35歳のシンデレラ 大道芸人編 8
私は、夫の葉尊から、サングラスをもらった…
「…すまんな…葉尊…心配をかけて…」
私は、礼を言った…
すると、だ…
「…いえ、お姉さんが、喜んでくれれば…」
葉尊が、答える…
私は、相変わらず、調子のいいヤツだと、思った…
実は、この葉尊には、裏の顔がある…
私は、その裏の顔に薄々、気付いている…
が、
その事実に、この葉尊が、気付いているか、否かは、わからない…
この葉尊は、どうにも、掴みどころがない…
変な話、他人に決して、素の姿を見せない…
おそらく、その素の姿は、どすぐろいものなのだろう…
普段の爽やかな姿からは、想像もできんほど、どすぐろいものなのだろう…
私は、思った…
外見と内面の落差…
これは、どんな人間にも、少なからず、ある…
もっとも、わかりやすい例が、一見、真面目に見える男女が、自分とは、真逆のヤンキー系の男女と、付き合っている、あるいは、結婚しているとき…
要するに、真面目に見えるだけで、ホントは、中身が、ヤンキー系なのだろう…
それが、ヤンキー系と付き合うことで、バレる…
そういうことだ(笑)…
言っておくが、私は、ここで、ヤンキー系が、ダメだと、言いたいわけではない…
ただ、外見と中身が、違うといいたいだけだ…
誤解して、もらっては、困る…
私が、ここで、言いたいのは、この葉尊は、間違いなく、外見と中身が違うと言いたいだけだ…
そして、それを、葉尊のもう一つの人格である葉問は、うっすらと、私に警告している…
葉尊が、見た目と違うと、うっすらと、警告している…
が、
この矢田トモコとて、バカではない…
そんなことは、当の昔に、わかっている…
そんなことは、当の昔に、とっくにお見通しさ…
と、胸を張って、言いたかった…
私の唯一の武器である、大きな胸を張って、言いたかったのだ…
そして、葉尊との朝食が、済んでから、いよいよ、私は、マリアの通うセレブの保育園に向かうことにした…
すでに夫の葉尊は、仕事に行った…
夫の葉尊は、クールの社長…
日本の総合電機メーカー、クールの社長だ…
だから、迎えのクルマが、やって来て、それに乗って、会社に行った…
そして、妻の私は、歩いて、マリアの通うセレブの保育園に向かった…
と、言いたいところだったが、さにあらず…
クルマで、行くことにした…
なぜなら、行く場所は、セレブの保育園…
徒歩で、通う者など、皆無…
誰も、いないからだ…
だから、葉尊が、気を利かせて、会社の送迎車をよこした…
ホントは、バニラもまた、世界のトップモデルだから、クルマぐらい所有しているし、それで、私に迎えに来させることは、できる…
が、
あえて、それは、しなかった…
なぜなら、それをすれば、もしかしたら、バニラの所有するクルマだと、気付く人間が、いるかも、しれんからだ…
だから、自分のクルマは、使わない…
世界のトップモデルの一人である、まだ21歳のバニラが、実は、3歳の娘の母親であることが、世間に知られれば、まさに、スキャンダル…
仕事のダメージは、計り知れない…
だから、隠す…
だから、夫の葉尊が、言う通り、あのバニラは、実に用心深い…
用心深い、女だった…
まあ、それも、隠したいことが、あるから、用心深くなる…
それが、理由だろう…
誰でも、隠したいことが、なければ、それほど、用心深くは、ならないものだ…
真逆に、言えば、隠したいこと、知られたくないことがあるから、用心深くなる…
そういうことだろう…
私は、思った…
そして、そんなことを、考えながら、私のマンションの前で、立っていると、クルマのクラクションが、鳴った…
クラクションが、私を呼んだ…
私は、クルマの前まで、歩き、
「…ご苦労だったさ…」
と、言って、クルマに乗り込んだ…
クルマは、ベンツ…
黒いベンツだ…
実に、私にふさわしい…
クール社長夫人にふさわしい…
大企業社長夫人にふさわしい…
私は、思った…
そして、それから、私は、腕を組んだ…
威厳を出すためだ…
クール社長夫人としての威厳を出すためだ…
ホントなら、ここで、私は、葉巻をくわえたかった…
ジャイアント馬場のように、大きな葉巻を口にくわえたかった…
もちろん、威厳を出すためだ…
だが、私は、葉巻はダメだった…
タバコが、ダメだったのだ…
あの匂いがダメだったのだ…
そして、そんなことを、ボンヤリと、考えていると、
「…お姉さん…おはようございます…」
と、いう声が、どこかで、した…
私は、その声に聞き覚えがあった…
…この声は、たしか?…
私が、私の優れた頭脳をフル回転させて、考え込んでいると、今度は、助手席から、
「…矢田ちゃん…おはよう…」
と、マリアが、顔を出した…
私は、驚いた…
まさか、このクルマにマリアが乗っているとは、思わんかった…
まさか、葉尊が手配したクルマに、マリアが乗っているとは、思わんかったのだ…
ということは?
ということは、このクルマの運転手は?
私が、考え込んでいると、男物の制服を着こんだ、バニラが、運転席から、後部座席に座った私を振り返って、
「…お姉さん…今日は、よろしくお願いします…」
と、丁寧な口調で、私に挨拶した…
が、
私は、答えんかった…
返事をせんかった…
まさか、朝から、バニラに会うとは、思わんかった…
思わんかったのだ…
だから、なんと返事をしていいか、わからんかった…
ホントなら、私も、
「…おはようさ…」
と、返すところだが、それをするのは、嫌だった…
なぜなら、相手が、バニラだったからだ…
バカ、バニラだったからだ…
だから、私は、腕を組んだまま、答えんかった…
「…」
と、なにも、言わんかった…
すると、マリアが、
「…矢田ちゃん、どうして、返事をしないの?…」
と、直球で、聞いて来た…
私は、子供に罪はない…
マリアに罪はないと、思い、
「…別に理由はないさ…」
と、答えた…
「…ただ、な…」
「…ただ、なに? …矢田ちゃん?…」
「…さんざん、ひとの悪口ばかり言って、自分の都合の悪いときは、ひとを利用とする、人間は、許せんのさ…」
「…それって、誰のこと?…矢田ちゃん?…」
「…マリア…それは、ママに聞けば、いいさ…」
「…ママに?…」
「…そうさ…」
私が、答えると、マリアが、無邪気に、
「…ママ、誰のこと?…」
と、聞いた…
が、
バニラは、答えれんかった…
当たり前だ…
まさか、自分だとは、娘の前では、言えまい…
すると、
「…ねえ、ママ…誰のこと?…」
と、マリアが、繰り返し、聞いた…
が、
やはりというか…
バニラは、答えられんかった…
だから、私は、仕方なく、
「…マリア、一般論さ…」
と、助け船を出した…
「…一般論って?…」
「…どこにでもある話ということさ…マリアの知っている人間じゃないさ…」
「…そうなんだ?…」
「…そうさ…」
私は、力強く言った…
すると、だ…
私の耳に、
「…スイマセン…お姉さん…」
と、いう小さな声が聞こえてきた…
もちろん、声の主は、バニラ…
マリアの母親だ…
「…申し訳ありません…」
バニラが、続けた…
すると、マリアが、
「…ママ、誰に謝っているの?…」
と、尋ねた…
が、
バニラは、当然のことながら、答えられない…
だから、私は、
「…神様さ…」
と、マリアに、告げた…
「…ママは、神様に謝っているのさ…」
「…神様に?…」
「…そうさ…神様は、いつも、見てくれてるのさ…だから、神様に、嫌われるようなことは、しちゃ、ダメさ…」
私は、言った…
なにげなく、言ったのだ…
すると、バニラが、
「…申し訳ありませんでした…」
と、涙声で、言った…
それを、聞いて私は、
…この女にも、少しは、救いようがあるな…
…この女にも、少しは、まともな感覚があるな…
と、思った…
「…まあ、いいさ…速く走れば、いいさ…さもないと、保育園に行くのが、遅れちゃうさ…」
私が、言うと、
「…ハイ…わかりました…お姉さん…」
と、涙声で、バニラが、答えるのが、わかった…
私は、嫌な予感がした…
不気味な予感がした…
なぜなら、このバニラが、涙を流したからだ…
これは、ありえんことだった…
いや、
決して、ありえんわけではないが、滅多にない…
だから、不吉…
実に、不吉だった…
この矢田トモコの前途に、不吉な予感がした…
まさか、それが?…
後日、それが、この矢田トモコが、なぜか、大道芸人への道を歩むことになる前兆だとは、思わんかった…
思わんかったのだ(涙)…




