黄昏の追跡者
昼下がりの陽光が、ギルドの窓から静かに差し込んでいた。
冒険者ギルド カルディア支部。
いつもなら穏やかな空気が流れているその場所には、今日はわずかな緊張感が漂っている。
テーブルの上へ広げられているのは、北区管理区域の簡易地図。
その周囲を囲むように、レヴィン達は集まっていた。
「……整理すると、被害は全部北区の群生地周辺」
レヴィンが地図へ視線を落としたまま言う。
「盗まれてるのは青霊草。しかも毎回、かなりの量」
青霊草。
微量ではあるものの、高純度マナを蓄える特殊植物。
国の管轄下にあり、カルディア北区にて管理している。
本来なら、簡単に持ち出せるような代物ではない。
それなのに――。
「普通の盗人なら、こんな痕跡は残さないわ」
静かな声で言ったのはアオイだった。
白金色の髪を揺らしながら、細い指で地図の北区をなぞる。
「足跡が少なすぎる。それに、現場のマナが乱れてるのも不自然」
「うん……なんか気味悪いんだよね」
ナナミが腕を擦りながら顔をしかめる。
「あれ、“盗んだ”っていうより、“漁った”感じなんだよね」
その表現に、レヴィンは小さく眉を寄せた。
確かにそうだった。
昨日見た群生地は、必要量だけを採取した跡ではない。
もっと切迫した、焦燥のようなものが残っていた。
「……風も変」
窓際に座っていたスリアが、小さく呟く。
淡青銅色の髪が、窓から入る風でふわりと揺れた。
「北の風、ずっとざわざわしてるの。落ち着かない」
精霊であるスリアは、空気やマナの流れに敏感だ。
そんな彼女がここまで不安げな顔をするのは珍しい。
ギルドの空気が、少しだけ重くなる。
その沈黙を切ったのは、レヴィンだった。
「……今夜、張り込もう」
全員が顔を上げる。
「犯人がまた来る可能性は高い。青霊草を集めてる理由は分からないけど、放っておくわけにはいかない」
レヴィンの瞳は静かだった。
けれどその奥には、確かな警戒心が宿っている。
「カルディアで好き勝手されるのは、見過ごせないからな」
* * *
夕暮れ。
カルディア北区は、街中心部とは少し違う空気を纏っていた。
石造りの管理塔。
淡く青白い光を放つ警備結界。
規則正しく並ぶ管理用ランタン。
青霊草群生地を守るため、この区域は国直属管理となっている。
そのため、街の温かな賑わいとは異なり、どこか張り詰めた静けさがあった。
「なんか緊張するね……」
アリシアが小声で呟く。
普段は明るい彼女も、流石に今回は空気の違いを感じ取っているらしい。
レヴィンはそんな妹を見て、小さく笑った。
「無理するなよ」
「し、してないもん」
「手、震えてる」
「うっ」
図星だった。
レヴィンは苦笑しながら、ぽん、とアリシアの頭へ手を置く。
「大丈夫。いつも通りでいい」
その一言だけで、アリシアの表情が少し柔らかくなる。
「……うん」
その様子を見ていたナナミが、にやにやしながら肘でアオイをつついた。
「兄妹って感じするよねぇ」
「実際、兄妹でしょう」
「アオイ冷たい」
「事実を言っただけよ」
だが、その口元は少しだけ緩んでいた。
やがてレヴィンは周囲を確認し、静かに指示を出す。
「二手に分かれる」
「第一班がレヴィン達、第二班が私達ね」
アオイが即座に理解する。
「何かあれば風信号で連絡。無理に単独で追わない事」
「了解ー」
ナナミは軽く細槍斧を握り直した。
それぞれが配置へ散っていく。
黄昏の空が、ゆっくりと群青へ変わり始めていた。
* * *
静寂。
青霊草群生地には、風の音だけが流れていた。
淡く発光する青霊草が、夜前の薄暗さの中で幻想的な光景を作り出している。
レヴィン達は物陰へ身を潜め、周囲を警戒していた。
時間だけが静かに過ぎていく。
その時だった。
ぴたり、と風が止まる。
スリアの表情が変わった。
「……来る」
小さな声。
直後。
群生地の奥から、黒い影が現れる。
黒ローブ。
顔は深く隠れている。
だが、その動きには迷いがなかった。
まるで目的だけに突き動かされているような、不気味な静けさ。
黒ローブの人物は、そのまま青霊草を回収し始める。
レヴィンは静かに立ち上がった。
「――そこで何してる」
瞬間。
黒ローブの人物が反応する。
振り返りざま、一切の躊躇なく駆け出した。
「逃げた!」
「追うぞ!」
黄昏の北区を、影が駆け抜ける。
* * *
入り組んだ運河路地。
石畳を蹴る足音が、狭い路地へ反響していた。
「速いっ……!」
アリシアが息を呑む。
犯人は地形を理解しているように、迷いなく裏道を抜けていく。
だが――。
「右へ行く!」
レヴィンは即座に進路を読む。
カルディアで育った彼は、この街の路地構造を身体で覚えていた。
「アリシア、先回りを頼む!」
「うん!」
アリシアは即座に別路地へ飛び込む。
レヴィンとスリアはそのまま追跡を継続。
スリアの周囲で風が渦を巻いた。
「風さん、こっち!」
風が流れを変える。
路地裏の空気が誘導されるように動き、逃走方向がわずかに逸れる。
犯人は気付かぬまま、狭い裏路地へ誘導されていく。
その間、スリアはそっと目を閉じた。
『次の十字路、左から来るよー!』
――風声。
囁くような風の精霊魔法。
風へ乗せられた声が、離れた場所にいるアリシアの耳元へ届く。
「まかせて!」
先回りしていたアリシアが目を見開く。
* * *
宵闇の裏路地。
ランタンの火が、風で揺れていた。
アリシアは静かに息を整える。
近付いてくる足音。
(来る……!)
次の瞬間、黒ローブの人物が飛び込んできた。
そしてアリシアを見た瞬間、強引に突破を図る。
だが、アリシアは慌てなかった。
視線が周囲を走る。
路地を吹き抜ける風の流れ。
ぱちぱちと燃えるランタン火。
(───条件は揃った!)
火のマナが揺れる。
風のマナが絡み合う。
アリシアは掌でそれらを紡ぎ、マナ魔法を構築した。
「――火球!」
放たれた火球が、風を巻き込みながら加速する。
爆発的な推進。
通常以上の速度を得た火球が、黒ローブへ直撃した。
轟音。
爆炎。
「ぐぁっ!?」
吹き飛ばされる犯人。
ローブが焼け、顔が露わになる。
暗銀色の逆毛。
暗紅紫色の鋭い目つきがアリシアを睨む。
顔に見覚えはない。
アリシアの知らない男だった。
「……!」
アリシアが身構える。
「アリシア!」
「お兄ちゃん!」
そこへ、レヴィンとスリアが合流する。
追い詰められた犯人は、荒々しく懐へ手を突っ込んだ。
次の瞬間。
轟音。
ショットガンの散弾が放たれる。
だが――。
レヴィンの前方で風が唸った。
不可視の壁。
風障壁。
散弾が空中で軌道を逸らされ、石壁へ弾かれる。
「なっ……!?」
「精霊使いをなめるなよ」
低い声。
レヴィンは一気に距離を詰める。
腰の精霊剣『シグムンド』が淡く輝いた。
そこへ宿る戦乙女の精霊、ココ。
その加護によって、レヴィンの身体には常時発動型の精霊魔法「身体強化」が付与されている。
踏み込みが速い。
一瞬で間合いへ入る。
「――っ!」
銀閃。
男が咄嗟にショットガンで受けるが、重い一撃で吹き飛ぶ。
石壁へ叩き付けられ、苦悶の声を漏らした。
これで終わる。
誰もがそう思った、その時だった。
――空気が、変わる。
ぞわり、と。
背筋を冷たい何かが撫でた。
「……っ!?」
スリアが目を見開く。
黒い霧。
路地奥から、どろりと滲み出るように現れた。
そしてその中に“それ”はいた。
黒い思念体。
人型をしている。
だが輪郭は曖昧で、まるで闇そのものが立っているようだった。
「何、あれ……」
アリシアの声が震える。
次の瞬間。
黒い魔法陣が浮かび上がった。
「来る!」
レヴィンが叫ぶ。
黒い弾丸が空気を裂く。
レヴィン達は咄嗟に回避するが、石壁が不気味に腐食した。
「っ、魔法!?」
さらに。
黒い霧が広がる。
視界が一気に奪われた。
空気が重い。
息苦しい。
まるで空間そのものが侵食されていくようだった。
霧の奥から、低い声が響く。
「……まだ足りない」
ぞくり、と背筋が凍る。
「世界樹の残滓では、足りぬ……」
意味の分からない言葉。
だが、その声には確かな狂気が滲んでいた。
「お前は誰だ……!」
レヴィンが叫ぶ。
しかし返答はない。
やがて。
風が霧を吹き払った時には――。
犯人も。
思念体も。
黒い気配すら。
全て消えていた。
* * *
夜。
静まり返った裏路地を、冷たい風が吹き抜ける。
荒れた路地。
砕けた石畳。
残された黒い焦げ跡。
それらが、先程までの異様な出来事を物語っていた。
「……ただの盗難事件じゃないね」
ナナミが珍しく真面目な声で呟く。
アオイも静かに頷いた。
「ええ。何かが動いてる」
レヴィンは夜空を見上げる。
カルディアの灯りは、遠くでいつも通り温かく揺れていた。
平穏な港街。
守りたい日常。
だがその裏側で、確実に異変は広がり始めている。
スリアは夜風へ耳を澄ませながら、小さく呟いた。
「……嫌な風が、街に入ってきてる」
その声は、どこか怯えているようにも聞こえた。
静かな夜だった。
けれどその静けさはもう“穏やかなだけの夜”ではなかった――。




