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第97話 相馬准教授の仮説

その時、共同チームに参加していた一人の女性研究者が静かに手を挙げた。


相馬准教授。


しずく達の県にある国立大学に所属する、三十代半ばの若い准教授だった。

この年齢で国立大学の准教授というだけでも十分に異例だが、彼女は机上の研究者ではない。


探索者資格を持ち、必要とあれば自分でもダンジョンへ潜る。

二層程度なら、フィールドワークの範囲として実地調査を行うこともある。


専門は、ダンジョン内文化構造と異常環境記録。

簡単に言えば、ダンジョン内に残された壁画、碑文、遺物、モンスターの習俗や記録から、ダンジョンそのものの意味を読み解こうとする分野の研究者だった。


相馬は、机の上に並べられた資料を見ながら言った。


「少し、飛躍した仮説を出してもよろしいでしょうか」


防衛省の男が眉を上げる。


「飛躍の程度による」


「かなり飛びます」

「ですが、今出ている断片を一番少ない仮定でつなぐなら、この線が浮かびます」


月島が、相馬へ視線を向ける。


「聞かせてください」


相馬は頷き、資料を三つ並べた。


佐倉七海が、十層で月の魔女セレネから見せられたという映像に関する証言。

月が地球から離れる未来。


二層ゴブリンラボ最奥の壁画。

地球と思われる丸、その近くにある赤い丸。

そして、遠くへ移動したように描かれた小さな丸。


最後に、三層礼拝堂で発見されたカエルもどきの日記と推測されるもの。



相馬は、ペン先でそれぞれを示しながら言った。


「佐倉七海氏が見た未来において、月は地球から離れた。では、そのあと地球の衛星軌道には何が残ったのか」


会議室が静まる中、相馬は続けた。


「ゴブリンラボの壁画では、地球と思われる丸の傍に赤い丸が描かれていました。そして、別の小さな丸がそこから遠ざかっているようにも見える」


月島の目が、資料を凝視する。


「つまり、遠ざかった小さな丸が月。後釜に座ったのが、赤い星だと」


「はい」


相馬は頷いた。


「月が離れたあと、赤い星が地球の衛星軌道に居座ったのではないか。私はそう読めると思います」


防衛省側の男が資料から顔を上げ、相馬を見た。


「待て。月を失った地球が、そのまま無事でいられるとは思えない」


「その通りです」


相馬は即答した。


「潮汐、地軸の安定、海洋循環、夜間環境。月を失う影響は、文明どころか生態系全体に及ぶはずです」「しかも、その位置に未知の赤い天体が居座るなら、影響はさらに未知数です」


内閣府の担当者が、資料を見ながら呟く。


「では、三層のカエルもどきは…」


相馬は、一度咳払いをしてから言った。


「月が消え、赤い星が居座った未来の地球に生き残った存在。その可能性があります」


会議室の空気が、さらに重くなった。


「三層礼拝堂は、単なる異世界でも、単なるダンジョン内の作り物でもない」

「赤い星が地球の衛星軌道に入った後の、未来地球の断片かもしれない」


誰もすぐには口を開かなかった。

あまりにも大きい仮説だったからだ。


だが、完全に荒唐無稽とも言い切れない。

それが厄介だった。


老教授が、興味深そうに目を細める。


「相馬准教授、続けてください」


相馬は、一度深く息を吸ってから吐いた。


「ここから先は、さらに危険な仮説になります」


「構いません、傾聴します」


相馬は頷いた。


「地球をはじめとする天体が、何らかの意思を持つと仮定します。古典的な意味でのガイア理論、あるいはそれをダンジョン的に拡張したものです」


防衛省の男が顔をしかめる。


「地球が意思を持つ…だと?」


「科学としては慎重に扱うべき表現です。ですが、ダンジョンという現象を前にした場合、意思や目的という言葉を完全に排除すると、説明できない挙動が増えます」


相馬は、資料を一枚めくる。


「職業とスキルの付与、階層構造や素材の持ち帰りに加え、情報の変質と特定個人への接触。これらを単なる自然現象と見るには、あまりにも機能的です」


月島が静かに頷く。


「箱、という仮説ですね」


「はい」


相馬は続ける。


「もし地球、月、太陽、あるいは太陽系そのものに、広義の意思や自己保存機構が存在するとしたら」


そこで彼女は間を置き、全員を見てから言った。


「月が地球から離れ、赤い星が居座る未来を阻止するために、ダンジョンという装置を創造したのではないか」


会議室が完全に静まった。


「ダンジョンは、人類を鍛えるための箱。あるいは、未来の断片を見せ、必要な力や知識を回収させるための試験場」


相馬の声は落ち着いていた。

だが、内容は重い。


「魔石によって文明を変えたのも、偶然ではないかもしれません」

「人類に新しいエネルギー基盤を与え、探索者という形で異常環境へ適応する個体群を育てる。そう考えれば、ダンジョン出現以降の歴史は、地球側の対抗準備とも読めます」


内閣府の担当者が、ゆっくりと言った。


「相馬准教授、では…赤い星は」


「地球や月、太陽にとっても異物です。少なくとも太陽系の本来の秩序に属さないもの」


その言葉に、七海がいればどう反応しただろうかと月島は一瞬考えた。


赤い星。


地球にとっての異物。

太陽系にとっての異物。

未来を変えたい地球側と、それを阻む赤い星側とい構図だ。


相馬は続ける。


「そして、その赤い星にも意思がある。あるいは、赤い星に属する何かがある」


月島が口を開く。


「赤い○に認識されていますですか?」


「はい」


相馬は、その文言を指差した。


「これは、赤い星側の認識かもしれません。佐倉しずくさん達は、地球側、月側の接触対象であると同時に、赤い星側にも認識された」


防衛省の男が腕を組む。


「二層ボス部屋の赤い光は?」


「赤い星側の干渉。もしくは、赤い星に汚染された月の模倣だと考えます」


相馬は、次に別の資料を示した。


「一方で、佐倉しずくさんに発現した【夜の魔法 月の剣】は、赤い月光とは性質が違うと白澤ミコトさんが証言しています」

「これは赤い星側ではなく、月側の支援と見る方が自然です」


老教授が、少し楽しそうに呟いた。


「月の表と裏か」


「はい」


相馬は頷いた。


「月の魔女セレネは、簡単に言えば月のアバター、あるいは連絡端末ではないでしょうか」


その場の何人かが、わずかに反応した。


アバター、連絡端末。

神話じみた月の魔女という存在を、相馬はあえて現代的な言葉で切り直した。


「月そのものが直接人類に干渉できない。だから、人の形をした端末を介する。十層で佐倉七海氏に接触したセレネは、その一つ」


「では、佐倉しずくが聞いた幼い少女の声は」


「セレネの別側面か、別端末。あるいは、月の中でもより原初的な人格層かもしれません」


防衛省の男が、少し苦い顔をする。


「人格層とはまた、曖昧な言い方だな」


「他に適切な言葉がありません」


相馬は淡々と返した。


「月の意思を人間の人格に翻訳した時、複数の姿や声として現れる可能性があります」

「十層では大人の女性として、佐倉しずくさんには幼い少女として。どちらも月の一部であるなら矛盾しません」


月島は、しずくの証言を思い出した。


やる気がない、面倒くさそう。

けれど、助けてくれた。


七海が会った月の魔女セレネも、やる気のない声だったという。


相馬の仮説は、あまりにも大きい。

だが、細部が妙に噛み合ってしまう。


内閣府の担当者が、話を区切るように机を軽く叩いた。


「整理しよう」


画面に、相馬の仮説が簡潔に打ち込まれていく。


未来において月が地球から離脱する。


その後、赤い星が地球の衛星軌道に居座る。


月を失った地球環境は大きく変質し、三層礼拝堂のカエルもどき達はその未来地球の生存種、または変質した人類・生物の末裔である可能性がある。


地球・月・太陽、または太陽系全体の自己保存機構が、赤い星の未来を回避するためにダンジョンを創造した可能性がある。


赤い星にも意思があり、地球側の改変に対抗している。


月の魔女セレネは月のアバター、もしくは連絡端末。佐倉しずくに接触した幼い声も、月側端末の一種である可能性がある。


防衛省の男が、しばらく画面を見つめたまま言った。


「正気の報告書に載せるには、かなり危険な内容だな」


相馬は、表情を変えずに答えた。


「承知しています。現段階では仮説にも満たない、作業仮説です」


「だが、捨てるには惜しい」


老教授が言った。


「むしろ、今までの月関連案件を最も広く説明できる」


月島もゆっくり頷いた。


「少なくとも、三層礼拝堂の再調査は急ぐべきです。赤い星の記述が、今回の赤い○に繋がる可能性があるなら」


内閣府担当者が宣言するように、声を出した。


「この仮説は、扱いを限定する。共有範囲はさらに絞る」


防衛省の男も頷いた。


「下手に広げれば、宗教、政治、国際問題になる。地球が意思を持ち、ダンジョンが未来改変装置だなどと外に出せる話ではない」


相馬は静かに頷いた。


「もちろんです」


月島は、資料を閉じながら言った。


「ただ、佐倉しずく達が三層に入る前に、最低限伝えるべきことがあります」


内閣府担当者が問う。


「赤い星のことか」


「はい」


月島は続ける。


「三層で赤い星という言葉が出たら、絶対に軽視しないこと」

「カエルもどきが敵であっても、彼らの言葉や記録には手がかりがある可能性があること」


防衛省の男が確認するように、月島へ問う。


「未来地球説までは伝えないのか?」


「今は不要です」


月島は即答した。


「余計な恐怖と先入観になります。三層で何を見るかは、彼女達自身の観測が必要です」


老教授が薄く笑う。


「観測者を選んでいるなら、なおさらか」


月島はその言葉には返さなかった。

ただ、心の中では同意していた。


ダンジョンは、箱かもしれない。

地球が作った装置かもしれない。

月の魔女は端末かもしれない。

赤い星は敵かもしれない。


どれも断定はできない。

だが、佐倉しずく達はすでに物語の内側にいる。


相馬准教授は、最後にもう一度だけ資料を見た。


カエルもどきの日記。


赤い星は、我らの罪ではない。

白き月の下で祈った者たちこそ、扉を開いたのだ。


「三層は、たぶんただの礼拝堂ではありません」


誰も異論を挟まなかった。

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