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ギルドのお仕事  作者: 星野 悠里


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6/9

希望

アリシアの部屋には静寂が満ちていた。

窓から差し込む昼の陽光が、白いレースカーテンを柔らかく透かしている。


整えられた木製の机。

その上には、可愛らしい猫と熊のぬいぐるみが仲良く並んでいた。

壁には丁寧に束ねられたドライフラワー。

淡く甘い花の香りが部屋全体に漂っている。


誰が見ても分かる。

ここは女の子の部屋だ。


明るくて。

温かくて。

少しだけ可愛らしい。


その部屋の主は――今もベッドの上で眠り続けていた。


アリシア。


規則正しい寝息。

穏やかな寝顔。

ぱっと見れば、少し寝坊しているだけにも見える。


だが、その首筋に刻まれた黒い紋様だけが異様だった。


細い首から肩口へ。

まるで生き物のように絡みつく漆黒の模様。


黒蝕封環(ノワール・イクリプス)

黒衣の魔導士が残した呪い。


レヴィンはベッドの横に立ったまま、しばらく妹の顔を見つめていた。

昨日から何度も見ている。


それでも。


目を離すのが怖かった。

次に見た時には、もっと悪くなっているのではないか。

そんな考えが脳裏をよぎる。


「……アリシア」


呼んでみる。


返事はない。

分かっている。

それでも呼んでしまう。


もし目を覚ましたら。

きっとこう言うだろう。


『お兄ちゃん、そんな怖い顔してどうしたの?』


あるいは。


『あれ? 私、寝ちゃってた?』


そんな呑気な声が聞こえてきそうな気がして。

レヴィンは苦笑した。


少しだけずり落ちていた毛布を肩まで掛け直す。


「……行ってくる」


返事はない。


静かな部屋。

聞こえるのは時計の音だけだった。


レヴィンはそっと部屋を後にした――。



* * *



――時は少し遡る。


昨夜。


青霊草(せいれいそう)盗難事件は終結した。

だが、誰一人として勝利を喜べなかった。


カルディアの夜道を歩くレヴィンの背には、意識を失ったアリシアがいる。


小さな身体。

軽い。

あまりにも軽い。


普段はあれほど元気に動き回っているのに。

今はまるで人形のようだった。


隣を歩くスリアも珍しく静かだった。

いつもなら絶えず喋っている彼女が、一言も発しない。

俯きながら歩いている。


精霊である彼女は、人の感情に敏感だ。


だからこそ。

今の状況がどれほど深刻なのか理解していた。


やがて家へ辿り着く。

玄関扉が開いた。


「おかえりなさい――」


迎えに出たミレナの声が止まる。

視線は自然とアリシアへ向いた。


そして。


一瞬だけ表情が凍る。


「……アリシア?」


母親としての本能だった。


何かが起きた。

それだけは瞬時に理解した。


しかし。


ミレナは取り乱さなかった。


ゆっくり息を吸う。

そして静かに言った。


「二階へ運びましょう」


その声は少しだけ震えていた。



* * *



アリシアをベッドへ送った後。

レヴィンは部屋を出た。


「スリアちゃん、手伝ってくれる?」


「……うん」


元気のない返事。

ミレナとスリアは部屋に残る。


レヴィンは廊下で待つことしかできなかった。


扉越しに聞こえる小さな物音。

布の擦れる音。

時折聞こえるミレナの声。


何もできない。

それが一番苦しかった。


剣は振れる。

魔物とも戦える。

街だって守れる。


なのに。


一番守りたい相手を助ける方法が分からない。


拳を握る。

爪が掌へ食い込んだ。


しばらくして扉が開く。

ミレナとスリアが出てきた。


スリアはもう限界だったらしい。

眠気でふらふらしている。

けれど、それ以上に疲れが顔へ出ていた。


精神的な疲労。

大切な友人(アリシア)を失うかもしれない恐怖。


レヴィンは簡単に今日の出来事を説明した。


地下シェルター。

黒衣の魔導士。

黒蝕封環(ノワール・イクリプス)


全てを聞き終えたミレナは静かに目を閉じる。


そして。


「今日はもう遅いわ」


そう言った。


「詳しい話は明日にしましょう」


「でも――」


「レヴィン」


優しい声だった。

だが、有無を言わせない母親の声でもあった。


「今は休みなさい」


レヴィンは何も言えなくなる。


その夜。

誰も深く眠れなかった――。



* * *



──そして翌日。


昼。


リビングダイニングには重苦しい空気が流れていた。


テーブルにはアオイ、ナナミ、ハーティア、カイル。

ソファにはスリア。

キッチンカウンターの向こうにはミレナ。


そして、空席がひとつ。


誰も口にしない。

だが全員が分かっている。

本来、そこに座っているはずの少女がいないことを。


最初に立ち上がったのはカイルだった。

深く頭を下げる。


「俺のせいでこんなことになっちまって、すまねぇ!」


その横でハーティアも立ち上がる。


「申し訳ありません……」


兄妹揃って頭を下げる姿に、誰もすぐには言葉を返せなかった。


空気は重い。

重苦しいままだ。


アオイが静かに口を開いた。


「まずは、自警団で判明したことから話すわ」


そう言って、午前に行われた事情聴取について語り始めた。

アオイの声と共に、一同の視線が自然と彼女へ集まる。

普段のアオイなら、もう少し柔らかい導入をしただろう。


だが、今は違う。


この場にいる誰もが、アリシアの寝顔を見てきた。

だから余計な前置きはなかった。


「午前中、自警団でカイルの事情聴取が行われたわ」


アオイは腕を組みながら話を続ける。


「そこで、教会にいる子供達がやって来たの」


その瞬間、カイルが少しだけ目を伏せた。



* * *



――午前。


カルディア自警団詰所。

事情聴取は終盤に差し掛かっていた。

カイルは椅子に座り、自警団員の質問へ答えている。


魔素精製設備。

黒衣の魔導士。

盗難事件。


一通りの確認が終わりかけた、その時だった。

ばたばたと慌ただしい足音が廊下から響く。

扉が勢いよく開いた。


「カイルお兄ちゃん!」


数人の子供達だった。

教会で預かっている子供達。

その中の一人。

茶色の髪をした少年が前へ出る。


そして、突然深く頭を下げた。


「僕がいけないんです!」


部屋の空気が止まった。

誰も意味が分からない。

少年は泣きそうな顔で続ける。


「僕のせいなんです……!」



* * *



――それは事件が起きる少し前。


カルディア北区近くの出来事だった。


休日。


子供達はかくれんぼで遊んでいた。

よくある子供達の遊びだ。

その少年は、勝ちたい一心でどんどん奥へ進んでしまった。


気付けば見慣れない場所。

青霊草(せいれいそう)管理区域近く。

本来なら近付いてはいけない場所だった。


その時だった。

少年は見てしまう。


黒い何かを。

人のようにも見える。

だが、人ではない。


輪郭が曖昧で。

まるで煙が人の形を真似ているような存在。


思念体──黒衣の魔導士だった。


少年は恐怖で固まった。

逃げようとした。

だが、足が動かない。


黒い霧が伸びる。

身体を掴まれる。

声が出ない。

涙だけが溢れた。


その時。


「その子から離れろ!」


怒声が響いた。

駆け付けたのはカイルだった。

偶然、異変に気付いた彼が現場へ辿り着いたのだ。


黒衣の魔導士は興味深そうに首を傾げた。


『ほう』


その視線が少年からカイルへ移る。


嫌な予感がした。

カイルは理解していた。

目の前の存在は危険だ。


この子供が狙われている。


「……その子の代わりに俺がやる」


少年が顔を上げる。

黒衣の魔導士が笑う。


『代わりに?』


「ああ」


カイルは迷わなかった。


「子供を巻き込むな」


沈黙。


そして、黒い霧がゆっくりと伸びた。


『良いだろう』


それが全ての始まりだった──。



* * *



リビングダイニングに沈黙が落ちていた。


カイルは拳を握り締めていた。


「……結果的に利用された」


自嘲気味に笑う。


「格好つかねぇよな」


その声には後悔が滲んでいた。

レヴィンは静かに首を振る。


「あれは仕方なかった」


真っ直ぐな言葉だった。


「俺でも同じことをした」


スリアも頷く。

ミレナも複雑そうな表情で微笑んだ。

責める者は誰もいない。


むしろ。


誰もが理解していた。

カイルもまた被害者だったのだと。


重くなった空気を変えるように、ナナミが口を開いた。


「そういえばさ」


頬杖をつく。


「昨日の地下の設備だけど」


「うん?」


「あんな、どこにでもあるような物で精製なんて出来るだね?」


「私も驚いたわ」


アオイも同意する。


「精製方法なんて聞いたこともなかった」


青霊草(せいれいそう)で魔素精製が出来ることは知っていた。

だが、精製方法は情報漏洩防止のため、一部の上層部しか知らない。


すると。


「音を使うんだ」


ふいにカイルが答えた。

一同の視線が集まる。


「音?」


ハーティアが首を傾げる。

カイルは頷いた。


静鳴歪化(せいめいいか)っていう技術だ」


聞き慣れない言葉だった。


「この精製法最大の条件は“残響以外の音を存在させないこと”」


一同が顔を見合わせる。

カイルは続けた。


「地上では“世界の音(ざつおん)”が多すぎる。…だから、地下シェルターを使った」


確かに、あそこほど静かな場所はない。

封鎖中とあれば、なおさらだ。


青霊草(せいれいそう)を細裂きにし、鉄皿へ円状に並べる。そして、中央へ水盆。これは空気振動を安定化させるため」


一同が聞き入る。


「部屋の中央へ吊るした金属鐘を、一度だけ鳴らす。たった一回」


カイルは指先で机を軽く叩いた。


「その後は、完全沈黙」


指を口に添えて俯く者。

腕を組みながら空を見る者。

一同はカイルの説明を聞きながらシミュレートしていた。


青霊草(せいれいそう)内部の高純度マナは“最後に受けた音”を内部残響として保持する性質を持つ。静寂空間では、その残響が減衰せず、長時間内部反射を繰り返す。」


だんだんと、答えが見えてくる。


「すると、内部循環が少しずつ歪み始め、やがてマナが“正常形状”を維持できなくなる」


レヴィンが眉をひそめる。


「それが魔素か」


「ああ。全部、アイツの入れ知恵だけどな」


カイルは頷く。


崩壊したマナ。

魔素。


その説明を聞きながら、全員の表情が少しずつ険しくなっていく。

理論は理解できた。


だが。


理解できたからこそ危険性も分かる。


「……悪用されたらまずいな」


レヴィンが呟く。

アオイは静かに頷いた。


「だからお願いがあるわ」


全員を見る。


「この事は他言無用で」


真剣な声だった。


「模倣する人間が現れたら取り返しがつかない」


誰も異論はなかった。

アリシアの姿が脳裏を過ったからだ。


全員が静かに頷く。



* * *



再び本題へ戻る。


黒蝕封環(ノワール・イクリプス)


部屋の空気が自然と重くなった。

最初に口を開いたのはハーティアだった。


「……黒蝕封環(ノワール・イクリプス)


その言葉だけでレヴィンの拳が僅かに握られる。


「知っているのか?」


問い掛ける。

ハーティアは小さく頷いた。


「少しだけ」


そして言葉を選びながら続ける。


「禁忌…。呪法です」


その場の空気が冷える。


「あれは、対象者とマナの接続を断つ封印術」


レヴィンは思わず顔を上げる。


「接続?」


「はい」


ハーティアの表情も苦しかった。


「マナと魂を結ぶ経路を封じる呪法です」


つまり、魔法が使えない。

という単純な話ではない。


アリシアという存在そのものから、マナとの繋がりが奪われている。


だから目覚めない。

だから反応しない。


レヴィンの胸が締め付けられる。


「解呪は?」


ハーティアは申し訳なさそうに首を振る。


「ごめんなさい……」


声が震える。


「私の力では……」


沈黙。


レヴィンは隣のカイルを見る。

だが、カイルも俯いた。


「すまねぇ」


腰のショットガンへ軽く触れる。


「俺は悪霊退治こっちの方が専門だ」


空気が再び沈む。

誰も言葉を発しない。

ただ重い沈黙だけが流れていた。


重苦しい沈黙が部屋を支配する。

時計の針の音だけが妙に大きく聞こえた。


誰も悪くない。

誰も諦めたくない。


だからこそ苦しい。


解決方法が見えないという事実だけが、全員の心を少しずつ削っていた。

そんな空気を変えたのはナナミだった。


「それにしてもさ」


わざと明るい声を出す。

全員の視線が向く。


「レヴィンって結構すごいことしたよね?」


「……何がだ?」


「何がって」


ナナミは肩を竦める。


「あの黒い奴、倒したじゃん」


黒衣の魔導士。

思念体。

あの異様な存在。


誰もが忘れられない相手だった。


「普通に考えておかしいからね?」


ナナミが言う。


「思念体なんて私達じゃどうにもならないし」


「確かに」


アオイも頷く。

昨日の戦いを思い出しているのだろう。


レヴィンは少しだけ視線を落とした。

腰に掛けているシグムンドへ手を添える。


「……俺の力じゃない」


静かな声だった。


「ココのお陰だ」


その言葉にスリアが頷く。


「うん」


彼女も知っている。

長い付き合いだ。


シグムンドへ宿る戦乙女の精霊、ココ。


「アイツの精神は断った」


レヴィンは続ける。


「精神の死は、魂の死だ」


誰も口を挟まない。


「仮に肉体が残っていたとしても」


一拍置く。


「今頃は、もぬけの殻だろう」


植物状態。


誰もその言葉を口にはしなかったが、意味は理解した。


黒衣の魔導士は消えた。

少なくとも、あの思念体は。


だが。


それでもアリシアは目覚めない。


その事実だけは変わらなかった──。


再び沈黙が落ちる。

誰も次の言葉を探していた。


その時だった。


ソファに座っていたスリアが突然顔を上げる。


「あっ!」


全員がびくりとする。

スリア本人も驚いた顔をしていた。


「……そうだ!」


勢いよく立ち上がる。


「アイハ!」


「アイハ?」


レヴィンが首を傾げる。

聞き覚えのない名前だった。


「うん!」


スリアの瞳が僅かに輝く。


「アイハなら何か分かるかもしれない!」


部屋の空気が変わる。

絶望しかなかった場所へ、小さな光が差し込んだようだった。


「誰なんだ?」


レヴィンが問う。

スリアは当然のように答える。


「世界樹の森を守ってる精霊」


世界樹。


世界中央に存在する超巨大樹。

世界そのものを支えるとまで言われる神域。

その周囲に広がる世界樹の森。


そして、そこを守護する精霊。


「深緑の精霊、アイハ」


スリアは真剣だった。

普段の彼女からは珍しいほどに。


「アイハなら世界樹の恩恵を使える」


「恩恵……?」


ハーティアが小さく呟く。


「エルフはね…」


スリアはゆっくり説明する。


「昔、世界樹から生まれたんだよ」


神話にも残る話だ。


「だから、世界樹には生命と魂に関する力があるの」


全員が耳を傾ける。


黒蝕封環(ノワール・イクリプス)を解けるかは分からないけど…」


一度言葉を区切る。


「でも」


そして真っ直ぐレヴィンを見る。


「今ある希望の中では、一番可能性があると思うの」


レヴィンは拳を握る。


藁にも縋る思いだった。

それでも構わない。

可能性があるなら。


どこへでも行く。


「行こう」


即答だった。


「世界樹の森へ」


しかし。


「待って」


アオイが割って入る。

全員が彼女を見る。


「世界樹の森は誰でも簡単に入れる場所じゃないわ」


レヴィンが眉をひそめた。


「許可が必要なのか」


「ええ」


アオイは頷く。


「セントラルで発行される正式許可証」


それだけでも面倒そうだった。

だが、続く言葉はもっと重い。


「取り寄せるのは簡単じゃない」


空気が再び沈む。


神域。


当然といえば当然だった。

そう簡単に立ち入れる場所ではない。


「……そうか」


レヴィンが小さく息を吐く。


せっかく見えた希望。

それがまた遠ざかったように感じた。


その時。


「私に伝手があるわ」


柔らかな声が響いた。

全員が一斉に振り返る。

キッチンカウンターの向こう。


ミレナだった。


「え?」


ナナミが目を瞬く。

ミレナは微笑んでいる。


「昔ね」


少し懐かしそうな顔。


「セントラルの領主館で働いていたの」


沈黙。


数秒。


全員の思考が停止する。


「……え?」


レヴィンが最初だった。


「えぇぇぇぇ!?」


次にナナミ。


「領主館!?」


ハーティアも驚いている。

スリアですら目を丸くしていた。


「ミレナ、そんなこと一回も言ってなかったよ!?」


「話す機会がなかったもの」


ミレナは苦笑する。


だが、全員の驚きは収まらない。


カルディアの優しいお母さん。

そんなイメージしかなかったからだ。


「紹介状を書いてあげるわ」


ミレナは続ける。


「それを持って行きなさい」


その言葉に。

部屋の空気が一気に変わった。


希望が繋がった。


今度こそ。


確かな形で──。



* * *



昼食後。


慌ただしく準備が進む。


旅支度。

保存食。

水筒。

替えの衣服。


必要最低限の荷物。


アオイとナナミはカルディアへ残る事になった。

事件の後処理がある。

自警団との連携も必要だ。


「任せたわよ」


アオイが言う。


「ああ」


レヴィンは頷く。


自宅前。

穏やかな風が吹いていた。


ミレナから紹介状を受け取る。

丁寧に封蝋された一通の書状。


「気を付けてね」


「行ってくる」


短いやり取り。

だが互いの想いは十分伝わっていた。


スリアが前へ出る。

両手を胸の前で重ねた。


風が集まる。

柔らかな緑の光。


「――風飛翔(レイウィング)


風の精霊魔法。


次の瞬間。


レヴィン達の身体がふわりと浮き上がる。

足が地面から離れる感覚。

何度経験しても慣れない。


空へ続く旅が始まる。


中央都市セントラル。


そして。


世界樹の森へ向けて──。


カルディアの街並みが少しずつ遠ざかっていく。


屋根。

運河。

港。

見慣れた景色。


それらが小さくなっていく様子を、レヴィンは黙って見つめていた。


風飛翔(レイウィング)による長距離移動。

スリアの精霊魔法は非常に優秀だが、万能ではない。

飛行速度も高度も安定している反面、術者の負担は決して軽くない。


特に今回は四人分だ。

スリアもかなり集中している。


風が身体を包む。

頬を撫でる上空の空気は地上よりも冷たかった。


眼下には広大な緑が広がっている。


森。

草原。

川。

遠くには山脈も見えた。


カルディア周辺しか知らない人間が見れば、それだけで旅に出たくなるような景色だった。


「綺麗ですね……」


ハーティアが小さく呟く。

その横でカイルも頷いた。


「あぁ」


巡礼者である二人は旅慣れている。

それでも、この景色は何度見ても飽きないのだろう。


しばらく飛行を続けた頃。


「……むぅ」


スリアの眉がぴくりと動く。

レヴィンが心配して声を掛けた。


「スリア?」


「だいじょーぶ」


即答だった。

だが怪しい。


「本当にか?」


「うん」


数秒後。


「……ちょっと休憩」


やっぱりだった。


小さな泉のある草原へ降り立つ。


青空の下。

透明な水面が陽光を反射して輝いていた。


スリアは近くの岩へ腰掛ける。

額にはうっすら汗が浮かんでいた。

さすがに四人同時飛行は疲れるらしい。


ハーティアが水筒を差し出す。


「どうぞ」


「ありがとー」


スリアは両手で受け取る。

そして、ごくごくと飲み始めた。

その様子を見ながらレヴィンは空を見上げる。


青い。


どこまでも青かった。

こんな穏やかな景色を見ていると。

昨日の出来事が嘘のように思える。


だが。


脳裏にはアリシアの寝顔が浮かぶ。

首筋に刻まれた黒い紋様。

静かな寝息。

返事のない呼び掛け。


胸が少し痛んだ。


「……助けないとな」


誰に言うでもなく呟く。


すると。


「助かるさ」


隣から声がした。

カイルだった。

レヴィンは視線を向ける。

カイルは泉を見ながら続けた。


「妹さん、強いからな」


その言葉に少しだけ笑みが浮かぶ。


確かに。

アリシアは簡単に諦めるような人間ではない。


だからこそ。


助けなければならない。


──再び空へ。


太陽は西へ傾き始めていた。

長い飛行。


やがて。


地平線の向こうに巨大な影が見え始める。


「見えたぁ」


スリアが声を上げる。

レヴィンも目を細めた。


中央都市セントラル。


世界最大級の都市。

人類圏の中心。

無数の灯りが夕闇の中で輝いている。

近付くにつれ、その巨大さが分かる。


高い外壁。

幾重にも張り巡らされた街道。

運河。

塔。

広場。


そして人の営み。


全てがカルディアとは桁違いだった。



* * *



──夜。


セントラル中央広場。


人、人、人。

夜になっても街は眠らない。

露店の呼び込み。

楽師の演奏。

商人達の値段交渉。

馬車の往来。

様々な音が混ざり合っている。


まるで巨大な生き物の腹の中にいるようだった。


レヴィンは小さく息を吐く。


「相変わらず落ち着かないな」


以前ギルドの引き継ぎで訪れた事はある。

だが、好きにはなれない。


人が多すぎる。

情報が多すぎる。

カルディアの方が落ち着く。


すると隣から声がした。


「わかる」


スリアだった。


「カルディアがいい」


真顔だった。


ハーティアが苦笑する。


「都会が苦手なんですね」


「大嫌い」


迷いのない返事だった。

少しだけ空気が和む。


それだけでありがたかった──。


その後、一行は宿屋へ向かった。


石造りの三階建て。

旅人向けとしてはかなり大きい部類だ。

一階には食堂が併設されている。

木の香りがする温かな内装。

長旅の疲れを癒すには十分だった。


席へ案内される。

テーブルの上へ次々と料理が並んでいく。


香草焼きの鶏肉。

具沢山の野菜スープ。

焼き立ての丸パン。

川魚の香草蒸し。

果実酒。

そして果汁水。


空腹だった事もあり、全員よく食べた。

特にスリアは。


「おいしい♪」


幸せそうだった。

昼間の疲労がかなり回復したらしい。


──食後。


部屋割りが決まる。


レヴィンとカイル。

スリアとハーティア。

男女で自然と分かれた。


レヴィン達の部屋は二人部屋だった。

窓の外には夜のセントラル。

無数の灯りが広がっている。


しかし。


部屋の中は妙に静かだった。

互いに何を話せばいいか分からない。


そんな空気。


先に口を開いたのはカイルだった。


「……妹さん」


レヴィンが振り向く。


「大事なんだな」


当たり前の質問だった。


「大事だよ」


レヴィンは即答した。


「家族だからな」


沈黙。


少しして、カイルが苦く笑う。


「俺も同じだ」


窓の外を見る。


「ハーティアは昔から身体が弱くてな」


レヴィンは黙って聞いていた。


「だから、余計に心配だった」


兄として。

守る側として。


その気持ちは痛いほど分かる。


「……守れなかった」


カイルの声が小さくなる。

レヴィンは首を振った。


「違う」


短く言う。


「お前は守った」


カイルが顔を上げる。


「子供達も。ハーティアも。結果的に利用されたとしても」


レヴィンは続けた。


「守ろうとした事実は消えない」


部屋が静かになる。


しばらくして。

カイルは苦笑した。


「不思議だな」


「何がだ?」


「少し楽になった」


その言葉に。


レヴィンも僅かに笑った。

兄同士だから分かる事もある。


そんな夜だった──。


一方、その頃。

隣室。

スリアはベッドへ倒れ込んでいた。


「つかれたぁぁぁ……」


完全に溶けている。

ハーティアが苦笑する。


「お疲れ様でした」


「むり」


「まだ何も終わってませんよ?」


「むりぃ」


ベッドへ顔を埋めるスリア。

しかし、その顔は少しだけ穏やかだった。


希望が見えたから。


アリシアを助けられるかもしれない。

その可能性があるから。


だから。


明日も頑張れる。


窓の外ではセントラルの灯りが静かに瞬いていた。

長い一日が終わる。

世界樹の森への旅は、いよいよ本番を迎えようとしていた──。

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