episode 25 だって、券は一泊券
駅はカバタの混乱を象徴するかのように騒々しかった。
車内もそれなりに混んでいて、後ろの方まで歩き、やっとボックス席で二人でかけられるところを見つけた。
アノンを奥の窓際へやって、トータツは通路側に座った。
正面の座席には営業かなにかの身なりをした紳士が座っていた。帽子を深く被って下を向いて眠っている。
実習でレーメラへ行ってからまだ一月ほどしか経っていなかった。
レーメラにいい記憶などなにもない。レーメラなどなくなってしまった方がよほど簡単ですっきりするではないか。理不尽な考えだいうことは百も承知で、それでもなお、よほど簡単ですっきりするそれに魅力を感じずにはいられなかった。
列車は煙を吐き、ゆっくりと動き出した。
アノンは窓枠に肘をかけて、ずっと外を眺めていた。流れる景色が面白いのかも知れない。
二・三の駅を過ぎると、車内はさっと空いてしまった。前の紳士も降りて、トータツは誰はばかることなく足を投げ出すことが出来た。
「面白い? 景色」
「――うーん、面白いっていうのかしら? こういうの」少女は首を捻って、「替わる?」
「いいよ。替わらないで。――ここからでも見える」
「そう。――わたし少し眠くなってきちゃった」
車内はほどよく暖かい。座席から伝わる線路の継ぎ目の振動も心地いいものであった。トータツも欠伸を禁じ得ない。
「着いたら起こしてあげるよ」
「お願いします」
少女は正面へ向き直ると、膝で手を組み、僅かに状態を前に傾けて寝てしまった。
疲れているのであろうか。まるで起きる気配はない。気持ちよさそうに寝息を立てている。
トータツは飽くことなく、揺れる髪の隙間に浮かぶ彼女の横顔を見ていた。
緩いカーブにさしかかり、列車に仄かな遠心力が加わった。寝ている少女の体が、それに押されるように傾いて、トータツに当たって止まった。
列車が直線に戻っても、少女の頭はトータツの肩に凭れたままだった。その重みは少女の信頼そのもののような気がした。だから、トータツはその重みが嬉しかった。先ほどまで感じていた眠気はこの少女に吸い取られてしまった。
山麓を縫うようにして、列車はベイデンに到着した。
駅を降りると、時代がかった街並みが広がっていた。日が完全に落ちてはいない中に、数多くの街灯がともされていた。
歩き回りたくなってしまう。アノンだけでなくトータツも、この地は初めてであった。
空気は清澄で、カバタよりも少し暖かかった。あまり大きくはないものの、山と森に囲まれた古風にして活気溢れる街は、俗事をすっかり忘れさせてしまうような、独特の雰囲気を醸し出している。石畳の道の両脇には所狭しと観光的な商店やらレストランが並んでいた。
トータツたちが宿泊するホテルは、駅から少し離れた高台にある。洒落たレストランで食事をとって、のんびりと、街を楽しむかのように歩いた。夜の空に落ち着いた煉瓦造りの建物が浮かんでいた。
三階に案内された。来る前に懸念していた混み具合も、さほどということはなかった。部屋の作りも申し分ない。トータツが危惧をしていたベッドもちゃんと二台備わっていた。
「わっ、綺麗!」
アノンはバルコニーへ駆け寄ってその扉を開けた。
ソファーの座り心地を試していたトータツも、バルコニーへ出た。
夜の中に街灯煌めく金色の街が広がっているのを見下ろせた。
「本当だ。綺麗だね」
二人はそれを眺めていた。肘を突いて寄りかかっている手摺は、ざらつくこともなく綺麗に磨かれていた。
トータツは部屋の明かりを落としてみた。眼下の街がいっそう煌々と光を放ち始める。そのうち、空にも星が現れて、一面に広がっていった。夜が光に挟まれた。
「すごいわ」アノンが感嘆の声を漏らす。
「ずっとこうならいいのに」
横の少女に、トータツはなんの気なしにそんな台詞を言ってみた。
「無理よ」
「どうして?」
「だって、チェスカがくれた券は一泊券だもの」
少女が単なる冗談で言っているのか、それとも諷喩といして言ったのか。判然としなかったから、額面通り受け取ることにした。
「少し寒くなってきた」
「戻りましょう」
冷えた体を温めたかったから、トータツは風呂に入ろうと、着替えの入った荷物を引っ張り出して、
「お湯のプールに行こうよ。ここはなによりそれが売りなんだから」
「……一緒に入るの? わたしとトータツが」
「まさか。男女で別れてる。――あ、でも、子供はどっちに入ってもいいんじゃないかな?」
「ねぇ、わたしってそんなに幼く見える?」
「冗談」
「もう。早く行きましょう」
少女は急ぐようにして袋に自分の着替えを詰め込んでいた。
天然石のプールはなかなかだ。ガス灯に照らされたオレンジ色の湯煙に包まれ、蕩々と湯を湛え鎮座している。半分には屋根がかかっておらず、満点の星空を仰げた。
これならばきっとアノンも喜ぶだろう、と彼女が最初来た日にシャワー室から湯を溢れさせたことを思い返し、笑みを漏らしていた。
つま先から慎重に、肩まで湯に浸かった。暖かい。全身がほぐされていくのがわかる。
「――おや、これはまた異なところで」
聞き覚えのある声に目を擡げると、前方から湯を這うようにして中年が現れた。




