ハーティア、来訪
昼の光が、カルディア支部の窓から穏やかに差し込んでいた。
昨日の夜に起きた事件の痕跡は、すでに大部分が片付けられている。砕けた石片も、焦げた床も、修復できるものは修復され、いつものカルディアの顔が戻りつつあった。
それでも、空気だけは少し違っていた。
テーブルの中央に広げられた簡易地図。
その周囲に集まるレヴィン、アリシア、スリア、アオイ、ナナミ。
静かな会議は、昨夜の不気味な出来事を振り返るところから始まっていた。
「犯人の顔、俺もアリシアも初めて見た。少なくとも、カルディアで見覚えのある奴じゃない」
「私も同じ」
レヴィンが淡々と言うと、アリシアも頷く。
「でも、あの動き……ただの素人じゃなかった。逃げ方が妙に洗練されていた」
「なんか、追い詰められてるのに焦ってない感じだったよね」
レヴィンは昨夜の一件を思い出しているのか、少しだけ眉を寄せていた。
「ああいうのは、気味が悪い」
その横で、スリアがふるふると首を振る。
「風も変だった。人の風じゃないというか……もっと、うすっぺらい感じ」
「うすっぺらい?」
「うん。いるのに、ちゃんと“そこに”いないみたいな」
スリアの言葉に、レヴィンはわずかに目を細めた。
言葉の意味は曖昧だったが、彼女の感覚が正確なのは知っている。
だからこそ、余計に気味が悪い。
「とにかく、逃げた犯人の素性を洗う必要があるわね」
アオイがそう言った、その時だった。
「じゃあ、似顔絵でも作る?」
軽い調子で、アリシアが手を挙げる。
「えっ、今?」
「うん。見た目の特徴を整理すれば、街の人にも聞きやすいでしょ?」
「まあ、理屈は分かるけど……」
嫌な予感がするレヴィン。
「アリシアが描くのか。……不安だ」
「な、何それ! 失礼じゃない!?」
「前科あるしな」
「前科って言うなぁ!」
ギルド内の空気が、少しだけ和らいだ。
その瞬間だけは、昨日までの不穏さが少し遠のく。
アリシアはむぅ、と頬を膨らませながらも、紙とペンを受け取ると真剣な顔になる。
「見ててよね。今度こそちゃんと描くから!」
数分後。
完成した似顔絵を、アオイが無言で見下ろした。
そこに描かれていたのは、どう見ても人ではなかった。
鋭い目。
妙に尖った輪郭。
口元からは何やら禍々しい雰囲気が滲み出ている。
「……魔物?」
「ちーがーうー!!」
アオイの真顔の一言に、アリシアが勢いよく立ち上がる。
「あははははっ!もうだめ……ちょっと怖いのに……なんか強そう!」
スリアは机に突っ伏して笑っていた。
「強そうは褒め言葉じゃないから!」
ナナミも腹を抱えて笑い出す。
「さすが……アリシア画伯!」
「画伯ってなに!?」
アリシアが抗議する声が、ギルドの天井へ跳ね返る。
そんな騒がしさを、アオイは珍しくやわらかい目で見ていた。
彼女の目線が、ふとレヴィンの手元へ落ちる。
「……その人、分かるかもしれない」
「え?」
レヴィンが、自分で描いた紙を差し出す。
こちらは大きく崩れてはいない。
顔立ち、体格、身のこなしまで、見た目の印象がわかるように簡潔にまとめたものだった。
アオイはそれを受け取り、じっと見つめる。
次の瞬間、ほんのわずかに眉が動いた。
「……この感じ、どこかで」
「知ってるのか?」
「断言はできないけど……確か…」
その時だった。
ギルドの扉に、澄んだベルの音が鳴る。
ちりん、と。
何気ない音だったはずなのに、その場にいた全員が一斉に視線を向けた。
「いらっしゃいませー」
アリシアが応じる。
そして扉の向こうから姿を現したのは、ひとりの少女だった。
少し跳ねた肩まで掛かる青紫銀色の髪。
身長はアリシアと同じくらい。
暗紅紫色のやや疲れたような面差し。
だが、その目は真っ直ぐで、どこか強い意志を宿している。
紺色を基調とした聖職者の服を整えた少女は、ギルド内へ一歩踏み込むと、少しだけ息をついた。
「失礼します。こちら、冒険者ギルド……カルディア支部、で間違いありませんか?」
やや控えめな声。
だが、声色は落ち着いていた。
「ええ、そうよ」
アオイがすぐに立ち上がる。
少女は彼女を見て、わずかに会釈した。
「突然すみません。兄を探していて……少し話を聞いていただければと思いまして」
「兄?」
レヴィンが問い返す。
少女は小さく頷いた。
「カイルという名前です。私の兄なんですが……最近、様子がおかしくて。今は連絡も取れず、失踪したような状態で」
レヴィンの視線が鋭くなる。
昨日の事件と、どこかで繋がる気配があった。
「そのカイルって、どんな人?」
アリシアが訊く。
少女は一瞬だけ言葉を選ぶように目を伏せ、それから答えた。
「とても優しい人です。昔から、私のことをよく気にかけてくれて……困っている人を見ると放っておけないような、そんな人です」
その言葉に、アリシアが少しだけ顔を曇らせる。
「兄は少し前から、教会や巡礼の経路を理由に、よくひとりで出かけるようになりました。帰ってきても、どこかぼんやりしていて……。何かを隠しているような、でも話しかけると無理に笑うような……そんな感じで…」
ふと少女が、レヴィンの描いた紙へと視線を落とした。
「……あれ?…それって…」
少女の視線の先を、一同が追う。
そして、その瞬間。
少女の顔色が、目に見えて変わった。
「……っ」
わずかに息を呑み、目を見開く。
「これ……」
その反応だけで、全員の胸に緊張が走る。
「知ってるの?」
アリシアが身を乗り出す。
少女は震える声で言った。
「兄、です。カイルです」
沈黙が落ちた。
それは、重たく、避けようのない沈黙だった。
アオイがすぐに状況を繋げる。
「昨日の犯人が、そのカイルってこと?」
「わからない。でも……」
ナナミが腕を組む。
「…じゃあ、さっきの“どこかで”ってやつが?」
「ええ」
レヴィンの問いに、アオイが頷いた。
「前に一度、街で見かけたことがあるわ」
「あたしも覚えてる。確か巡礼の途中でカルディアに滞在しているとか、なんとか」
ナナミが続ける。
「あの時、けっこう気さくに話してくれたんだよね。妹のこともすごく気にかけてた」
少女は驚いたように目を瞬かせた。
「あなたは?」
レヴィンが問う。
「ハーティアです。兄のカイルを探したくて、こちらまで来ました」
少女――ハーティアは名乗ると、胸元へ手を当てた。
* * *
「兄は、こんな事をする人じゃないんです!」
ハーティアに昨日の事件のことを説明すると、異議を唱える。
その言葉には、迷いも、恐れもなく、そして何より信頼があった。
だからこそ、レヴィンはすぐに否定できなかった。
昨日の犯人がカイルだとしても、それで終わりではない。
何かがある。
その背後に、もっと大きな異変が潜んでいる。
「調べよう」
レヴィンが静かに言った。
「このままじゃ、何も分からないままだ」
「私も行くわ」
アオイが即答する。
「人手は多い方がいいからね!」
ナナミも続く。
スリアがレヴィンの袖をそっと掴む。
「……なんだか。昨日より少し、風の記憶が増えてる気がする」
その言葉に、レヴィンは短く頷く。
見えないものを感じ取れるのは、彼女の強さだ。
そして、今、この時に必要なのは、そういう力だ。
* * *
カルディア教会は、街外れの丘の上に建っていた。
白壁の静かな建物。
潮風を受けながらも、変わらぬ姿でそこにある。
街の喧騒から少し離れた場所にあるせいか、周囲には落ち着いた空気が漂っていた。
「ここか……」
レヴィンが教会を見上げる。
ハーティアの話によると、滞在中は教会で宿泊をしているとのこと。
少し前に、教会裏でカイルを見かけた日があった。
そして、ふと目を離した隙に姿を消していたらしい。
「神父さんに話を聞こう」
レヴィンが扉を開ける。
中は静かだった。
木造の床が足音をやわらかく吸い、窓から差し込む光が長椅子を薄く照らしている。
奥にいた老神父が、こちらに気付いてゆっくりと歩み寄ってきた。
「……おや、ギルドの方々ですね。…それに、ハーティアさんも」
ハーティアは軽く会釈する。
「少し、調べたいことがあって」
レヴィンは簡潔に事情を説明する。
昨夜の事件。
青霊草盗難。
そして、ハーティアの兄であるカイルのこと。
老神父は静かに聞き終えると、目を閉じて小さく息をついた。
「カイルさんですか……最近、こちらへは来られておりません」
「何か変わった様子は?」
「そうですね……以前は、こちらで預かっている子供達と遊んでくださる、面倒見のいい御方でしたが、ここしばらくは見かけておりません」
ハーティアが唇を噛む。
「……兄さん」
神父はその様子を見て、柔らかく続けた。
「少し前になりますが、教会の裏手で見かけたことはありました」
「教会の裏手?」
ハーティアが話していた、目を離した隙に姿を消した──という。
レヴィンは眉をひそめる。
「ただ、あそこには古い施設があるだけです。今は使われておりませんが、昔の避難施設に繋がっている場所です。昔は、災害時のための地下シェルターとして使っていたのですよ」
「地下シェルター……?」
「ええ。今は封鎖してありますが」
その言葉に、レヴィンの背筋が僅かに伸びる。
教会の裏手。
地下。
旧施設。
不自然に繋がった点が、頭の中で一本の線になろうとしていた。
「裏手を見てみても?」
「もちろんです。どうぞ」
* * *
教会の裏へ回ると、そこには静かな庭と古い石壁があった。
草木はよく手入れされているが、建物の一角だけは少しだけ古びて見える。
レヴィン達は周辺を見回しながら、慎重に歩いた。
「特に変わった様子はないけど……」
アリシアが周囲を見渡す。
「見た目だけなら普通ね」
アオイも同意する。
けれどレヴィンは、どこか引っかかるものを感じていた。
何かがある。
それも、見えないところに。
「……神父さんが言ってたのは、これか」
レヴィンが足を止める。
教会の壁際、古い植木の陰に半ば埋もれるようにして、鉄扉があった。
錆びつき、ほとんど使われていないのが見て取れる。
近付いたアオイが、扉を見て眉を寄せた。
「地下へ繋がる旧シェルターの入口ね。今は封鎖されてるはずだけど……」
その時だった。
『微かだが、マナの乱れを感じる』
シグムンドの内部に宿る戦乙女の精霊――ココの、澄んだ声が頭の奥に響く。
その一言で、レヴィンの確信は強まった。
「ここだ」
「何が?」
「事件の拠点だ。少なくとも、手掛かりはある」
アオイが短く頷く。
「鍵を持ってくるわ。ナナミ、付いて来てくれる?」
「了解ー」
二人が鍵を取りに、一旦離れる。
残されたレヴィン達は、鉄扉の前で待つ事になった。
静かな午後。
風が庭を撫でていく。
その間、ハーティアはずっと扉を見つめていた。
「……兄さんは」
ぽつりと、語り始める。
「巡礼の旅に出る前、何度も私に言ったんです。どんな場所へ行っても、人はひとりじゃないって」
声は静かだった。
けれど、その静けさの奥には、懸命に感情を抑えている気配があった。
「兄さんは強い人でした。優しいだけじゃなくて、困っている人を守るためなら、自分が傷ついても気にしないような人で……」
ハーティアは目を伏せる。
「小さい頃、私が転んで泣いていた時も、兄さんはすぐに駆け寄ってきてくれたんです。大丈夫だって、何度も……何度も……」
彼女の指先が、ぎゅっと胸元の布を握る。
「だから、信じたいんです。兄さんが、こんな卑劣なことをするはずがないって」
レヴィンはその横顔を見ながら、黙っていた。
ハーティアの言葉には、ただの身内びいきではない重みがあった。
そこには、カイルという人物が確かに“誰かを支える側の人間”だったのだと伝わる何かがある。
「大丈夫だ」
やがて、レヴィンが静かに言った。
「まだ全部が見えたわけじゃない。だから、まずは確かめる」
ハーティアが顔を上げる。
「……はい」
「真相がどうあれ、逃がさない。あんたの兄を連れて帰る方法も、きっとある」
その言葉に、ハーティアの目が少しだけ揺れた。
希望か、安堵か、それとも恐れか。
言葉にできない感情が、彼女の胸の中で渦を巻いているのがわかる。
やがて、アオイとナナミが鍵を手に戻ってきた。
「取ってきたわ」
「こっちも問題なし」
アオイが鉄扉へ鍵を差し込む。
古い錠前が、かちり、と音を立てた。
重い鉄扉が、ゆっくりと開き始める。
その隙間から漏れ出したのは、冷たく湿った空気だった。
誰もが一瞬、言葉を失う。
地下へ続く闇は、静かだった。
だがその静けさの中に、何かが潜んでいる気配がある。
「行こう」
レヴィンの声は低い。
もう引き返す段階ではない。
扉の奥に、答えがある。
そう確信しながら、一行は地下へ足を踏み入れた──。




