35歳のシンデレラ 大道芸人編 18
「…暴力は、いけません…」
アンナと呼ばれた女が、私の腕を取って言った…
私は、動けんかった…
この女…
見かけは、華奢に見えるが、腕の力が、強かった…
私は、
「…そんなことは、わかっているさ…」
と、言いながら、このアンナという女を間近で、見た…
たしかに、間近で見ると、美人…
美人だった…
黒い縁取りのメガネをかけているから、一見、わかりづらいが、メガネの奥の瞳は、キレイだった…
思わず、息を呑むほど、キレイだったのだ…
私は、その瞳の美しさに見とれながらも、
「…離せ…」
と、言って、アンナと呼ばれた女から、私の腕を離そうとした…
「…スイマセン…」
アンナと呼ばれた女が、私に詫びた…
「…でも、暴力は、いけません…」
「…そんなことは、わかっているさ…」
「…では、どうして、この子供を殴ろうとしたんですか?…」
「…コイツの性根が、ねじ曲がっているから…叩き直して、やろうとしたのさ…」
「…性根が、ねじ曲がっている?…」
「…そうさ…」
「…でも、例え、性根が、ねじ曲がっていても、殴れば、治るものでも、ないでしょ?…」
アンナが、言った…
「…それは、そうだが…」
私は、トーンダウンした…
たしかに、言われてみれば、その通りだが、納得できんかった…
私の腹の虫が治まらんかった…
私は、その瞳の美しさに惹かれ、自分が、そのアンナと呼ばれた女に、腕を掴まれていることを、うっかり、忘れていた…
だから、もう一度、
「…離せ!…」
と、言って、強引に、アンナと呼ばれた女から、自分の腕を引き離そうとした…
すると、ようやく、
「…スイマセン…」
と、言って、私の腕を離した…
「…オマエ、誰だ?…」
私は、言ってやった…
すでに、マリアから聞いて、名前は、わかっているが、わざと、聞いたのだ…
自分から、どう名乗るか、知りたかったからだ…
「…私は、アンナ…アンナ・カレーニアと言います…」
「…アンナ・カレーニアだと?…」
どこかで、聞いたような名前だった…
私は、必死になって、自分の記憶を探したが、わからんかった…
ただ、どこかで、聞いたような名前だと、思っただけだった…
「…お姉さんは?…」
「…私は、矢田トモコさ…」
私は、名乗った…
が、
アンナと呼ばれた女は、私の名前をすでに、知っているかのようだった…
私が、自分の名前を名乗っても、なんの反応もしなかった…
これは、一体、どういうことだ?
「…なんだか、私の名前を知っているかのようだな…」
私は、言った…
って、いうか、呟いた…
呟かずには、いれんかったからだ…
「…それは、お姉さんは、有名だから…」
「…私が、有名?…」
「…35歳のシンデレラ…この日本で、そう呼ばれたんでしょ?…」
そう言われると、私は、言葉がなかった…
たしかに、その通りだったからだ…
つい半年ちょっと前に、私が、夫の葉尊と結婚したときに、日本中が、その名前で、私を呼んだ…
35歳で、無職だった私が、台湾の大富豪の一人息子と、結婚した…
平凡な庶民が、大富豪の跡取り息子と結婚した…
それは、ありえないこと…
だから、現代のシンデレラに例えて、私の年齢が、35歳だから、35歳のシンデレラと、マスコミが、名付けたのだ…
が、
それも、束の間…
すでに、半年ちょっと経った…
だから、今さらというか…
最近は、そう呼ばれたことは、ない…
だから、
「…随分、前のことさ…今さらさ…」
と、言った…
「…今さら?…」
「…そうさ…今、私をそう呼ぶひとは、いないさ…」
私が、断言すると、隣のマリアが、
「…矢田ちゃん、有名人だからね…」
と、口を挟んだ…
「…有名人だと?…」
「…そうだよ…この保育園で、矢田ちゃんを知らない者は、誰も、いないもの…」
マリアが告げた…
私は、どう答えていいか、わからんかった…
これは、怒っていいのか?
笑っていいのか、わからんかった…
「…そうです…有名人…矢田さんは、この保育園で、有名です…」
と、今度は、アムンゼンが、口を挟んだ…
すると、
「…そんな有名人と知り合いになれて、嬉しいです…」
と、アンナが、謙虚に言った…
が、
私は、額面通りには、受け取らんかった…
この矢田トモコとて、子供ではない…
このアンナが、私を尊敬しているとは、とても、思えんかった…
どうしても、思えんかった…
が、
それを、問い詰めることは、出来ん…
できんかった…
だから、
「…アンナとやら、さっさと席に戻れ…バスが、走り出すゾ…」
と、言った…
すると、
「…そうですね…お姉さん…」
と、言って、アンナと呼ばれた女は、席に戻った…
私は、やれやれと、思った…
先行き不安というか…
なんとなく、私の前途に暗雲が、漂ってきたように、思った…
根拠は、ないが、そう思わずには、いられなかった…
私は、腕を組み、
「…アンナ・カレーニアか…」
と、呟いた…
呟かずには、いれんかった…
途端に、隣のマリアが、
「…矢田ちゃん…アンナさんが、どうかしたの?…」
と、聞いた…
「…いや、どうか、したわけではないが、なんとなく、な…」
「…なんとなく、なに?…」
「…気になるのさ…」
「…どうして、気になるの?…」
「…それは…」
「…それは、アンナさんが、美人だからですか?…」
と、なぜか、アムンゼンが、口を挟んだ…
私は、頭に来た…
子供のくせに、この矢田が、真剣に悩んでいるときに、わけのわからないことを、言い出したからだ…
だから、
「…アムンゼン…冗談を言っていいときと、悪いときを考えろ…」
と、アムンゼンを注意した…
「…冗談? …なにが、冗談なんですか?…」
「…アンナが、美人だから、どうしたと言うんだ?…」
「…だって、矢田さん…美人を嫌いでしょ?…」
「…なんだと? …オマエ、どうして、そう思うんだ?…」
「…だって、矢田さんは、マリアの母親のバニラさんと、仲が、良くないでしょ? …それは、バニラさんが、美人だからでしょ?…」
「…なんだと?…」
私は、思わず、言った…
言いながら、このアムンゼン…
実は、この矢田とバニラが、犬猿の仲であることに、気付いていた、と、思った…
さすがに、アラブの至宝と呼ばれた人物だ…
とっくに、その情報を掴んでいたに違いなかった…
「…なぜ、私が、美人を嫌いなんだ?…」
「…それは、矢田さんが、美人じゃないからです…」
「…なんだと?…」
「…ひとは、自分にないものを欲しがります…例え、美人に生まれようと、もっと美人を見れば、自分も、もっと美人に生まれたかったと、思います…」
アムンゼンが、説明する…
が、
私は、許せんかった…
このアムンゼンが、この矢田の密かなコンプレックスを指摘したのが、許せんかったのだ…
すると、さらに、この矢田の傷口に塩を塗るが如く、マリアが、
「…矢田ちゃんの周りって、美人ばかりだね…」
と、アムンゼンに協力するが如く、付け加えた…
「…ママも、美人だし、リンダさんも、そう…矢田ちゃんだけ、違う…」
マリアが、断言した…
正直、限界だった…
この矢田の忍耐の限界だった…
美人が、一体、なんだと、言うんだ?
ルックスが、いいというのが、なんだと、言うんだ?
人間は、顔=ルックスじゃない…
中身だ…
中身が、問題なんだ!
中身が、重要なんだ!
と、言ってやりたかった…
私は、言葉にせんかったが、すでに、怒りで、腕が、震えていた…
いや、
腕どころでは、ない…
全身が、震えていた…
そして、その怒りに、マリアが、追い打ちをかけた…
「…だから、矢田ちゃんは、イケメンが好きなんだよね…自分が、美人じゃないから…」
この言葉がダメ出しだった…
私の中で、なにかが、プツンと、音を立てて、キレた…
それは、なんだか、わからんかった…
もしかしたら、それは、理性かも、しれんかった…
この矢田のなけなしの理性かも、しれんかった…
ふと、気付くと、私は、拳を固く握りしめていた…
そして、この固く握りしめた拳で、眼前のアムンゼンとマリアをぶちのめして、やりたかった…
引っぱたいて、やりたかった…
と、
そのときだった…
なにかが、動いた…
いや、
黒い影が動いた…
私は、その黒い影を見た…
正直、動きが、速すぎて、なんだか、わからんかった…
だから、もしかしたら、人間では、ないのかも、しれんかった…
人間なら、こんなに速くは、動けんからだ…
私は、私の細い目をさらに、細くして、その動きを見た…
すると、だ…
この矢田に挑戦するが、如く、今度は、私の近くに来た…
私は、それまで、このマリアと、アムンゼンが、私の悪口を言った、不満を吐き出すかのように、そいつを、殴ろうと、身構えた…
ボクシングのファイティングポーズで、身構えた…
が、
そいつは、この矢田を恐れることなく、私の隣に、座った…
それは、猿…
一匹の猿だった…




