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ギルドのお仕事  作者: 星野 悠里


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5/9

黒蝕封環(ノワール・イクリプス)

階段を降りるたび、空気は冷たくなっていった。

壁に取り付けられた古い燭台には、いくつか新しい蝋燭が灯されている。

それが、この場所が“今も使われている”ことを何より雄弁に語っていた。


「……誰かいる」


ナナミが小さく呟く。


床には足跡。

壁際には、何かを運んだような擦れ跡。

そして、通路を進むほどに、香りが強まっていく。


青霊草(せいれいそう)の匂いだ。


レヴィンは表情を引き締めた。


「間違いない。ここで何かしてる」


狭い通路を進む。

蝋燭の火が揺れ、通路の奥を赤く染めた。


やがて辿り着いた最深部で、一行は息を呑む。


「……これって」


アリシアの声が、震えた。


そこには、積み上げられた大量の青霊草(せいれいそう)があった。

しかも、ただ山積みにされているだけではない。

その周囲には、器具がいくつも並んでいる。


試験管。

鉄皿。

水が入った(かめ)

金属鐘なんて物まである。


そして、まだ完全には仕上がっていないであろう、淡黒い靄。


「これは……魔素……?」


アオイが呟く。


青霊草(せいれいそう)を盗んでた理由は、これか」


レヴィンは、目の前の光景を見据える。


青霊草(せいれいそう)は特殊な方法で精製すると魔素になる。

つまり、この地下では盗まれた資源を使って、魔素を精製していた。

ただの盗難ではない。

これは、明確な意図を持った準備だ。


「何のために……」


アリシアが踏み出す。


その時だった。


「……っ!」


スリアがアリシアの袖を掴んで制す。


──パァン!!


銃声と共に、足元の床が抉れる。


「……来るんじゃ…ねぇ…!」


暗がりの奥から、低い声が響いてきた。

全員の視線が、一斉にそちらへ向く。


そこに立っていたのは、黒いローブの男だった。


カイル。


その目に宿る色は鋭く、どこか壊れかけていた。


「兄さん……?」


ハーティアが息を呑む。

その声には、驚きと、信じたくないという感情が混ざっていた。


「ハーティア…か…?」


カイルは、わずかに肩を震わせた。

だが、それは動揺ではない。

むしろ、理性の糸をぎりぎりで保っているような、危うい揺れだった。


「来るな、ハーティア」


低く、掠れた声。


「兄さん、どうして……っ」


「来るなと言った!」


カイルの声が、突然荒れる。

次の瞬間、彼は懐からショットガンを抜き、躊躇なく引き金を引いた。


轟音。


床が吹き飛ぶ。


「っ!」


レヴィン達が咄嗟に飛び退く。

破片が散り、石床に穴が空いた。


「本気で撃ってくるなんて……!」


ナナミが叫ぶ。

ハーティアはその場に固まったまま、震える瞳で兄を見ていた。


「兄さん……どうして……」


だがカイルは答えない。

まるで、彼自身が何かに操られているように。


「……下がって、ハーティア」


アオイが庇うように前へ出る。

レヴィンはすでにシグムンドへ手を掛けていた。


「スリア、頼む」


「うん!」


スリアは頷くと、すぐさま動く。


(ミサイル)障壁(プロテクション)」。


シェルター内の空気が震え、目に見えぬ壁が展開された。


間髪を要れず、カイルは引き金を引く。

幾重もの風壁が飛来した散弾を押し返し、軌道を逸らした。


「…何か、使えるものは?」


アリシアは周囲を見渡す。

彼女の視線は、戦場そのものを見ていた。


「蝋燭の火。それにこの空気……風も回ってる」


その瞳が、僅かに鋭くなる。

緊張していないわけではない。

けれど、戦うと決めた時のアリシアは強い。


(──よし。いける)


アリシアは両掌を向かい合わせた。


火のマナが揺れる。

風のマナがそれを押し上げる。


掌でマナが紡がれ、地下の空気が一瞬だけ熱を帯びた。


火球(ファイアボール)!」


放たれた火球は、炎そのものでは終わらない。

風を纏い、加速し、カイルの足元へ炸裂する。


爆炎。


「くっ……!」


衝撃でカイルの身体がわずかに仰け反る。

レヴィンはその隙を逃さない。


「今だ!」


一気に踏み込む。

シグムンドの刃が閃こうとした、その時――。


黒い魔力が、闇の奥から飛来した。


空気が変質する。

温度が落ちる。


それは、ただの魔法ではなかった。

より濃く、より冷たい、嫌な何か。


レヴィンの背筋に、ぞくりとした感覚が走る。


闇が、形を持って集まり始めていた。

そこにいるのは、ただの敵ではない。

“もっと奥”から来た何かだ。

そう理解した瞬間、地下シェルターの空気は、完全に別のものへ変わった。


さっきまでただの冷たい闇だった場所が、今はもっと薄汚く、もっと嫌な重みを帯びている。

肌を撫でるだけで、何か大事なものが削られていくような――そんな感覚すらあった。


「……っ、何だ、この感じ」


レヴィンが剣を構え直す。


闇の奥から滲んだ黒い魔力は、床へ落ちるより先に霧となって広がり、地下通路の隅々へまとわりついていく。


その中心に、ひとつの影が立っていた。


黒いローブ。


だが、先ほどまでのカイルとは違う。

輪郭はどこか曖昧で、足元は床に触れていないようにも見える。人の形をしているのに、人ではない。


アオイが目を細めた。


「……思念…体?」


影が、かすかな笑みを浮かべるように揺れた。


「ご名答」


低い声だった。

耳に入るだけで、体温が数度下がるような声音。


レヴィンは、カイルを一瞬だけ見た。


男は床へ膝をつき、苦しげに肩で息をしている。

意識があるのかないのかも曖昧だった。

だが、今この場を動かしているのは、彼ではない。


目の前の黒い存在だ。


「……お前が、全ての元凶か」


レヴィンの声は低かった。


「盗難事件も、青霊草(せいれいそう)も、カイルも」


「そうだとも」


思念体──黒衣の魔導士は淡々と答える。


青霊草(せいれいそう)は魔素の媒質として優秀でね。あれを集め、精製し、蓄積する…」


「魔素……研究してたってこと?」


アオイが身構えたまま問う。


「研究、か」


黒衣の魔導士は小さく笑う。


「そう言ってもいい。それに、私は知りたかったのだ。人が、どこまで耐えられるのか。どこまで壊れるのか」


その言葉には、狂気があった。

それも激情ではない。

静かで、冷え切っていて、だからこそ恐ろしい狂気だ。


「……気持ち悪い」


ナナミが吐き捨てる。


「人を実験みたいに言うな!」


「実験だ」


即答だった。


「未完成の計画を完成させるためには、試すしかない。私はただ、その過程に立ち会っているだけだ」


ハーティアが、はっとして顔を上げる。


「……兄さんを、使ったの?」


「使った?」


黒衣の魔導士は薄く首を傾けた。


「いや、彼は自ら望んだのだよ。絶望した心は、とても扱いやすい」


「嘘よ!」


ハーティアが声を震わせる。


「兄さんはそんな人じゃない!」


「だったら、確かめるといい」


黒衣の魔導士は、片手を持ち上げた。

その瞬間、淡黒い靄が、ひとつ、ふたつと鈍く光り出す。


「来い」


短い命令。

すると、淡黒い靄が霧状に噴き上がり、形を得る。


歪んだ腕。

裂けた口。

目のない顔。


魔素で作られた魔物だ。


「っ、増えた!?」


アリシアが息を呑む。


「前衛、俺とアオイ、ナナミで受ける! アリシア、スリア、後衛を頼む!」


レヴィンが声を張る。


「了解!」


返事と同時に、戦いが始まった。



* * *



最初に動いたのはレヴィンだった。

シグムンドが淡く輝く。

光が刀身をなぞり、ココの意志が重なるように刃先へ流れ込んでいく。


『いくぞ、レヴィン』


脳裏に響くのは、凛々しい精霊の声。


常時発動型の『身体強化(オート・ブースト)』が、彼の筋肉へ自然な加速を与えた。


踏み込み。


一閃。


魔物の腕が切り裂かれ、黒い霧へ戻る。


その隣では、アオイが静かなまま敵の懐へ入っていた。

月下美人が抜き放たれる。


鋭い抜刀。


銀の軌跡が、魔物の首元を断つ。


「斬りやすい相手ね」


表情ひとつ変えず、彼女は次の敵へ視線を送った。


ナナミは正反対だった。


「うわ、気持ち悪っ……!」


嫌そうに言いながらも、動きは速い。

ベク・ド・コルバンが大きく振るわれ、斧刃が魔物の胸を砕く。

薙ぎ払い、刺突、引っ掛け、を得意とする変則機動型武装。


「数で来るならこっちも遠慮しない!」


まるで嵐だった。

三人の前衛が敵の進行を止める間、スリアは後方で両手を広げる。

透明な風壁が何層にも重なり、魔物の飛びかかりを弾いた。


「こっち来ないで!」


普段はふわふわしている声なのに、今は真剣そのものだった。

風の流れを読む瞳が鋭い。

攻撃そのものは得意ではなくとも、守る力では誰よりも頼もしい。


「レヴィンさん、危ない!」


ハーティアが叫ぶ。

その声に、魔物と対峙していたレヴィンが、はっと後ろを見る。


──パッ、パァン!


ハーティアが双銃を、両手に構えていた。

デュアルハンドガン。


腰のホルスターから抜かれた銃口が、魔物へ向けられる。


撃つ。連射。


乾いた銃声が反響し、魔物の動きを鈍らせる。


「助かる!」


レヴィンの一閃。

黒い霧へと化す魔物。


(隙ができた!)


その一瞬を、アリシアは見逃さなかった。

彼女の視線は、すでに地下全体へ広がっている。


蝋燭の炎。

回る風。

飛び交う塵。

足元に残る湿気。


すべてが、ひとつの魔法へ収束できる材料だった。


「……いける」


小さく呟く。


火のマナを起こす。

風のマナを重ねる。

そこへ、地のマナとほんの少しの水のマナ。


揺れる蝋燭の火を導線にして、マナを紡いでいく。


彼女の才能は、ただ魔法を放つことではない。

環境を読んで、最も効率的に、最も確実に、力を通すことだ。


掌を前へ突き出す。


雷撃(ライトニングボルト)!」


様々なマナを媒介にして発現した雷が、地下を一直線に駆け抜けた。


白い閃光。


轟音。


魔物群が一斉に焼き切られ、黒い霧となって霧散する。


「っ、やった……!」


アリシアの息が荒い。

だが、その瞳には確かな手応えがあった。


マナ魔法は、ただの力ではない。

世界にある流れを繋ぎ直す技術だ。


その感覚が、彼女の中で確かに芽吹いていた。


そして、雷光に巻き込まれたカイルが大きくよろめく。


「今だ!」


そのままレヴィンが一気に踏み込む。

シグムンドの柄が、剣ではなく“救出のための一撃”として振るわれた。


鈍い音。


カイルの身体が崩れ、床へ倒れる。

気絶しただけだ。


「……これで、ひとまず止まった」


レヴィンは短く息を吐き、カイルを見下ろした。


だが。


まだ終わっていない。



* * *



地下の最奥で、黒衣の魔導士は静かに立っていた。

魔物を失っても、まるで痛痒を感じていない。

むしろ、その黒い輪郭の奥で、冷たい感情が静かに濁っているのが見えた。


「見事だ」


拍手すらせず、ただ声だけを落とす。


「黙れ」


レヴィンが低く言う。


彼の横へ、アオイ、ナナミ、スリア、そしてハーティアが並ぶ。

アリシアも、まだ呼吸を整えながら横へ立っていた。


全員で、黒衣の魔導士を睨みつける。


だが――。


レヴィンの剣が黒い霧を裂いた瞬間、その刃は何も斬れずに通り抜けた。


「……っ」


アオイも、ナナミも同時に眉を寄せる。


物理攻撃が、通じない。

相手は実体そのものではなく、思念体だ。


「無駄だ」


黒衣の魔導士は淡々と言った。


「お前達の剣も槍も、私には届かない」


次の瞬間、スリアの風壁が揺れる。

だが、それを見て黒衣の魔導士は視線をアリシアへ向けた。


「……鬱陶しい」


低い声だった。

苛立ちが、はっきり混じっていた。


「お前だけは、面倒だ」


アリシアが息を呑む。


「なに……?」


「世界に触れ、マナを繋ぎ、術式を通す。実に厄介だ」


黒衣の魔導士は、ゆっくりと両腕を広げた。

空気がざらつく。

地下全体が、黒い環に包まれる。


「ならば、封じればいい」


嫌な気配。

レヴィンが叫ぶ。


「アリシア、下がれ!」


だが、遅かった。


「――黒蝕封環(ノワール・イクリプス)


黒い封環が、アリシアの身体へ絡みつく。


鎖ではない。

輪でもない。


まるで“世界そのものから切り離すための枷”のような、嫌な圧だった。


「っ……!」


アリシアの足元が揺らぐ。

黒い紋様が、腕から肩へ、胸元へ、全身へとじわじわと侵食していく。


「やだ……なに、これ……」


声が震える。


「火が……」


アリシアは、自分の手を見た。


「風が……」


両手を伸ばしても、何も感じない。


「地が……水が……」


繋がっていたはずの感覚が、ひとつ、またひとつと剥がれていく。


マナ魔法を扱う者にとって、マナは呼吸と同じだ。

見えなくても、常にそこにあるもの。

触れられなくても、ずっと自分を支えているもの。


それが、消えた。


「……なんで」


アリシアの瞳が揺れる。


「感じない……」


震える指先が、空を掴もうとする。

だが、掴めるものは何もない。


「マナが……感じない……っ」


彼女の膝が折れる。


「……いや……いや、やだ……」


涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。


アリシアはこれまで、どんな時でも前へ出ようとしてきた。

怖くても、失敗しても、笑って立ち上がってきた。


けれど今は違う。


世界の輪郭が失われていく恐怖に、ただ怯えるしかない。


「お兄…ちゃん……」


小さく呼ぶ声は、もうほとんど掠れていた。


次の瞬間、黒い雷が全身を走り、床へ崩れ落ちる。


レヴィンの顔から、血の気が引いた。


「アリシア!」


彼はすぐに駆け寄り、妹の身体を抱き起こす。

だが、返事はない。

瞳は閉じられ、呼吸だけが微かにある。


そして、身体に刻まれた黒い紋様だけが、冷たくそこにあった。


「……お前が」


レヴィンは、ゆっくりと顔を上げた。


怒鳴らない。

叫ばない。

ただ、静かだった。


それなのに、その声は誰よりも恐ろしい怒りを含んでいた。


「……お前がやったのか」


黒衣の魔導士が、わずかに沈黙する。


「そうだとしたら?」


その返答に、レヴィンの中で何かが切れた。


ココの声が、剣の奥で静かに響く。


『レヴィン……』


「わかってる」


レヴィンはアリシアをそっと地面へ寝かせる。

その指先が一瞬だけ震えたが、すぐに止まった。


彼は立ち上がる。


シグムンドを手に歩み入れる。


「俺は、誰かを憎むのが嫌いなんだ」


一歩。


床を踏む音が、やけに静かに響く。


「だけど――」


もう一歩。


「今だけは」


剣先に、光が集まる。


「お前を許せそうにない」


ココが、剣に精神の輝きを付与する。

淡い光が刃へ走り、目には見えない“意志”が形を持つ。


霊想斬破(アストラ・ブレイド)


それはただの斬撃ではない。

精神と心象を断ち切る、精霊の刃。


レヴィンは踏み込んだ。


最短距離。


一気に間合いへ入り、剣を振り抜く。

黒衣の魔導士は霧のように身を引いたが、間に合わない。


精神そのものへ叩き込まれた一閃が、黒い思念体を裂いた。


「……ぐっ……!」


黒衣の魔導士の輪郭が激しく揺れる。

黒い霧が崩れ、叫びにも似た歪な音を立てて消えていく。


「……まだ……終わ……」


最後まで言い切る前に、思念体は霧散した。


残ったのは、ひどく冷えた空気だけだった。



* * *



事件は、ひとまず終わった。


カイルは保護され、ハーティアもそれに連れ添う。

地下シェルターに残っていた魔素精製器具も押収された。

青霊草(せいれいそう)盗難事件も、ようやく全容が見えた。


だが。


勝ったはずなのに、誰も勝利を口にできなかった。


ギルドへ戻った夜。

カルディア支部の中には、重い沈黙が落ちていた。


アリシアは寝台に横たえられている。

呼吸はある。

けれど目は開かない。


あの黒い紋様は、まだ消えていない。


「……解けないの?」


ナナミが小さく呟く。

アオイは静かに首を振った。


「今のところ、方法は分からない」


スリアは窓辺に立ったまま、何も言わず外を見ている。


レヴィンはベッドの傍らに座り、アリシアの手をそっと握った。


あたたかい。

けれど、返事はない。


あの明るい声も、ふくれっ面も、今はどこにもない。


「……アリシア」


名前を呼んでも、ただ静かな部屋が返ってくるだけだった。


レヴィンは、目を閉じた。


事件は終わった。

青霊草(せいれいそう)の盗難は止まった。

カイルも見つかった。


それでも。


何ひとつ、終わった気がしない。

むしろ、ここから始まるのだと、誰もが理解していた。


失ったものを取り戻すための戦いが。

アリシアを救うための旅が。


その夜、カルディアの灯りはいつも通り静かに揺れていた。

だが、ギルドの中だけは、深い夜の底みたいに重かった。


レヴィンはアリシアの手を握ったまま、誰にも聞こえない声で呟く。


「……必ず、起こすからな」


返事はない。


けれどその言葉は、確かに夜の中へ落ちていった──。

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