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episode 16 赤い外套

 アノンが真剣な面持ちで金槌を握っている。


 慎重に、しかし、思い切りよく、人さし指と親指で挟んだ釘を打っていた。ようやくこつを掴んだらしく、自分の手を打って涙を滲ませることもなくなってきていた。


 最初は手を打ち、釘を打っても斜めに曲がり、見かねたトータツが婉曲に他のことをするように言っても一向に聞かず、細い指を赤く腫らしていた。


 それがここ三日で随分上達し、釘もまっすぐに入るようになり、店の棚は元通り、とまでは行かないものの、実用に耐えうる程度のものが出来上がっていた。


 割れた硝子や、破壊された扉なども修理を施し、明日くらいから、どうにか営業も再開出来そうだった。


「ミンツさん喜ぶよ。きっと」


「そう? じゃ、わたしミンツのお見舞いに行って報告してくる」


「たまにはおれも行くかな」


 カバタの街は昼間でも随分冷え込むようになってきた。日は照っているが、気温は日に日に低くなっている。


 ミンツは元気に明るく振る舞ってはいるものの、腰の状態は依然よくなく、あれ以来入院していた。ミンツを見舞うのは少女の日課であり、彼女が行くとミンツは喜んだ。


 彼も少女のことを心配しているようだった。襲撃の翌日、少女が謝罪に行くと、どこにも行かぬよう念を押していた。


 その後、少女が席を外したところでトータツもミンツに謝った。


 自分が連れてきた人間のせいでこんなことになった、と詫びたら、ミンツに叱責された。


 どうしてもわしにはあの子が悪い人間であるとは思えない。おまえが信じてやらずにどうする、と。


 医者の話によると、彼はあと二週間ほどで退院出来るらしい。少女はまた翌日来ることを約し、名残惜しそうな老人を残すと二人は病院を後にした。


 病院の帰り、役所によってアノンらしき捜索願が出されてはいないか調べた。渡された分厚い書類を繰るトータツの指はどこか気重で、それを眺めるアノンの顔もやはりそうだった。


 これに彼女が載っていて欲しい。願わくは、それこそシューティングスクールの優秀な生徒かなにかであること。


 しかし、一方で知らぬうちに今の生活に愛着を覚えている自分がいる。さらには、彼女を守ってやれるのは自分だけである、という奇妙な観念にトータツは促されていた。


 結局、少女のものと思われる捜索願は見つからなかった。


 日が沈んで気温はなおのこと下がった。紺に浮かび上がる街並みに、ちらほらとガス灯がともり始め、宵闇の家路を彩っている。


 トータツの横で少女は、くしゅん、と小さなくしゃみをした。下を見た拍子にかかった前髪をぶるぶると払って、少女は白い面をトータツの方へ向けて微笑んだ。


「寒い?」


「ええ。でも平気。寒いのは嫌いじゃないし」


 一軒の服屋が目に留まったとき、彼は迷わずそこに入った。なんの気なしについてきたアノンに言う。


「コート、買おう」


 少女はなんのことだかわからぬように目を泳がせた。


 思いつきをそのまま実行に移した。流石に思慮が浅かったか、自分の言葉に、トータツもどぎまぎしていた。


 それほど大きい店ではない。アノンの着れそうなコートは数着だけだった。


「好きなの選びなよ。もう冬が厳しくなる」


「……わたしのコート?」


「そうだよ」


「そんな、わるい。いるだけで迷惑かけてるのに」


 トータツは少女の頑固さを知っていたし、自分ももはや引っ込みがつかなくなっていたので、手早く店員を呼ぶと、彼女に合うコートを見繕うように頼んでしまった。


 アノンはされるがままに、取っ替え引っ替えコートを着せられいたが、その表情はなんとも硬いものであった。


 ミンツ銃砲店改築の資材を購入するため、おろした遺児年金が残っている。金の心配はない。


 トータツの心配事は、自分の行動が差し出がましくなかったか、である。


 同情を寄せるような行為が、彼女の立場を一段と哀れなものにしてしまわないだろうか。


 だが、寒いまま放っておけというのか。いずれにしろ苦渋を味わうならば、自分の思いつきが間違いではないと後悔するのはやめにした。


 店員に薦められるがまま購入した赤いコートは、少女に今までなかった別の美しさを引き出した。


 少女には年に似合わぬ峻厳とした、どこか近寄りがたい雰囲気があった。しかし、女の子らしいコートは彼女からそういう部分を取り除き、年相応の、本来の優しさを際だたせたような気がした。


 丁寧に畳んでもらい、彼女はその袋を抱えていた。


 すっかりと暗くなった空に星がいくつかあった。眠るには些か早すぎる、街は未だに賑わっていた。


 ぼんやりと明るい街灯の下で、少女は唐突に止まった。トータツは恐れながら首を巡らせる。やはり、余計なことだったか。


「……どうしたの?」


「あ……あの、これ、トータツに着せてもらいたいんだけど……」


 彼女らしくない吶々とした震え声だった。


 トータツが頷くのを待ってから、彼女はたどたどしくコートを取り出し渡した。


 トータツは受け取ったコートを持って彼女の後ろに回った。少女が上げた右腕に袖を通して、左にも通した。うなじへ襟を合わせてやった。


 その背中は彼が考えていたよりもずっと脆そうだった。


 アノンは一つ一つボタンをかけていった。そして、最後のボタンをかけ終わると、恥じらうように、


「……似合う?」


「ああ、うん」


「あったかい」存在を確認するように少女はコートの袖をなでる。「なんてお礼を言ったらいいのかわからないんだけど、……トータツ、本当にありがとう」


 それを聞いたとき、自分のしたことは間違いではなかったんだと、自然な笑みが漏れた。


 少女は感謝の意を込めてか、遠慮がちに彼の袖をつまんだ。


「ねぇ、少し歩かない?」


「うん。歩こうか」


「わたし、この街好き」


「おれだって好きだよ」


 袋まできっちりと畳んで持っている。アノンは喜んでいるらしい。


 しかし、自分はひょっとすると、そんな彼女よりももっと喜んでいたかも知れない。どちらが言い出すでもなく、二人はわざと遠回りをして帰った。

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