷箱だったが、それすらもこの家には乏しい。
したがって、この家では生ものはもちろん、ありとあらゆる食材の保存ができないに等しいのだ。食えるものと言ったら乾パンくらいしかない。
あと、これは蛇足だが風呂も前時代的だ。
戦後普及した見慣れた風呂ではなく、あの五右衛門風呂。
一応ここは都市部のはずなんだが、借家だからかなんなのか風呂も風呂で終わっていることは分かっていただけるだろう。
五右衛門風呂は懐かしの風呂なので嫌悪感は少ないが、それでも利便性に富んだあの風呂がいいとは思う。
ひょっとして、電気が関わるモノについては、この世界は未だ昭和前期レベルなのかもしれない。
何の話をしていたろうか。
そうだ、夕飯だ。
多少財を尽くしすぎかもしれんが、冷蔵庫がない以上今日も外食で済ませるしかなかろう。
最近は乾パンを爆買いして、それを食事に充てていたがあんな生活をしているときっと頭がおかしくなるに違いない。
だからこの外食は、わたしの精神的健康を守るための必要な一手なのだ…
と、自分に散財の言い訳を並べながら、ため息を一つつく。そのまま玄関へと向かった。
その時だった。
コン、コン。規則的なノックの音が、古びた借家の扉を鳴らした。
「…ん?」
もう一度、コン、コン。音からするに、ノックの主は急を要するものではないのだろうが…
「不安だな」
なにせわたしは、この世界のイロハを知らない。
なにぶん、狭い村で生きてきたもので、まだ世界的な常識を全くもって身につけていないのだ。
わたしはこれから我が身に降りかかるかもしれない非常識に対抗すべく、壁に立てかけてあった何かの木材を手に取った。
おそらく、この借家を建てた際に余った木材だろう。
ゆっくりと扉を開ける。
扉の先にいるのは、鬼か、蛇か。
「やっ。ごめんねー?こんな時間に」
「…うん?」
扉の先にいたのは、ごくごく普通の人間。女。
少しだけ見覚えがある。入学初日、わたしに話しかけてきたあの金髪二尾髪の子だ。
「なんの用事だ?」
「あのねぇ、一つ、お願いがあるの」
…何だろう、嫌な予感しかしない。
「いや、わたしは」
「お願いっ!ご飯奢るからっ!」
数分後。
飯に釣られたわたしは、この女生徒と共に夜道を歩いていた。
「…ところで、頼みとはなんだ?」
わたしの問いに、女生徒ははぐらかすばかりだった。
「まぁまぁ、先にご飯食べよう?あのね、この近くにあるレストランが一番お気に入りなの!」
…仕方がない。目下、今日食う飯に困っていた身としてはこれ以上なくありがたいお誘いなのだから。
「あっ、そうだ!自己紹介してなかったね!」
そう言えばそうだ。先ほどこの学園に交友は求めてないという発言をしたが、やはり最低限のことは知っておくべきであろう。
「アタシはヴァン・レムルズベル!よろしくね!」
「…ヴィルバード・アッシュだ」
会話が進まない。料理屋へと続く道が、酷く長く感じられた。
辿り着いたのは、いかにもといった感じの料理屋だった。特に凝った装飾はなく、それでいてボロい感じは一切見受けられない。典型的な、中堅飯処だ。
「いらっしゃい!」
店内は空いていた。客も二、三人くらいしかいない。
「こっちこっち!こっちに座ろう!」
促されるままに、テーブル席へと腰を下ろす。
「それで、頼みとは」
「あー、待って待って!ご飯頼んでからにしようよ!」
またはぐらかされた。
結局、わたしはパンとスープ、そしてすごく上等そうに見えるステーキを頼まされた。
奢りといっていたな。まさか金持ちなのだろうか。
「それでね、頼みっていうのは…」
わたしは息を呑む。この金持ち女生徒から、一体どんな奇天烈な頼みが飛んでくるのか。
「アタシのお兄ちゃんと、勝負してほしいのっ!」
…。
「ステーキのお客様〜?」
「わたしだ」
「はい、こちらステーキセットです〜。ごゆっくり〜」
スープも豪華だ。浮いているのはまさか、芋だろうか。嬉しい。
そして、たった今耳に飛び込んできた情報を脳が変換できていない。できていればスープの様子など観察しないだろう。美味しそうだ。
「聞いてた?」
「聞いてた」
聞いてはいた。お兄ちゃんが何だって?
「すまない。どういう経緯か、聞かせてもらえんか」
わたしはフォークをステーキに刺して、がぶりと噛み付いた。
ほどよい塩加減とあっさりとした脂が胃に心地よい。
わたしが脂を大量に摂取してももたれないことに若さの素晴らしさを感じているうちに、彼女は詳しく説明し始めた。
「お兄ちゃんって言ってるけど、アタシと学年は同じ。キミも見たことあるよ。入学初日、あの茶髪の男子と揉めてたヤツ」
わたしは記憶を遡る。茶髪と言い争っていたのは…。そうだった、あの金髪を逆立てた男。
「ああ、確かに見覚えある」
「お兄ちゃんは、すごく強いの。入学式の日にも、「僕より強い人はいないだろうね」とか言ってたし」
そうか。入学初日の問答を聞くに、彼には謙虚な印象を持っていたが。人間分からないものだ。
いや、むしろ自分の実力に圧倒的な自信があるからこそ、あんなに余裕ある態度を取れていた…ということもある、か?
「そういうことなら別に構わないが…ちなみに強さの程度は?」
聞いてから、しまったと思った。強さの尺度、つまり定規をわたしは知らない。この世界には魔物やらがいるとは聞いていたが、実際に見たことはない。
それが物差しにされたら、とんでもないことである。
「あのねー、スキル?っていうのは持ってるらしい」
その一言に、わたしの身体がピシッと固まった。
ステーキから垂れる肉汁が、皿にぽたりと落ちる。
この機会だから言わせてもらおう。
わたしが魔力の扱いが圧倒的に下手糞なのは自覚している。
そんな中で、わたしが唯一持っている『他より秀でている部分』こそがスキルなのだ。
手に入れた経緯はけして自慢できるものでなく、むしろ忌まわしいものであるが、だからといって得たものを否定するのは良いことではない。
生まれたものに罪はないというだろう?つまりそういうことだ。
で、そのお兄ちゃんとやらはスキルを持っている、と。
なるほど、かなり不利ではないか?
「むぅ…いやそれは…」
「アタシご飯奢ったよね?」
「う」
「いやー、結構ここいいとこなんだよねー。しかもそのセットメニュー、このレストランの中でもかなり値が張るんだよねーーー」
じとーっとした目で見られる。
それを持ち出されると反論できない。
「…仕方がない。わかった、やるよ。やればいいんだな?」
「いやーありがとう!これでお兄ちゃんの鼻っ柱をへし折れると思うと、今から興奮してきた!」
ヴァンとわたしは席を立ち、ヴァンの会計により無事に夕食を終えることができた。
「じゃ、マッチは来週末!学園のド真ん中でする予定だから、頑張ってねー!」
が、学園のド真ん中、だと?
それは聞いてない。
「な、おい、なんだと?が、学園のなんだって?」
彼女は振り返らず、ただ手をひらひらとさせるばかりであった。
夜道、残ったのはわたしだけ。
決められてしまったものは、仕方がない…か。
どうせこんなこったろうと思ってはいた。
思ってたならなぜ飯にホイホイと釣られたのか。
わたしは、少し前の自分を殴りたい衝動を抑えながら借家へと帰り道を辿った。




