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第98話 永遠の友

相馬は、そこで一度言葉を切った。


会議室の空気は重いが、誰もすぐには口を挟まない。

だが、相馬はまだ資料から目を離していない。


「それと、最後にもう一点あります」


全員の視線が、再び相馬へ向く。


「九層レリーフについてですが、これも今の仮説である程度説明できます」


大型モニターに、九層隠し遺跡で発見されたレリーフの画像が映し出される。


見上げる少女、月と思われる天体。

そして、月の表と裏を示すような二つの円。


相馬は、その終盤部分の翻訳を示した。


「最後に、月の女王は永遠の友と添い遂げる、とあります」


老教授が、少しだけ身を乗り出した。


「永遠の友…か」


「はい」


相馬は頷く。


「これを月と地球の関係と読むなら、かなり筋が通ります」


画面に、地球と月の概念図が表示された。


「地球と月は、およそ四十六億年にわたって寄り添ってきた天体です。人類史など比較にならない時間、互いの重力で影響し合い、地球の生命環境にも深く関わってきました」


相馬は淡々と続ける。


「つまり、月にとっての永遠の友が地球である、という解釈は成立します」


会議室に、重い沈黙が落ちた。


四十六億年の友。

その言い方は、学術的であると同時にどこか神話的だった。


月島は、画面のレリーフを見つめていた。


月の女王と永遠の友。

もしそれが、ただの詩ではなく地球と月の関係を示しているのなら。

九層レリーフは、月の神話ではなく天体規模の関係性を語っていることになる。


防衛省の男が腕を組む、相馬を見る視線に少しだけ興味の色が伺えた。


「佐倉七海氏の証言では、月を地球から引き離したのは人類だったな」


「はい」


相馬はすぐに頷いた。


「そこが正しいなら、三層の日記に出てくる白き月の下で祈った者たちが、未来の人類を指している可能性があります」


内閣府の担当者が眉を寄せる。


「未来の人類が扉を開き、赤い星を招いたと?」


「仮説としては、そうです」


相馬は画面に、三層日記の該当箇所を映した。


白き月の下で祈った者たちこそ、扉を開いたのだ。


「白き月の下で祈った者たちを、単なる礼拝堂内の司祭や信徒と見ることもできます」

「ですが、月を失う未来、赤い星の出現、そして月を引き離したのが人類という証言を重ねると、別の読み方ができる」


相馬は、そこで言葉を少し強めた。


「未来の人類が、何らかの目的で月を地球から切り離した。そして、その行為が扉を開き、赤い星を招いた」


「なぜ人類がそんなことをする」


「そこは分かりません」


相馬は正直に答えた。


「資源利用かもしれない。月そのものを巨大構造物として改造したのかもしれない。あるいは、太陽系外へ進出するための移動基盤にしたのかもしれません」


「月を動かすほどの技術が可能なのか?」


「人類の技術進歩を考えれば、不可能とは言い切れません」


その言葉に、会議室の何人かがわずかに顔をしかめた。

あまりにも遠い未来の話だった。

だが、ダンジョンという現象そのものが、すでに現在の科学の外側にある。

否定するには、根拠が足りない。


相馬は続ける。


「その行為が結果として地球を不安定にし、赤い星を招いた。未来の地球は変質し、三層礼拝堂のカエルもどきたちのような存在が生まれた」


老教授が低い声で呟いた。


「未来の人類が過ちを犯し、現在の地球と月がそれを防ごうとしているのか」


「そういう構図です」


「この場合、ダンジョンは未来を変えるための介入装置になります」


画面に、新しい仮説図が表示される。


地球と月、太陽。

そして、ダンジョン。


相馬はそれを示しながら言った。


「ダンジョンを生み出したのは、月と地球、そして太陽。もし彼らが何らかの意思を持っているとしたら、人類にも理解しやすい形で階層構成や職業、スキル、素材ドロップ、レベルアップというシステムを構築した可能性があります」


防衛省の男が、少し皮肉めいた声を出した。


「星がゲームシステムを作ったと?」


「人類に合わせた翻訳形式、と考えた方がいいかもしれません」


相馬は動じなかった。


「星々が直接、重力波や電磁場で語りかけても人類には理解できない。なら、人間が理解できる形に変換する必要がある」


月島が静かに言った。


「職業、スキル、システムウィンドウ、人類が理解できる言語に落とし込んだ」


相馬は頷く。


「人類の文化や認知体系を読み取り、もっとも適応しやすい形で提供されたインターフェース。それがダンジョンのシステムかもしれません」


内閣府の担当者が、重いため息をついた。


「ますます外には出せない話だな」


「出すべきではありません」


相馬は即答した。


「ですが、内部では検討すべきです」


彼女はさらに続ける。


「星々が生み出すエネルギーは、人類の想像を超えます。地球の地熱、月との潮汐、太陽の放射エネルギー。もしそれらが意思を持ち、未来を変えるために何かを作ったとしたら」


相馬は一呼吸置いた。


「人類から見れば、それは空間どころか、ひとつの世界を生み出したように見えるかもしれません」


会議室は静まり返っていた。

誰も笑わない。

あまりにも壮大で、あまりにも非現実的だ。

だが、ダンジョンは現実に存在している。


魔石は現実に社会を変えた。

探索者は現実に職業とスキルを得る。

しずくたちは現実に、二層で月もどきと夜の魔法に遭遇した。


ならば、どこまでが現実でどこからが神話なのか。

その線引きは、もう誰にも簡単にはできなかった。


老教授が、ゆっくりと手を組む。


「相馬君。君の仮説は、現段階では証明不能だ」


「はい」


「だが、作業仮説としては面白い。いや、非常に有用だ」


相馬は軽く頭を下げた。


「ありがとうございます」


防衛省の男が、渋い顔のまま言う。


「仮にこの仮説が正しいとして、我々は何をすべきだ」


「三層礼拝堂を、単なる攻略階層として扱わないことです」


月島がその言葉に目を細める。


相馬は続ける。


「カエルもどきたちは、敵であると同時に、未来地球の証言者かもしれません。彼らの日記、礼拝文、祈祷、壁画、碑文。すべてが情報です」


「戦闘対象ではなく、記録媒体として見るべきだと?」


「少なくとも、一部は」


「もちろん現場の安全が最優先です。ですが、ただ倒して進むだけでは重要な情報を失う可能性があります」


月島が口を開く。


「佐倉しずくたちが三層へ入った場合、カエルもどきとの接触で何かが起きる可能性が高い」


「はい」


相馬は即答した。


「彼女たちはすでに赤い○に認識され、月の剣を発現しています。三層側の赤い星に関する記録と反応する可能性があります」


内閣府担当者が、資料に目を落とす。


「三層で新しい情報が開くかもしれない」


「その可能性は高いと思います」


「本人たちに、どこまで説明する」


月島が答えた。


「未来地球説までは伏せるべきです。負荷が大きすぎる」


相馬も頷いた。


「同意します。ただ、赤い星という言葉には注意するよう伝えるべきです。カエルもどきが発する言葉、礼拝堂内の文字、墓地の碑文に赤い星が出た場合、記録を優先する」



「戦闘中に記録など無理だろう」


月島は静かに返した。


「だから配信とログを強化します。彼女たちに直接、学術調査をさせるわけではありません」


相馬が付け加える。


「それと、白澤ミコトさんの魔力調律は重要です。魔法的な仕掛けや罠を解錠しやすくなったとのことですから、三層礼拝堂の隠し記録や封印に反応する可能性があります」


「佐倉しずくの解錠もだな」


老教授が言う。


「鍵のかかった宝箱や扉を開けるスキル。三層の礼拝堂に、物理的またはシステム的な鍵があるなら、彼女が触れることで開くかもしれない」


月島は少し苦い顔をした。


「ますます、彼女たちが中心になりますね」


「望む望まないに関わらず、そうなりつつあります」


相馬の声は静かだった。


「ただし、中心だからこそ守る必要があります。彼女たちは研究対象ではなく、観測者であり、子供です」


その言葉に、月島は一瞬だけ相馬を見た。


「その表現は、佐倉七海さんが好みそうですね」


「彼女に怒られたくはありませんから」


相馬が真面目な顔で返し、会議室にわずかな苦笑が広がった。

だが、それもすぐに消える。


議題は、あまりに重い。

地球と月と太陽の意思、ダンジョンという世界。


内閣府担当者が、最終的なまとめを読み上げる。


「相馬仮説は、限定共有の作業仮説として保存」

「三層礼拝堂関連資料の再翻訳を優先。赤い星、白き月、扉、迫害、真なる夜という語を重点検索対象とする」


画面に、決定事項が順に表示されていく。


「佐倉しずくたちが三層へ入る前に、月島支部長より最低限の注意事項を伝達」


「三層探索時は、協会と防衛省の合同即応班を待機」


「映像、音声、システムログ、配信コメントを多重保全」


「佐倉七海氏には、限定範囲で相馬仮説の一部を共有する」


月島は頷いた。


「了解しました」


相馬は、最後にレリーフの画像を見上げた。


月の女王、永遠の友。

もしそれが本当に月と地球を指すなら。

今、起きていることは、人類だけの問題ではない。


地球と月が、長い時間を共にした友を失わないために、未来そのものを書き換えようとしているのかもしれない。


そして、その中心に立たされつつあるのが、まだ中間テストの結果に一喜一憂している高校一年生の少女たちだ。


相馬は小さく息を吐いた。


「三層礼拝堂で、何が出るかですね」


月島も、同じ画面を見つめたまま答えた。


「ええ」


その声は、いつも通り冷静だった。

だが、その奥には確かな警戒があった。

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