episode 28 願いの叶う泉
もう少しで朝食を食い逃すほど、トータツとアノンはぐっすりと眠った。気温も低く、あいにくの曇り空が彼らの眠りを妨げなかった。
慌てて朝食を済ませた二人は、チェスカへの土産を買い、荷物をフロントに預けると、コートを着込んで灰色の街へ繰り出した。
石畳と空が同じ色だった。そんな鬱陶しい空をものともせず、街は活気に溢れていた。
トータツは雨が降らなければいい、そんなことを考えながら、少女と共に歩く街並みを楽しんでいた。
ちょうど街を一周した頃に昼となった。
街外れで見かけた、燻製の煙をくゆらす丸太作りのレストランで、店自慢の手作りハムやらハーブやらをたらふく楽しみ、昼食後は森へと向かった。
整えられた森だった。
道も歩きやすく均されていし、谷に転落せぬように洒落た欄干も付いていた。
やはり森の緑には透き通るような青い空の方が似合うのではないか。だからかも知れない。街と比べて、森は圧倒的に人が少なかった。分厚い雲に支配された曇天は、低い気温をいっそう寒々しくしていた。
しかし、アノンは暗い遊歩道をなんのわだかまりもなくどこまでも進んでいった。
木々が開き、人口の池と噴水がある広場へと出た。
見渡せども他に人はいない。聞こえてくるのはただ梢の声である。時間すら止まりそうな静かな場所だった。噴水を囲むようにベンチがある。すべて空いていた。
二人は座った。
「トータツ。わたし森が好きみたい」
「おれも好きだよ」
「よくわからないけど、とても懐かしい」
アノンは森を吸い込むように深呼吸をして言った。
「なにか思い出した?」
「……いいえ。ただそう思っただけなの」
「アノンは魔女なんじゃないの?」
「………?」
「この森に住む魔女」
「魔女? 失礼ね」
「善い魔女」
「多分違う」くすっと少女ははにかむ。
「でも、ほら、いそうじゃない? ――まだ見習い魔女でさ。それで、カバタに修行しに来てたんだけど、記憶をなくしてしまいました」
「記憶をなくした見習い魔女はトータツに助けられました。チェスカやミンツとも知り合いました。――それからどうなるの?」
「さぁ」
トータツはしらっと言ってのけた。元々思いつきで適当に言ったまでのこと。それに、自分に都合よい、幸福な未来を想像したことに羞恥を覚えた。
少女はトータツの返答に拗ねて見せ、
「無責任」
「いいんだよ。それからは、そのうちわかることじゃない」
「今知りたい」
控えめな声量ではあったが、少女にしては珍しく無理難題を言う。
トータツが立ち上がって噴水の前まで行くと、少女も後ろから付いてきた。噴水の中にはたくさんの硬貨が沈んでいた。彼はポケットからコインを二枚出して、一枚をアノンに渡した。
「お金を入れて願い事をすると叶うらしいよ。この噴水」
「トータツの言うことはインチキばかりだから、あんまり信用しないわ」
少女は笑み、悪態をつく。
コインを放ってトータツは、少女と一生仲良く出来ますように、と先ほど思った幸福な未来を願った。そして、十全の本心ではないが、少女のためとか、一般的な価値観から、少女の記憶が戻りますように、と祈ってしまった。
もちろん、記憶が戻り、なおもこの平和が失われないのなら、それに越したことはないのである。自分の願いは決して間違えてはいない。
そんな葛藤を経て、薄目を開け少女を盗み見ると、信用しないとか言った割には随分と一生懸命願い事をしているように見受けられた。少女には叶えなければならないことが多すぎるのかも知れない。
アノンは長い祈りを終え、なお不安そうに沈んだコインを眺め、
「……ねぇ、トータツはなんて願い事したの」
「おれ? おれは、アノンとずっと仲良くいられるように、と――」
「と、なに?」
「アノンの記憶が戻りますように、って」
「……そう」
少女の肩が一度震えた。
「なんてお願いしたの?」
「わたしは、……ひみつ」
彼女の瞳が陰った。が、急に不自然なほど生き生きと、
「ねぇ、戻りましょ。もう一度街を散策するの」
歩き出したアノンの姿は、一瞬前の震えが、まるでトータツの見誤りだったかのように落ち着き払っていた。
安心したものかどうか思案しながら、トータツが彼女の後を追おうとしたとき、後方から牙のような殺気に襲われ、身をかわしたはいいが二の腕を銃弾に抉られていた。
「アノン! 隠れろ!」




