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第96話 赤い星

しずくたちが、図書準備室で日常を過ごしていたその頃。


協会、防衛省、内閣府による共同チームは、ダンジョン内で確認された月に関する異常や記録を、改めて洗い直していた。


場所は、探索者協会本部内に設けられた臨時の解析室。


外部ネットワークから切り離された端末。

紙に出力された古い報告書。

自衛隊探索者部隊の過去ログ。

協会が保管していた、浅層から深層までの遺物記録。


それらが、机の上に積み上げられている。


十層の月の魔女。

九層隠し遺跡のレリーフ。


それだけなら、まだ深層特有の異常として扱えた。


だが、二層で赤い○に認識されたというシステムメッセージ。

二層ボス部屋に、模様のない月もどきが現れた。

そして、佐倉しずくが【夜の魔法 月の剣】を発現させた。


二層で起きた。

それが、すべての前提を変えた。


「三層資料にも、引っかかるものがあります」


記録管理班の女性職員が、紙資料を机の中央へ置いた。


「三層礼拝堂区画で、過去に探索者チームが入手した記録です。分類上はカエルもどきの日記」


防衛省探索対策室の男が眉を寄せる。


「日記?」


「正確には、礼拝堂の一室で見つかった紙束です。カエルもどきが使用していると思われる記号列で、当時の協会言語解析班が部分翻訳しました」


月島も、その資料へ視線を落とした。

報告書の隅に、当時の注釈がついている。


ダンジョン内生物の文化的記録と思われる。

礼拝堂内での派閥対立、追放、迫害に関する記述あり。

三層モンスターの設定的背景として保存。


それまでは、その程度の扱いだったのだろう。


ダンジョン内の歴史に、モンスター側の信仰や社会。

探索者向けに直接の脅威となる情報ではない。

だから、深く掘られなかった。


だが今は違う。

記録管理班の女性は、該当箇所を指で示した。


「ここです」


そこには、翻訳文が記されていた。


赤い星が現れてより、我らは穢れと呼ばれた。

白き月を拝む者たちは、我らを地の底へ追いやった。

赤い星は、我らの罪ではない。

されど、赤い星は我らの名に刻まれ、我らは外へ出ることを許されぬ。

いつか赤い星が沈み、真なる夜が戻る時、我らもまた赦される。


解析室が静まり返った。


最初に口を開いたのは、防衛省の男だった。


「赤い星…」


月島が、その言葉を小さく繰り返す。


「赤い○の候補として、星が出てきたわけね」


記録管理班の女性が頷く。


「これまで赤い月、赤い印など複数の解釈がありました。三層の礼拝堂記録では、はっきり赤い星と訳されています」


深層研究班の老教授が、紙資料を手に取った。


「当時の翻訳精度は?」


「七割程度です。ただ、この星にあたる記号は、他の資料でも天体や空の灯りを指すものとして使われています」


「月ではなく、星か」


老教授は目を細めた。


「面白いな。いや、厄介と言うべきか」


内閣府の担当者が、記録を見ながら頭を捻る。


「これまで月関連案件として一括して見ていたものに、別系統の赤い星が混ざっている可能性がある、ということですか」


月島が答える。


「可能性はあります。少なくとも、赤い○を単純に赤い月と読むのは危険です」


防衛省の男が腕を組む。


「二層ボス部屋で見えたのは、模様のない月もどきだった。それが赤く染まった。だから、赤い月と考えたくなる」


「ええ」


月島は頷く。


「三層の記録では、赤い星が迫害の原因として語られている。しかも、場所は礼拝堂です」


その言葉で、解析室の空気がまた少し重くなった。


三層礼拝堂。


佐倉しずくたちが、次に向かうであろう階層。

そこで過去に見つかった記録に、赤い星の記述がある。


偶然にしては、並びが悪すぎた。


記録管理班の女性が、別のページを開く。


「日記の続きにも、気になる記述があります」


月島が顔を上げると、女性は読み上げた。


「白き月の司祭は言う。赤い星を見た者は、夜に穢れを持ち込むと」

「我らの肌は湿り、我らの声は醜く、我らの姿は神に背くと」

「だが、我らは知っている。赤い星を呼んだのは、我らではない」

「白き月の下で祈った者たちこそ、扉を開いたのだ」


「扉」


月島が反応した。

老教授も、すぐに資料へ視線を落とす。


「扉という語は、ダンジョン内では重い。ゲート、階層遷移、隠し区画、どれにも繋がる」

「白き月の下で祈った者たちが、扉を開いた。赤い星はその結果として現れた。そう読めるな」


「はい」


記録管理班の女性は頷く。


「当時は、カエルもどき内部の神話、あるいは礼拝堂における宗教対立の記録と解釈されていました」

「今回の赤い月もどきと照合すると、単なる背景設定ではない可能性があります」


内閣府担当者が、少し疲れたように息を吐いた。


「つまり、三層には月と赤い星に関する手がかりがあるかもしれない」


月島が淡々と答えた。


「三層の主な敵はカエルもどき。彼らは知能が高く、人語に近い言葉を持つ。聖属性魔法を使う個体も確認されている」

「礼拝堂という環境を考えても、この記録の当事者である可能性が高い」


防衛省の男が渋い顔をする。


「佐倉しずくたちが三層へ行けば、接触するな」


「ええ」


月島は即答した。


「二層ボスを突破し、三層への道は開いています。現在は中間テスト期間のため探索していませんが、終われば準備を始めるでしょう」


老教授が、少し興味深そうに言った。


「止めるか?」


月島は静かに首を横に振った。


「完全に止めるのは、得策ではありません」


「理由は?」


「彼女たちはすでに月関連異常に認識されている可能性がある。別の探索者チームを入れても、同じ情報が開くとは限りません」


「佐倉しずくの銀盾、月の剣、幼い少女の声。これらは三層の赤い星の情報と反応する可能性があります」


そこで少し間を置く。


「無理に止めれば、本人たちは不安を抱えたまま情報から切り離される。精神的に悪い」


内閣府の担当者が頷く。


「前回の会議と同じ方針だな。通常生活を維持させつつ、支援と監視を強化する」


「はい」


記録管理班の女性が、さらに別の資料を出す。


「実は、カエルもどきの日記は一つではありません。翻訳率が低かったため放置されていた断片が複数あります」


月島の目が細くなる。


「今すぐ再翻訳を」


「着手しています。文字解析班と、三層経験者の証言を照合中です」


老教授が、資料を見ながら呟く。


「赤い星。我らの迫害の原因。白き月。扉。赦し。真なる夜」


それらの言葉が、解析室の中で不気味に浮かぶ。


月島は、黙って資料を見つめていた。


三層礼拝堂。

異形の神を祀る場。


カエルもどきが、何を信じ何に迫害され何を恐れているのか。

それは、単なるダンジョン内モンスターの設定ではないのかもしれない。


もしかすると、三層には月と赤い星の関係を読み解く鍵がある。

佐倉しずくたちは、もうその入口に立っている。


防衛省の男が口を開いた。


「三層の情報は、本人たちにどこまで共有する?」


月島は少しだけ考えた。


「全部は出しません。余計な先入観を与えれば、危険です」


内閣府担当者も口を挟む。


「だが、何も知らせずに行かせるのも危険だ」


「ですから、実務上必要な形で伝えます」


月島は資料を一枚引き寄せた。


「三層には知能の高い敵がいる。宗教的な言葉や赤い星に関する発言があった場合は、交戦中でも可能な限り記録する。会話できる個体がいたら、戦闘ではなく距離を保って観察する」


防衛省の男が眉を上げる。


「高校生探索者に、接触調査をさせる気か?」


「させるのではありません」


月島は冷静に返した。


「起きる可能性があるから、最低限の対応を教えるだけです。彼女たちはすでに現場で異常に巻き込まれています。何も教えない方が危険です」


老教授が薄く笑う。


「正論だな」


内閣府担当者が資料にメモを残す。


「三層関連資料の再精査を急ぐ」

「佐倉しずくたちが三層へ入る前に、月島支部長経由で注意事項を伝達」


月島がは、メモを書き終わるのを待ってから口を開いた。


「佐倉七海氏にも共有を」


「保護者として?」


「それもありますが、十層で月の魔女セレネと接触した当事者としてです。赤い星と白き月の対立構造があるなら、彼女の記憶に照合できる可能性があります」


内閣府担当者は少し考え、頷いた。


「限定共有で許可する」


会議はそこで一旦区切られた。


だが、月島は資料を閉じなかった。

カエルもどきの日記。

その一文が、どうしても目に残る。


赤い星は、我らの罪ではない。

白き月の下で祈った者たちこそ、扉を開いたのだ。


二層で赤い○に認識され、ボス部屋で模様のない月もどきに見下ろされ、三層には赤い星を巡る迫害の記録がある。


偶然ではない。

月島は、そう判断していた。


そして同時に、嫌な予感もしていた。


三層礼拝堂は、単なる次の階層ではない。

しずくたちにとって、月と赤い星をめぐる物語の扉になるかもしれなかった。

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