35歳のシンデレラ 大道芸人編 22
「…色々だと?…」
私は、思わず、大きな声を出した…
それゆえ、アムンゼンが、慌てて、
「…矢田さん…太郎さんが、起きてしまいます!…」
と、言った…
私は、慌てて、太郎を見た…
太郎は、昼間の大道芸で、疲れたらしく、スヤスヤと、眠っていた…
私は、それを見て、ホッとした…
とにかく、私の中では、太郎が、一番…
この矢田とアムンゼンと、太郎の中では、太郎が、最優先だった…
例え、太郎が、猿であったとしても、最優先だった…
私は、太郎が、スヤスヤと眠っているのを、確認してから、アムンゼンと向き合った…
そして、これは、アムンゼンも、同じだった…
この矢田と同じように、太郎が、スヤスヤと、寝ていることを、確認してから、この矢田を見た…
「…アムンゼン…色々とは、なんだ?…」
私は、聞いた…
が、
アムンゼンは、答えんかった…
ただ、黙って、私の顔を見た…
が、
それを、この矢田は、咎めることは、できんかった…
どんな人間も、他人には、話せないことがある…
他人には、相談できないことが、あるからだ…
私は、思った…
だから、
「…言いたくないなら、言わなければ、いいさ…」
と、私は、言った…
「…所詮、私とオマエは、他人さ…縁もゆかりもない他人さ…それが、たまたま、今、いっしょにいるだけさ…言えないことが、あるのが、自然さ…」
「…スイマセン…矢田さん…」
と、アムンゼンが、詫びた…
だから、私は、
「…気にするな…」
と、応じた…
「…誰でも、話せんことが、ある…聞いた私が、悪かった…許せ…」
と、言った…
言いながら、私は、ふと、思った…
もしかしたら?
もしかしたら、このアムンゼン…
逃げてきたのでは?
ふと、そう思った…
そんなゴタゴタが、嫌で、本来、自分のいる場所から、逃げ出して、きたのでは?
ふと、気付いた…
だから、今、この矢田と、猿の太郎と、大道芸人の旅を続けているのでは?
ふと、そう、思った…
自分の実家である、サウジアラビアで、なにがあったかは、知らんが、この矢田と、猿の太郎と、大道芸人の旅に出れば、その間だけは、そのゴタゴタを忘れることが、できるからだ…
なにかに、夢中になれば、少なくても、その間だけは、そのゴタゴタを忘れることが、できるからだ…
そう、気付いた私は、
「…アムンゼン…オマエも色々大変だな…」
と、だけ、言った…
「…矢田さん…」
「…だがな、アムンゼン…ひとつだけ、言っておくさ…」
「…なんですか? …矢田さん?…」
「…逃げてばかりじゃ、ダメさ…」
「…どういうことですか?…」
「…いや、大変ならば、逃げても、いいさ…でも、逃げてばかりじゃ、ダメさ…」
「…」
「…どんなに逃げても、いつかは、その問題に、立ち向かわなければ、ならんのなら、逃げて、ばかりじゃ、ダメさ…」
「…だったら、どうすれば?…」
「…解決方法を見つけることさ…逃げ回っている間に、自分で考えるなり、他人様に聞くなりして、解決方法を探すことさ…そして、それが、見つかったら、さっさと、その問題と、正面から、立ち向かうことさ…」
私は、言いながら、よく、こんなことが、言えると、我ながら、思った(爆笑)…
なぜなら、そういう、この矢田自身が、今、逃げ回っている最中だったからだ…
あの、バカ、バニラと大喧嘩をして、家を飛び出した…
葉尊と住む、高級マンションを、着の身着のままで、飛び出した…
一刻も、速く、逃げるためだ…
グズグズしていれば、いつ、葉尊の父親の葉敬が、台湾から、来日するかも、しれんかったからだ…
葉敬は、私の恩人…
この矢田の恩人だった…
誰が、どう見ても、自分の息子の葉尊と、この矢田が、釣り合わないのは、わかっているにも、かかわらず、この矢田との結婚を認めてくれた…
だから、恩人…
まぎれもない、恩人だった…
だから、この矢田は、葉敬に頭が上がらんかった…
だから、本当は、葉敬の愛人である、バニラとも、仲良くせねば、ならんかったが、できんかった…
なぜなら、あのバカ、バニラは、いつも、私に歯向かうからだ…
いつも、私に立ち向かうからだった…
私は、それが、許せん…
許せんかったのだ…
これは、理屈ではない…
感情だった…
本当は、あのバカ、バニラと、仲良くせねば、ならんかったが、どうしても、仲良くできんかった…
それが、現実だった…
よく嫌いな人間でも、仲良くせねば、ならんと、世間では、言われているが、私に言わせれば、そんなものは、ウソ…
ウソに決まっている…
これは、仕事だから、嫌いな人間でも、うまくやれ!
なんて、いう人間は、いるが、それは、真っ赤なウソ…
心底、嫌いな相手と、いっしょに、仕事なんて、できるはずもない…
普通は、誰もが、逃げ出す…
それが、普通だ…
それが、当たり前だ…
いっしょに、仕事でも、なんでも、できるのならば、心底、嫌いでも、なんでも、ないのだろう…
嫌いは、嫌いでも、我慢できる嫌いに他ならない…
心底、嫌いならば、いっしょにいることに、耐えられるはずが、ないからだ(爆笑)…
すでに、何度も言ったように、この矢田も、短大を卒業後、就職もせず、さまざまな職場を転々とした…
その中で、一番、ありふれていたのは、同じ職場にいるから、なんとか、我慢するが、その人間が、その職場を辞めれば、二度と、その人間と、関わることはないと思う人間が、稀にいたということだ…
正直、稀であって、数は、少ない…
が、
ひとがどんどん辞めて行く、職場には、案外、そんな人間が、多かった(笑)…
要するに、職場の環境が悪いから、ひとの定着率が、低い…
年がら年中、人を募集している会社…
だから、どんな人間も入って来る…
高級店では、ないが、一言さん、お断りとまでは、言いたくないが、一目見て、このひとを採用するの?
と、いうような人間も、入って来る(笑)…
すると、当然のことながら、まともな人間は、さっさと、辞めてしまう…
残った人間は、そのとんでもない人間が、辞めるか、一定時間、見極めて、辞めないとわかると、自分も、転職活動を始めて、決まれば、一目散に辞めてしまう…
そんな職場を見たことがある(爆笑)…
今、思えば、いい社会勉強になったと、思った…
そして、ずっと経ってから、その職場で知り合った人間と、偶然、スーパーで、会うと、パートナーが、変わっていた…
以前、結婚していると、聞いて、見せて、もらったパートナーの写真と、違っていた…
パートナーも、その人間から、逃げ出したのだろう…
職場だろうと、家庭だろうと、嫌なものは、嫌…
そういうことだった(爆笑)…
私は、そんなことを、思い出した…
すると、
「…矢田さん…」
と、アムンゼンが、声をかけた…
「…なんだ?…」
「…いずれ、話します…でも、もう少し、待ってください…」
「…なんだと?…」
「…今は、まだ…」
アムンゼンが、力なく、答えた…
そして、太郎を見た…
スヤスヤと寝ている、猿の太郎を見た…
「…太郎さんは、幸せです…」
「…どうして、幸せなんだ?…」
「…それは、矢田さんと、いるからです…」
「…どうして、そんなことが、わかるんだ?…」
「…太郎さんの顔を見れば、わかります…」
「…」
「…人間も猿も変わりません…猫だって、犬だって、同じです…幸せなときは、幸せな表情をします…とりわけ、猿は知能が高いです…きっと、太郎さんが、大道芸を続けているのは、矢田さんを喜ばすためなんじゃないかと、ボクは、思ってます…」
「…私を喜ばすため? …そんなバカな?…」
「…いえ、ボクは、心の底から、そう思ってます…大勢のひとが、太郎さんの芸を見て、感心します…でも、その中でも、一番、嬉しそうに、しているのが、矢田さんです…」
「…なんだと? …私だと?…」
「…矢田さんが、なにより、一番、楽しそうに、太郎さんの芸を見ています…だから、きっと、太郎さんは、矢田さんを喜ばすために、一生懸命、やっているのだと、思います…」
アムンゼンが、仰天の事実を言った…
いや、
事実=真実では、ないかも、しれんが、とにかく、この矢田が、考えもせんことを、言った…
私は、悩んだ…
ホントに、そんなことが、あるのか、どうか、悩んだ…
すると、アムンゼンが、
「…もっとも、真相は、太郎さんしか、わかりませんが…」
と、付け加えた…
もっともなことだった…
「…でも、ボクは、そう思ってます…」
アムンゼンが、告げた…
「…そして、ボクは、そんな太郎さんと、矢田さんを見ているのが、好きです…」
「…なんだと? …私と太郎を見ているのが、好きだと?…」
「…ハイ…見ていて、実に、気持ちいいです…人間と猿ですが、そんな仲を超えて、友情というか、愛情が、存在しています…」
アムンゼンが、断言した…
うーむ…
私は、悩んだ…
本気か?
本気で言っているのか?
悩んだのだ…
が、
このアムンゼンは、この矢田の細い目で、見る限り、本気で、言っていた…
明らかに、本気で、言っていた…
…コイツ、もしや、頭がおかしいのかも?…
私の脳裏に、そんな言葉が、浮かんだ…
…もしかしたら、このアムンゼンをみんなが、持ち上げすぎているのでは?…
そう、思った…
世間では、よくあることだ…
例えば、会社で言えば、過去に、ヒット商品を、何度も飛ばして、社長や会長になった人間が、いたとする…
それが、今、会社が、危機的状況になったとする…
すると、当然、その社長や会長が、なんとかしてくれるとか、物凄い腹案を持っているのでは?
と、勝手に、思っている…
が、
当人には、そんなアイデアもなにもない(爆笑)…
つまりは、周囲の人間が、勝手に、そう思い込んでいるだけ…
勝手に、持ち上げているだけということが、多々ある…
それと、同じなのでは?
と、思った…
が、
私は、言わんかった…
なにも、言わんかった…
このアムンゼンが、ホントは、たいして、頭が良くなかろうと、権力を握っているのは、紛れもない、事実だからだ…
このアムンゼンが、本気になれば、この矢田など、呆気なく、この世から、抹殺される…
それだけの力があった…
この3歳の幼児にしか、見えん男にあった…
そして、それを、考えれば、この矢田は、黙るしか、なかった…
沈黙を守るしか、なかった…
このアムンゼンが、怖かったからだ…
このアムンゼンを怒らせては、いかん…
ふいに、私の脳裏に、そんな言葉が、浮かんだ…
だから、なにも、言わんかった…
この矢田トモコ、35歳…
まだ、この世に生を受けて、わずか、35年…
寿命が、100年の現代にあって、まだ35年しか、生きていない…
残りは、65年ある…
その残りの65年を捨てるわけには、いかんかった…
だから、なにも、言わんかった…
我ながら、賢明な判断だった…
が、
その賢明な判断ができん愚か者が、翌朝、このネットカフェにやって来た…
ハリウッドのセックス、シンボル、リンダ・ヘイワースだった…
ヤンという男の格好をして、突然、このネットカフェに現れた…




