episode 13 奪還作戦
夕日の差し込む二階のカーテンの隙間から、実用一点張りの無骨な双眼鏡をのぞき、オンディは興奮気味の声を上げた。
「おい! ルジェ! 来てみろ! 早くっ!」
「オンディさん、もうこんなアホらしいことやめましょうよ。それよりも、ロノーム将軍を奪還する方法を、………」
ルジェはもたもたと双眼鏡を受け取り、オンディが指さす方向を見て絶句した。
「見えたか?」オンディが煙草に火を付けつつ急かす。
「……シュテイン様」双眼鏡を持つルジェの手は震えている。「……そんな、そんなことあるはずがありませんよ。シュテイン様は見事に――」
「だが、あれはシュテインだ。どこからどう見ても」
「でも、シュテイン様はオンディさんを見て気づかなかったんでしょ?」
「……ああ。まったく。眉一つ動かさなかった。――まぁ、報告を待つさ」
ルジェは双眼鏡を放そうとはしなかった。取り憑かれたようにそのシュテインという少女を眺めていた。
ミンツ銃砲店のはす向かいにある二階建ての建物にオンディやルジェを含め四人の男が勝手に入り込んでいた。家主はたまたま外出中だった。もちろん、家主がいたところで、彼らはここへ上がるつもりだった。
オンディは昨日、ミンツ銃砲店へ弾薬を買いに行ったとき、店の入り口ですれ違った少女を見て、息が詰まるほどぎょっとした。
その少女は彼の同士であり、妹のようなものでもあり、レーメラのために死んだ英雄にうり二つだった。
オンディは真偽を確かめるべく、ここに侵入し今朝からずっと見張っていた。
「――ルジェ、撤退要求のビラは出来たのか?」
あまり声をかけやすい雰囲気ではなかったが、双眼鏡をのぞいたまま固まっているルジェに、遠慮がちに言った。
「……そうですよね。僕たちがまずやらなきゃならないことはそれだ」
ルジェは双眼鏡をオンディに返すと机の上の木版をいじくり始めた。木版には鏡文字で、ウスタル軍はレーメラ領内より、速やかに撤兵云々、などが簡単に書かれていた。
「オンディさん。ロノーム将軍の解放も書きませんか? 下半分空いてるし」
「そうだな。将軍を捕らえたことをウスタルは国民に公表していない。秘密裏に殺すつもりなんだ。まだ殺されてなければ意味がある。載せといてくれ」
「わかりました」彫刻刀を握ると、ルジェはロノーム解放の一文を木版に刻み始めた。
オンディがカーテンをつまんでミンツ銃砲店をのぞくと、ちょうど少女と昨日の店員が椅子を室内に片付けているところだった。
赤く色づいたそのテラスの様子は、オンディから少女がシュテインであるという思いを薄らげてしまう。ひどく和んだ風景だった。
彼は疲れたように舌打ちをして煙草を揉み消した。
奇妙な律動を刻むノックが一階から聞こえた。すぐに一人が一階に降りて鍵を開ける。
戻ってきた偵察の報告は、確証には至らなかったものの、あの少女がシュテインであるかも知れぬという確率を上げるものだった。
少女がミンツ銃砲店へ来た日と、ウスタリカ号爆発の日は同じ。役所の探し人欄の備考には記憶が失われていると書かれていたからである。
「間違いない」オンディはこぶしを握りしめた。
「じゃ、どうするんですか?」
「もちろん、奪還する」
「いつ?」
「今夜」
「もしシュテイン様でなかったら?」
「殺す」
言った本人であるオンディさえも、表情に嫌悪を浮かべていた。
表が暗くなったので、室内では明かりが漏れぬ程度の光量でガス灯を付けていた。そんな暗がりで、ルジェは試し刷りを繰り返している。
「どうです? こんな具合で」
一枚の紙を掲げて見せる。手のみならず、腕までインクで汚していた。
オンディは腕を組んで読み、
「……いいんじゃないか。それで行こう。――千部だ。どのくらいで出来る?」
「刷るだけなら簡単ですよ。二時間もかからないでしょ」
「なら、明日の晩には新聞社に届けられるな。――顔にまで墨が付いてるぞ。洗ってきな」
ルジェは腕で顔を拭う。
「シュテイン様と泊まったホテルは浴槽が付いてたのにな」
「ほう。ルジェはシュテインを送り届けただけでなく、ホテルに泊まったのか」
「ええ。ほんの数日ですが、高級ホテルに。怪しまれないためです……――、いま、なんか疑いませんでしたか? オンディさんといえども、へんな勘ぐりは許されませんよ!」
「さぁ、なんのことやら、さっぱり」
「うっ……!」
膨れるルジェを冷やかそうかとしたとき、ごそりと一階から音がした。話し声も聞こえた。二階にいるオンディたちはすぐさま部屋の明かりを落とし静まる。
我が家へと帰ってきて、一息ついている家主たちは、ずんずんと二階へ上がってきた。話し声と足音から二人だと言うことがわかった。
壁際に隠れたオンディの部下は、家主たちがガス灯の明かりを付けるよりも早く、その喉をナイフで掻き切った。
物音一つしなかった。再びガス灯を薄く付けると、二つの死体が床に転がっていた。夫婦であろう、中年の男女であった。
部下の一人は鍵がかかっているか確認をしに一階に降りた。
「ああ、どうしよう……」ルジェが泣きそうな声を上げる。
「どうした?」
「印刷するための紙に血が付いちゃいましたよ」
床が血溜まりになっており、無造作に積んであった紙が鮮血を吸い上げていた。
ルジェはすぐに紙を椅子の上に避難させたが、一辺などは随分奥までどす黒く染まっていた。
「まぁ、しょうがない。迫力が出ていいじゃないか。二色刷りだ」
星が鮮明に見えるようになり、街が一段とひっそりしてきた頃、オンディは徐に席を立った。
「じゃ、そろそろ行こうか。――これ吸ったら」
勢いよく吸い込むオンディの煙草からは、ジリジリと焼ける音が漏れている。
乾かすために広げていた紙をルジェは手早く一つにまとめ、木版と一緒に鞄へ詰めた。
彼らは、未だ血の乾ききらぬ床を踏みしめて、部屋を出た。
「やっぱり、夜は冷えるな」
「レーメラの寒さはこんなもんじゃないですけどね」
オンディたちは、バーにでも行くかのように、ミンツ銃砲店へ向かっていた。
すると、逆の方向からも、なにやら怪しげな五・六人の集団がミンツ銃砲店の前までやってきて止まった。
止まると、大きい水筒らしきものに入った液体を銃砲店の壁にかけ始めた。
「なにやってんだ、おまえら?」
馬鹿にしたような口調でオンディがそのうちの一人に話しかけた。
怪しげなストライプのスーツは肩を揺らしてオンディの正面までくると、いきなり拳銃を抜きオンディの顎に突きつけて呟く。
「見逃してやる。消えろ」
夜の闇に銃声が木霊した。オンディが腰撓めで拳銃を発射し、目の前の男の腹を撃ち抜いた。
それが合図となり、ルジェを含む部下たちが、次の瞬間には残りの不審者を撃ち殺していた。
「行くぞ!」
オンディは皆に聞こえるように哮ると、ミンツ銃砲店の鍵穴に全弾を撃ち込んだ。弾倉を取り替えながら、鍵の壊れた扉を蹴破った。
暗さには強いオンディであったが、夜の屋内は流石にはっきりとは見えない。
「シュテイン! どこだ!? どこにいるっ!?」
「シュテイン様っ! お迎えに参上しましたっ!」
オンディが二階へ上がろうと、階段を一歩踏みしめたとき、銃弾が飛んできた。
二階で燦めいた閃光の中に昨日の店員が浮かんでいた。思った通り、ただの店員ではない。
オンディは一旦階段から退いて、斜めに二階を銃撃した。部下たちもオンディに続けと、二階への発砲を繰り返した。二階は必死に応戦しているものの、戦力の違いから、陥落するのは時間の問題と思われた。
まるで気配がしない方向から、銃弾が飛んできて、オンディの頬を掠めた。
額から冷や汗をたらりと流して、その方向を見遣ると、第二弾を放つ閃光に襲われた。光の中に彼はシュテインを見た。そのまま、彼の網膜に少女が焼き付いた。そちらへ応戦する部下の襟首を掴み、
「シュテインだ! 撃つなっ! ――シュテイン! おれだ、オンディだっ!」
少女は神業ともいうべき早さでリロードを終えると、再びオンディたちを銃撃した。
「くそっ! なんでだ!」
自分たちを撃ち殺そうとしている人間を連れて帰ることができるのか、オンディは地団駄を踏んで悔しがり、もう一度叫ぶ。
「シュテイン! おれだ! シュテインっ!」
しかし、彼の声は届いているのかさえも定かではない。周りの銃声はいっそうトーンが上がっている。
バババババババババババ!
けたたましい連射音と着弾が店内を震わす。
オンディたちは慌てて頭を低くした。頭上を通過する弾丸が根こそぎ後ろのものを吹き飛ばす。
「……なんで機関銃が!?」
ルジェが叫ぶ。
「おれに聞くな! ――退却だ! 畜生っ! おまえら、退却だっ!」
弾雨を縫うようにして、オンディたちはミンツ銃砲店から脱出した。




