35歳のシンデレラ 大道芸人編 24
リンダとアムンゼンが、深刻な表情をして、悩んでいた…
が、
私は、それに、惑わされることは、なかった…
そんな大問題に、この平凡な矢田トモコが、巻き込まれることはない…
いや、
巻き込まれては、いかんかった!…
だから、二人に知られんように、ジリジリと、その場から、後ずさりして、逃げ出そうとした…
三十六計逃げるに如かず…
今、この場から、逃げ出さんことには、どうなるか、わからんかった…
この矢田の身が、どうなるか、わからんかったからだ…
だから、密かに、その場を離れようと、後ずさりした…
が、
できんかった…
できんかったのだ!…
なぜ、できんかったといえば、猿の太郎が、動かんかったからだ…
私は、すでに、何度も、説明したように、太郎の首から伸びたヒモを持っている…
太郎が、逃げ出さんように、だ…
私は、逃げようとしたが、太郎が、動かんかった…
まさか、力づくで、太郎をどうこうすることは、できん…
普段ならば、太郎の首についたヒモを少し引っ張るだけで、太郎は、私の意図をすぐさま、察して、私の思う通りに、動くのだが、それが、できんかった…
私は、なぜ、太郎が、動かんのか、すぐに、わかった…
太郎の目が、リンダに向けられていた…
男装している、リンダに、向けられていた…
本来は、絶世の美女である、リンダが、今は、男の格好をしている…
ヤンの格好をしている…
が、
太郎には、ヤンが、本当は、絶世の美女であることが、わかるのだろう…
まさに、動物の直感というやつだ…
しかも、忘れていたが、太郎も男…
猿とは、いえ、オスだ…
オス=男だ…
美人に惹かれたのかも、しれん…
とりわけ、猿は、知能が高い…
だから、人間と、同じなのかも、しれん…
人間のオス=男と、同じように、美人に惹かれたかも、しれん…
私は、そう、思った…
今さらながら、そう、思った…
そして、それは、リンダ=ヤンも、同じだったようだ…
「…なんだか、このお猿さん…私をジッと見てるわね…」
と、ポツリと呟いた…
「…まるで、私を好きになったみたい…」
リンダが、言った…
ヤン=リンダが、言った…
私は、
「…その通りさ…」
と、胸を張って言った…
私の大きな胸を張って言った…
「…これは、太郎の初恋さ…」
「…エッ? …なに? …初恋?…」
「…そうさ…」
「…ちょっと、待って、お姉さん…相手は、猿よ…どうして、猿が、人間の私を好きになるの? …しかも、初恋って?…」
「…人間も、猿も、関係ないのさ…」
「…関係ないって?…」
「…美しいものには、憧れる…それが、心理さ…」
私は、断言した…
すると、なぜか、アムンゼンも、私の言葉に、同意した…
「…わかります…」
と、深く、同意した…
「…ボクも、矢田さんと、同じ意見です…」
…そうか?…
…やはり、同じ意見か?…
私は、思った…
同時に、やはり、この男は、アラブの至宝の名前に、ふさわしいのかも、しれん…
そう、考え直した…
なぜなら、この矢田と同じ意見だからだ…
だから、私は、リンダに、
「…抱いてやれ…リンダ…」
と、声をかけた…
私の言葉に、
「…エッ?…」
と、リンダは、絶句した…
私は、そんなリンダの態度から、言葉を間違えたことに、気付いた…
そして、そんな私を、アムンゼンもまた、非難するように、見た…
だから、私は、慌てて、
「…すまん…言葉を間違えた…リンダ…太郎を抱き上げてくれ…太郎を、子供を抱くように、抱き上げてくれ…」
と、言い直した…
すると、リンダも、私の言葉に、素直に従った…
「…わかったわ…お姉さん…」
と、言って、リンダは、太郎の前に行き、
「…さあ、来なさい…」
と、言って、太郎を抱き上げた…
すると、どうだ?
太郎は、まるで、母親に抱かれるかのように、うっとりとした表情を浮かべた…
私は、それを、見て、嬉しかった…
本当は、私といっしょにいても、これまで、一切、そんな表情を見せたことがないから、もしかしたら、私はリンダに嫉妬するかも、しれんと、思った…
が、
そんな感情は、一切湧かなかった…
むしろ、嬉しかった…
太郎が、嬉しそうに、しているのを、見ているのが、嬉しかった…
これでは、まるで、母親…
私は、太郎の母親になった気分だった…
これには、正直、私も驚いた…
が、
悪い気は、せんかった…
なにしろ、太郎は、私の恩人…
いや、
猿だから、恩猿だった…
その恩猿が、なににせよ、嬉しそうにしているのを、見るのは、嬉しかった…
少しでも、太郎に恩を返した気持ちになったからだ…
そして、そんな私を、アムンゼンが、見ていたらしい…
「…矢田さんは、実に、お優しいんですね…」
と、アムンゼンが、私に言った…
私は、
「…そんなことは、ないさ…」
と、答えた…
「…でも、矢田さん…そんなに、嬉しそうな表情で…」
「…太郎には、恩があるのさ…」
「…恩…ですか?…」
「…そうさ…たとえ、人間でなく、猿でも、受けた恩を忘れちゃ、ダメさ…恩を仇で返しちゃ、ダメさ…」
私は、力強く、言った…
私の言葉を聞いて、アムンゼンは、
「…」
と、考え込んだ…
なぜか、深く、考え込んだ…
それから、
「…父と兄も、矢田さんと、同じだったら、よかったのに…」
と、ポツリと呟いた…
「…なに? …どういうことだ?…」
「…矢田さんは、恩を、忘れない…たとえ、相手が、猿でも、です…まるで、人間のように、相手が、喜ぶことを、する…なかなか、できることでは、ありません…」
「…」
「…この世界の人間が、みんな矢田さんのようならば、争いは、起きないでしょう…世界中は、いつも平和で、人々は、喜びに溢れているでしょう…」
アムンゼンが、なんとも、おおげさなことを、言った…
「…そして、それは、父も、兄も、いっしょです…」
「…なんだと? いっしょだと?…」
「…父も、兄も、矢田さんのような心を持っていれば、争わなかったと、思います…」
「…なに? …私のような心?…」
「…たとえ、相手が猿であれ、相手を思いやることが、できる心があれば、争いが、起きない…」
「…」
「…ボクは、ここ数日、矢田さんと、いっしょにいて、それを、矢田さんから、学びました…」
アムンゼンが、激白した…
アラブの至宝が、激白した…
私は、なんとも、おおげさなことを、言う男だと、思った…
なにしろ、このアムンゼンが、ここ数日、やったことといえば、猿の太郎が、大道芸をやっている最中に、自分の被った帽子を持って、観客から、金をもらうことだった…
何度も言うように、このアムンゼンは、ホントは、30歳だが、外見は、3歳にしか、見えない…
小人症だからだ…
だから、猿の太郎が、大道芸を見せている間に、自分は、それまで、被っていた帽子を手に持って、観客の前に行き、金をもらっていた…
「…坊や大変ね…」
とか、
「…しっかりと、お母さんを助けるのよ…」
とか、観客の若いお姉さんから、言われて、嬉しそうに、顔を赤らめながら、
「…ハイ…頑張ります…」
と、答えていた…
が、
その裏では、このようなことを、思っていたとは?
油断できん!…
まさに、油断できん男だった!…
言葉では、私を褒めているから、ホントは、嬉しがるところだが、なにしろ、アラブの至宝だ…
頭がいいのは、わかっている…
だから、最初から、私を褒めて、リンダに、いいところを、見せるつもりだろうと、思った…
なぜなら、私とリンダは、仲がいい…
少なくても、外見上は、仲がいい…
ホントは、私は、リンダに、心を許しては、いないが、そんなことは、アムンゼンには、わからない…
だから、単純にリンダと私が、仲がいいと、思い込んでいるアムンゼンは、私を褒めることで、リンダと、仲良くしようとしている…
まさに、将を射んと欲すればまず馬を射よ、というやつだ…
自分が、気に入った相手に取り入るには、その気に入った相手と、仲の良い、相手と仲良くなるのが、一番の早道…
要するに、友達になるには、その友達の友達と、友達になり、相手と距離感を縮める…
そういうことだ…
アムンゼンの場合も、同じだろう…
すでに、リンダとアムンゼンは、顔馴染みだが、アムンゼンは、私を褒めることに、よって、リンダと、より一層、親密になれると、計算したに違いない…
なにしろ、アラブの至宝だ…
それぐらいのことは、朝飯前だろう…
私も、最初は、それに、気付かんかったが、アムンゼンが、リンダに抱かれた太郎を羨ましそうに、見ているのを、見て、気付いた…
このアムンゼンの狙いに、気付いた…
そして、もしかしたら?
もしかしたら、その先のことも、考えているのかも、しれん…
そういえば、以前、このリンダは、このアムンゼンに、
「…リンダさんも、一度、サウジアラビアに来て下さい…」
と、言われたと、言ったことを、思い出した…
そのとき、私は、
「…バカ…それは、オマエが、口説かれているということだ…」
と、言ってやりたかったが、言わんかった…
なぜなら、このアムンゼンが、怖かったからだ…
このアムンゼンは、3歳の幼児にしか、見えんが、ホントは、サウジの権力者…
いや、
サウジアラビア一国どころか、アラブ世界の実力者の一人だ…
そのアムンゼンが、リンダを、サウジアラビアに招待するという…
それが、どんな結果をもたらすかは、火を見るより明らか…
きっと、サウジアラビアに幽閉され、アムンゼンの妾の一人として、生涯を送るに違いない…
なにしろ、ハリウッドのセックス・シンボルだ…
その美貌と色気は、半端ない…
要は、アムンゼンは、ハリウッドのセックス・シンボルを独り占めするつもりだろう…
自分のものにするつもりだろう…
私は、そう、見た…
私は、そう、睨んだ…
この矢田トモコ、35歳…
甘くみて、もらっては、困る…
舐めてもらっては、困るのだ…
アムンゼンのそのような下心が、見抜けない、矢田トモコではない…
伊達に35年生きてきたわけではない…
ただ、ボンヤリと生きてきたわけではないのだ…
だから、そこまで、考えると、やはり、逃げることが、大切だと、気付いた…
一刻も早く、この場から逃げ出して、安全圏に身を置かねば、ならん…
あらためて、そう、気付いた…




