episode 24 旅行のチケット
明け方寒くて目が覚めた。隣にチェスカはいなかった。その代わり彼女の枕に一枚の封筒が置かれていた。
寝ぼけることもなく、すぐに頭が回り出した。
トータツは封筒を開けた。一葉のメモと二枚のチケットが入っていた。
窓のカーテンをずらしてみると、硝子の向こうには清晨の空が白んでいた。どこまでも平らで、果てしなく続く空に見えた。窓を押した。すっ、と入ってきた涼気に目を瞑った。
自然の明かりにメモ紙をかざすと、出社する旨と、タダ券をやるから、気が向いたら保養に行け、と書いてある。
長方形のチケットはカバタから列車で数時間のところにあるベイデンという保養地の一日宿泊券だった。
列車の代金も含まれている。湯が湧き出ているらしい。シャワーが止まっているのでちょうどいい。自然も豊かだと聞く。ここよりも南にあるし、気持ち暖かいかも知れない。
――アノンは来るだろうか。
まだ自分の部屋に戻るのが怖く、一階に降りて鍵を直そうとした。
今回は力任せに蹴破られていた。付け根の金具が変に曲がっているだけで、鍵はこのまま使えそうだ。この前店を修復したときの材料などがまだあまっている。奥からねじ回しを持ってきて、扉の修理をしていると、階段に足音がした。
「ここにいたの? 起きたらいなかったから」
トータツは気まずそうに振り返った。
「おはよう」
「おはよう。トータツ」
少女はトータツがいじくっている手元をのぞき込むように近づいてきた。
彼の危惧をよそに、少女の態度はあまりにも普通であった。昨日の出来事などはなにもなかったかのように。
「よく眠れた?」
トータツはにわかに嬉しくなって、そんなことを聞いた。
「ええ。疲れてたみたい」
「そう」
ねじ回しの当たる部品が動かぬように彼女は手を添えて、
「――昨日はごめんなさい」
「……なにが?」
「いろいろ」
「助けてもらって言うのものなんだけど、本当はアノンが戦うところを見たくない」
「なんで?」
少女はきょとんとして見上げた。
「なんで、って、……それは軍人の仕事だから」
「………?」
どうして彼女が戦うのを見たくないのであろうか。安っぽい虚栄心か、それとも、本当に彼女の身を案じての慈愛か。理由は判然とせずとも、それが直覚であることだけは間違いない。
直した扉を一緒に取り付けた。二度三度引いたり押したりして、しっかり付いていることを確認する。
日が差してきた。昨日の雨でほこりが流れ落ちた街は、心なしか光って見えた。
「なにか食べ物買ってくるよ」
そんな街の中を歩きたくなって、トータツはアノンを残し食料の調達へ向かった。
買いすぎたかな。パンやハム、野菜、瓶の牛乳、前が見えなくなるほどの紙袋を抱えていた。一晩隣にいたせいでチェスカの癖が移ったか。
チェスカを思い出すと、急に昨夜の出来事が気恥ずかしくなってきた。アノンに知られなくてよかった、というずるい感も起きた。
丸一日ぶりで自分の部屋に帰ると、少女がテラスにコートを干していた。脱ぎ散らかしてあった濡れたトータツの衣服も乾かしてくれていた。
戦っているよりもこっちの方がずっといい。その光景はトータツの満たされたことのない憧れの一つだった。
「乾きそう?」
「ええ。これだけお日様が当たってるから、きっと」
食い尽くせない食料を前に平和な朝餐であった。使っている皿に目をやり、水が出るまで洗えないな、と困った。
「――そうだ、アノン。チェスカさんにこれもらったんだよ」
ポケットからチケットを二枚取り出して少女に見せた。
「なに、それ?」
「ベイデンのタダ券。一日だけだけどさ。――列車乗って何時間かのところ」
「べいでん?」
「うん。有名な保養地。風光明媚――らしい」
「いいの?」
「ああ。ここは湧き水が出るから。シャワーも止まっちゃったし行くならちょうどいいよ。――混んでるかも知れないな」
アノンは今ひとつ遠慮していた。
「……わたしたちだけで行ったらチェスカに悪くない?」
「チェスカさん、忙しくて来られないんだよ。だからくれたんだ。――行こうよ。アノン、ここに来たときシャワー室にお湯を張ろうとしてたよね?」
「……しました」
「ベイデンは湯が湧き出るプールがあるんだよ」
少女は嬉しそうに顔を上げる。
さっき干したコートや服が乾いたら行くことにした。
それまで時間がある。アノンは昨日行きそびれたミンツの見舞いに行ってくるという。
トータツが、自分も一緒に行くような素振りを見せていたにもかかわらず、一人で行けるから、と婉曲に断られてしまった。
露骨に表さないだけで、彼女も一人になりたかったのかも知れない。
今はアノンのことを信頼している。こんな形でいなくなることはない、と信じている。しかし、一人で待っている間、どうにも不安でいけなかった。
少女の部屋の扉が僅かに開いていた。
失礼だとは思ってみたが、彼はそれを開けて部屋の中を見回した。
ミンツからもらった一棹のタンスとトータツが使っていたベッドが置いてあるだけだった。余分なものどころか、必要なものすら揃っていないのではないか。簡素な部屋だった。
太陽が一番上まで登り切り、完全に乾ききったかな、といったくらいに、何食わぬ顔したアノンが戻ってきた。
「ミンツさんどうだった?」
「元気よ。今日は陽気もいいし、少し外をお散歩してきたの」
「今度はおれも行くよ」
「ええ、喜ぶわ」
「――乾いてるよ」とテラスを指しす。
午後になり、一段と気温は上がっていた。この時期には珍しいぽかぽかとした陽気だった。昨日が陰鬱だった分、なおさら気持ちのいい空気だった。
「どうしよう。これ持っていった方がいいかしら?」
アノンは自身のコートを手に持って言った。
「あった方がいいかも知れない。おれも一応持ってくし」
空いた小腹に朝の残り物を詰め込んで、二人は手早く身支度を調えるとミンツ銃砲店を発った。




