episode 12 少女の特技
銃声を聞いたような気がした。夢であろうか。
トータツが薄く目を開けると、高く登った日が、窓から眩しい光を雪崩れ込ませていた。もう昼を過ぎているかも知れない。
机の上は昨日の散乱が跡形もなく綺麗に片付けられていた。シャンデリアに引っかかっている紙テープがなければ、昨日の宴会自体が夢ではなかろうかと――
パン――
再び銃声を聞いた。今度のは聞きまがうことはない。銃声である。トータツは反射的に引き出しから拳銃を取り出して、身を低くした。頭は痛かったが、靄はすべて吹き飛んだ。
廊下に出てみればなんてことはない。その銃声は地下の射撃場からしているものであった。
「バン」
後ろからアノンの声がして振り返ってみると、彼女は左手の人さし指を伸ばして鉄砲の形を作り、それをトータツへ向けていた。いたずらっぽく笑って、
「驚いた?」
「……驚いたよ」
トータツの鳥肌はまだ治まっていなかった。後ろから、バン、と言われるまで、少女の気配が一切しなかったのである。
この世にまるで気配を消してしまえる人間などが存在するのだろうか。しかも、彼女の右手には二連装の小型拳銃を握られている。
「どうしたの、それ?」
「ミンツにもらっちゃった。わたしは遠慮したんだけど、ミンツが、『もってけもってけ』って。でも、本当はすっごく欲しかったから、嬉しい!」
彼女は満開の笑みで胸に拳銃を抱きしめた。
「アノン、銃はおもちゃじゃないから」
「知ってるわ。ミンツが、もし、トータツに襲われたらこれで撃ち殺しなさい、だって」
「……おい」
「だから、襲わないでね」
少女があまりに無邪気に言うものだから、トータツはなにも言い返す気にはならなかった。
かくなる上は、ミンツに文句を言ってやろう。そう思って階段を降りていくと、アノンもついてきた。ちょうど、ミンツがよろよろ地下からはい上がってきたところだった。
「あっ! 今頃起きてきたのか? まったく、店も開けんで、使えん店員じゃな」
昨日の酒と、目覚めの銃声、アノンの襲撃で店のことはすっかり忘れていた。ミンツに文句を言うつもりで来たのに、トータツは早速謝っていた。
「……ミンツさん、腰はもういいの?」
「ああ。だいぶよくなった。さすが病院じゃて。次ぎやっちまうとまずいらしいがのう。――ところで、トータツ。アノンちゃんと勝負してみい。おったまげるぞ」
「なんの?」
「射撃に決まっておろう。おぬしもそのつもりで来たのじゃろうが?」
ミンツはトータツが手にしている拳銃を指して言った。
「………」
アノンと勝負するつもりなど毛頭ないトータツであるから、この状況と自分の気持ちのジレンマに陥った。
「アノンちゃんもトータツと勝負してみたいじゃろ。こいつはなかなかの銃使いじゃ」
「わたしは別に、構わないけど……」
あまり乗り気でないトータツを気遣ってか、少女は遠慮してるようだ。
「なあんじゃ、トータツ。負けるのが怖いのかぁ?」
「わかった。やるよ」
昨日もらった弾もあるし、射撃の訓練はするつもりでいた。あまり固辞して少女に妙な懸念を抱かせるのも大人げない。先ほど覚えた鳥肌を振り払うにもちょうどいい。
「アノン、手加減しないから」
「わたしだってしないんだから」
トータツの言葉を聞いて、アノンはくすくすっと白い歯を見せ、先頭で地下に入っていった。相変わらず異臭のする地下室で、少女は楽しそうに缶を並べてきた。
彼女がなにを使うかと思えば、あの手のひらに収まってしまいそうな小型拳銃である。いくら十五メーター先のものを狙うとはいえ、それでは当たるまい。
「よいか、二人とも」ミンツは手でコインを弄んでいる。
「いいわ」
「ああ」
「では、いくぞ!」
ミンツが天井ぎりぎりに、コインを放った。コインは回転しながら金属音を発し、地面に叩きつけられると、一際高く鳴いた。
薄暗い地下で、トータツの銃と少女の銃は同時に光った。轟音と共に、缶が跳ねるのも同時だった。
「……ど、同時じゃ」
アノンがここまでやるとは考えていなかったのか、ミンツは驚愕の表情を浮かべていた。
トータツもまた、複雑な心境で、お化けを見るように少女を見た。
「ミンツ! わたしの方が早かったわっ」
少女はあくまで勝負の結果にこだわっていた。
そうなると、トータツも黙ってはいられなく、
「おれの方が早かっただろ」
「うそ! 絶対わたしの方が早かった!」
「もう一回やればよかろうて」コインを拾ってミンツが言った。
「そうしましょ!」
「望むところ」
何度やっても結果は同じであった。どちらかが早いという明確な試合はなく、二人とも決して的を外さなかった。
十回目の勝負が終わった頃になり、地下には硝煙が立ちこめ、目も鼻も痛くなってくれば、引き分け、という形で、幕を下ろさざるを得なかった。
アノンはよほど決着が付かなかったことが不満だったらしく、
「トータツもなかなかやるわね」
などと、トータツが言おうとしていた台詞を先に言う始末であった。
トータツの部屋に戻り、銃のクリーニングを三人でしていた。
少女は自分の銃をすらすらと解体して、ミンツから借りたクリーニングキットを使い手際よく清掃を行っていた。ミンツは感心したように、
「アノンちゃん、銃のことは覚えているらしいのう」
「ええ、そうみたい」
「おれはアノンの射撃の腕にびっくりだよ。こう見えてもおれは士官学校で射撃は一等なんだ」
「どうりで上手いわけじゃ。――しかし、そのトータツと同等の腕、いや、銃の性能を考慮すればそれ以上の腕を持っているアノンちゃんは一体なにものなのじゃろうな?」
トータツの胸に一抹の不安が生まれた。射撃の腕だけではない。彼女は訓練した軍人であるトータツすら気づけなかったほど、自分の気配を消すことが出来る。
この少女が三ブロック先のパン屋の娘だ、などと言うことはありそうにない。
「きっとあれじゃな。アノンちゃんは射撃の選手かなにかじゃろうて。――トータツ。スクールを回れば彼女の素性がわかるかも知れんぞ」
「……うん」
と気のない返事をする。
トータツは少女の技にもっと抜き差しならぬものを感じていた。ただ的を早く撃つ、という技ではなく、少女は確実に的を仕留める、そういう技を使っていた気がしてならない。
つまり、少女は缶を撃つのとまったく同じ要領で人を撃つことが出来る、そんな根拠のない予感が、トータツにはどうしても出鱈目であるとは思えなかった。
銃の掃除が終わるとミンツは、少し休む、と部屋に戻った。
夕方近い穏やかな日差しが、街を鮮明にしていた。日当たりと日陰が峻別され、世界が押し流されているようだった。
トータツはアノンのためにコーヒーをいれてやった。
彼女を普通の少女だと思えなくなってしまった自分がなんともやりきれなく、話しかけることもままならずに、ただ、一滴一滴たれるコーヒーを見つめていた。
「はい」
「ありがとう」
「ちょっと苦いかも知れない」
「大丈夫。わたし二十歳だから」
コーヒーが温かいからだろうか、二人はベランダに椅子を出して外気に当たった。
街は落ち着いているようにも見えた。破片が穿った一画も、それなりに人の手が加わり、破壊されたままにはしておかなかった。
ゆっくりとした馬蹄の音を聴きながら、二人は街を見下ろしていた。
ねえ、昨日ミンツが言ったこと覚えてる?
アノンは首を動かさず、街を見つづけていた。
ミンツがわたしを自分の孫だ、とか言ってたでしょ? 絶対にそんなことはないんだけど、もしそうだったらな、ってわたし思ったの。――わたしはミンツの孫で、ここから少し離れたところに住んでいる。今は学校がお休みかなにかで、おじいちゃんの家に遊びに来てるの。それで、そこに住んでたトータツやチェスカと仲良くなって……。本当は全然違うのにね。バカみたい……。
少女はつま先でこつんと床を蹴った。
トータツはカップに残った最後の一口を口に含み、よく味わって飲み込んだ。
そうでもないよ。おれやチェスカさんと仲良くなった、って部分は間違いじゃない。
少女はなにも答えなかったが、少しだけ安心したように、もう一度つま先で床を軽くつついた。




