第十話 人生の学び直し
王都立聖騎士学園。
大陸最大にして最高峰の教育機関。
わたしは、入学式に集う数多くの同年生に紛れてその大きな門を見上げていた。
門にも、ところどころにきらびやかな宝石がいくつも埋め込まれている。盗人とか現れないのだろうか。
「えー…本校に本日より御入学される皆さん…まずはおめでとうございます」
入学式は、大聖堂のようなところで行われた。奇しくもそれは、生前一度だけ行ったことのあるキリシタンの聖堂によく似ていた。
あと、少なくともわたしはちっともおめでたい気分になれない。結局家は瓦礫として処理されたため、わたしの服や生活必需品はまたゼロから揃えなければならないのだ。
帰る家もなければ、帰りを待つ家族もいない。
孤独こそはまさにこれだと、わたしは痛感した。
「えー…本校の理念として…まず!ウロボロスは悪であると…」
わたしは軽くため息をつく。ある程度予想できていたことだが、まさか本当にここまで徹底的にウロボロスが憎悪の対象になっているとは。
「えー、悪しきウロボロスと対峙した時に、確実に仕留めることができるよう!本校では武術剣術を主軸とした学びを行うことを、今一度表明させていただきます」
…まぁいい。わたしとて、ウロボロスを仕留めるという目的自体は他の生徒と何ら変わりはない。
そう考えると、わたしもただの一人の生徒だという気がしてきた。
「では…新入生、起立」
ボソボソした声で、司会が告げる。わたしは、もといわたしたちは一斉に席から立つ。
「…礼」
礼と聞くと、ついつい軍隊だったころの敬礼をしそうになる。肘を真横に張り出したところでふと礼とは一礼のあれだと気づき、慌てて礼をする。
この日から、ヴィルバード・アッシュの学園生活が始まった。
わたしはてっきり国民学校のころの経験から、教室があるものだと勘違いしていた。
入学式を終えたわたしたちが連れられたのは、わたしが思い浮かべていた教室ではなく、大学にある大講義室のようなところだった。
特に所定の席はないようで、「好きなところに座れ」という教授らしき人物の声が飛ぶ。
戸惑いながらも皆が席についたところで、講義室前部にある壇上に上がった教授がゴホン、と一つ咳払いをした。教室がしんと静まり返る。
わたしは後ろの方の席に陣取っていた。じっ、と目を凝らして教授を観察する。
四十代半ばの男、そういった印象が強かった。若干髪の毛に白色が見受けられ、目はやる気なさそうにくすんでいる。
「あー…私が聖騎士学園一年生の全体担任を務めます、サネル・リヴースです。まぁ、よろしくお願いします」
よれっ、と頭を下げる。生徒たちの間で遠慮がちな笑いがおこる。
「やる気あんのかよー、センセー!」
野次が飛ぶ。
声の主を見れば、そこにいたのはニヤついた笑いを浮かべる一人の男子生徒。茶髪を方方に遊ばせた髪形をしており、支給された制服の胸元を開けている。
正直、あまりわたしとしては好まれる格好ではない。まぁ今はそんな格好を指摘しているような場合ではないため、黙って様子を伺う。
サネル某教授は、その男子生徒に指摘をしなかった。ただ無表情で野次を受け入れている。
わたしは、教授に感心した。素晴らしい。ああいうタイプの挑発というか煽りは、相手にしないのが最上。特に揉め事は起こらない…と、思っていた。
「ちょっと、君。仮にも僕たちに知識を享受してくださる方に、その態度は失礼が過ぎるんじゃないかな?」
はるか前方、もしかすると最前列かもしれない。声の主に目をやると、その人間もまた男子生徒。
金髪で、少し逆立った髪をしている。先ほどの男子生徒は開襟していたが、逆にこの男は異常なほどきっちりと襟を首元まで留めている。
ここまで極端な服装をしている人間も珍しいものだ。
「んぁ?んだよ、お前。何偉そうにモノ言ってやがる?」
先ほどの茶髪が、不機嫌そうに返す。
「君こそなんだ。君は決して正しくはない振る舞いをしたんだ。教授、そして僕に噛みつくのはお門違いじゃないのか」
…別に、小競り合いをどうにかしてやろうというつもりはない。しかし、講義室の最後列と最前列で言い争わないでほしい。
教授の方をちらりと見ると、争い我関せずとばかりに手元の書類を眺めていた。
少し苛立った。
それは、ここ何日かで溜まりに溜まった苛立ちが一気に押し寄せてきたような。
あるいは、このあまりに愚かな問答を続ける若者に、そしてそれを止めようとしない大人に対してか。
「…どうでもいい」
ぽつり、と独り言を漏らしたつもりだったが。
わたしの声は、まるで洞窟の水場に石を投げ込んだかのように、講義室に響いた。
「あ…?」
「うん?」
二人が同時にわたしのいる方向を見る。しかしまだ誰が発言したのか特定できていないようで、その目は明確にわたしを捉えているわけではなかった。
恐らくこの二人は、典型的な「若者」だ。
こちらの不用意な発言が、売り言葉に買い言葉的な感じで新たな言い争いに発展しかねない。
だから、わたしは敢えて語らずの道を選んだ。
あの日、瓦礫の上で、月の下で。わたしの中で確かに覚醒した力の鼓動。
わたしはあれを、なんと呼んだだろうか。
わたしはあの力を、あのスキルを。
かつての我が呼び名になぞらえて、『鬼神』と呼んだ。
「…いいんじゃない?」
先代は、あの日わたしにそう言った。
「見たところ、君のスキルは単純な肉体強化だ。だけど、君はそのスキルを発している間、確かに耐え難い威圧を放出している。そしてね、君は気づいていないだろうけど。君はそれを発動しているとき、紫色の禍々しい角?みたいなのが頭から二本生えているんだ。そう考えると、その名称は適切かもね…」
わたしの身体から、紫色の闘気が立ち上がる。講義室内の空気の流れが乱れる。
わたしは、彼らを刺激しないように静かに忠告した。
「…話が進まないのだ。静かにしてくれると助かる」
誰も、喋らなかった。先ほどまで言い争っていた二人も、口を噤んだ。
少しやりすぎたかと不安になりかけた瞬間、サネル某教授がぼーっとした声をあげた。
「あー、はい。大丈夫そうですね。…とりあえずこの学園で学んでもらうことは大きく二つ…一つ、まずはどこに出しても恥ずかしくないような基礎的な学力。二つ、数多の魔物、そしてそれを凌駕する存在であるウロボロスと対等に渡り合えるだけの戦闘力。それだけです」
突然、わたしの隣に座っていた人物が肩を叩いてきた。
「…?」
「なんか、ヌルくない?ウロボロス?とかだって、どうせちょっと強い魔物みたいなものでしょ?ぜったいらくしょーだって!」
金髪を二つの尾のように分けて結んでいる女子生徒だ。
その女子生徒は特にわたしの反応を求めていなかったようで、それだけ言うと何事もなかったように前を向き直した。
「えー…まぁ。まだ入学初日ですんで。今日はこんくらいにしましょう。ええ、適宜帰っちゃって結構ですので、はい」
その言葉に、講義室内が弛緩した空気に包まれる。
一人、また一人と席を立つ。見たところ、この講義室には前方、教授が立っている踊り場のすぐ近くにしか出口がないため、皆が混雑しながら外に出ていく。
わたしもその流れに乗じて出ていこうとしたところ、後ろから遠慮がちに肩を掴まれた。
振り返ると、そこには相変わらず無表情なサネル某教授がいた。
「…君は残りたまえ」
夕方。夕日に差し込む講義室で、わたしとサネル教授は相対していた。
「…君の村で起きた災害については聞いている」
わたしは少なからず意外に思った。てっきり、先ほどの一悶着(?)によるお叱りかと思っていたのだ。
「その村で起きた災害は、ウロボロスによるものとの調査が出ている。過去、同じような手口を辿って壊滅した村を我々は幾度となく見てきた。だから、ウロボロスによるものと見て間違いあるまい」
わたしの反応をうかがいながら、サネル教授は続ける。
「我々聖騎士学園は、ウロボロスを滅殺することを目標としている。…しかしそれは、ウロボロスへの憎しみに身を堕とせ、と言っていることと同義ではない。…この意味がわかるか?」
分かる。つまり、ウロボロスを滅ぼすのは私怨によるものではなく、正義と大義に則った義務感であるべきだ、ということだろう。
言いたいことは分かる。そしてそれが合理的であることも分かる。
…しかしそのうえでも、納得などできようか。
サネル教授の持論は、つまり「何も失っていない者」の考えだ。
だから、憎しみに身を堕落させるなと言える。
身が焦がれるほどの、脳漿から足の指先までもが煮えくり返るほどの赤黒い、ある種純粋極まりないほどの憎しみを知らないから。
…いくら教授といえど、人である。
同じ人たるわたしに、それを責めることなど出来ようか。
「分かります。わたしは、義務感と正義に則ってウロボロスを滅却することを旨としています」
サネル教授は、そこで胡乱な眼差しでわたしを見つめた。
その言葉に、嘘があるか見極めるかのように。
そしてふいと目をそらすと、ぼそりと言った。
「…君は現状、家がないという状態だ。住む場所がないとなれば、それは学習するにあたって精神衛生上よろしくない」
わたしはその続きを待った。確かに、住処の取得は現在わたしの火急の課題である。
「…というわけで、特別にこの学園の近くにある空き家を無償で貸していただけることに相成った。地図を渡すから、明日からそこで生活することにしなさい」
サネルはわたしに一枚の地図を渡した。几帳面な文字で書かれた、読みやすい地図。
「契約期間は一年。それまでに新しい住処を見つけるように。では、帰ってよろしい」
わたしは、傾く太陽を背に新たな家路を急いだ。
地図に沿って、道なりに歩く。辿り着いたのは、控えめに言ってボロすぎる民家だった。
…い、いやいや、いかんいかん。
わたしは住処を与えてもらっている側なのだ。
文句は言えん。
主に苔むしたレンガで構成されたボロ屋は、一応家としての機能を果たしてはいるらしかった。
ちゃんと井戸もある。この世界にはどうやら水道というものは根本から存在しないようなので、これはありがたい。
ちょうど、古びた木の机にこれまた古びた燭台があったので、おっかなびっくり火をつける。
家の内装が明らかになった。
この世界の家はレンガまたは木で建てられていることは承知の上なので覚悟はしていたが、木の腐食が酷い。
嫌なニオイもする。
雨が降れば、もっと酷いことになるだろう。
「まずは、家をどうにかせねばならんな」
わたしはぼやき、取り敢えずこれもボロくさいベッドに横になる。
ダニやらなんやらがいたかもしれないが、そんなことも関係なしに眠りに落ちていった。
わたしの聖騎士学園生としての一日は、こうして終わりを告げた。




