第84話 相棒は間に合わない
ミコトは、足元の杖を見下ろしたまま、荒い呼吸を整えていた。
「接続…切れました」
ほのかは尻もちをついたまま杖を見て、それから笑った。
「マジで抜けた」
『杖奪ったあああ!』
『解除きた!』
『綱引き勝利www』
『ミコト&ほのかナイス!』
『しずくも前でよく耐えた!』
『赤い月、白に戻ってるぞ!』
頭上の月もどきは白く戻りつつあった。
ただし、完全な月にはならない。
のっぺりとした、模様のない白い円。
不気味さはまだ残っている。
赤い光失がわれた時、シャーマンが初めて明確に動揺した。
杖を失った両手を見下ろし、次にミコトの足元へ転がった杖を見る。
白塗りの顔が歪む。
「ギ…ギィ…」
リーダーも、わずかに動きを止めた。
軍人のように役割に徹していたリーダーが、初めて状況の変化を認識したように見えた。
しずくは、ゆっくりと息を入れ呼吸を整えた。
銀盾を構え直す。
霜がない、足が踏み込める。
ほのかが立ち上がりながら、機弩を拾う。
「形勢逆転」
ミコトは、奪った杖を足で押さえながら自分の杖を構えた。
「シャーマンは弱体化しています」
「じゃあ」
ほのかの口角が上がる。
「ここからは、こっちのターンだね」
状況は変わった。
赤い光は消えた。
石畳を覆っていた霜も、ぱきぱきと音を立てながら砕けていく。
さっきまで闘技場全体を支配していた、あの嫌な冷たさが消えていた。
「しずくさん!」
ミコトがすぐに立て直しに入った。
【ヒール】
淡い光が、しずくを包む。
肩の痛みがさらに引く。
腕に残っていた痺れも、完全ではないが戦える程度には戻る。
「ミコト、ありがとう」
「まだです、次が来ます」
ミコトの声は落ち着いていた。
赤い光が消えても、ゴブリンリーダーは健在だ。
杖を失ったとはいえ、シャーマンもまだ倒れていない。
だが、明らかに流れは変わっていた。
ほのかが、床に落とした98式を拾い上げた。
その時、腰のホルダーに収めていた踊り子の双剣がかすかに震えた。
「…あ」
さっきまでは抜けなかった。
赤い月光の下では、まるで怯えるように鞘の中で固まっていた双剣。
ほのかの耳元で風が鳴る。
行ける、と応えるように。
ほのかの目じりが少しだけ下がる。
「いい子」
双剣の柄を握る。
今度は、するりと抜けた。
銀の刃が、白い月もどきの光を受けて輝く。
さっきまでの赤い光とは違う。
冷たくも、不吉でもない。
澄んだ光だった。
【ダンシングソード】
ほのかが双剣を放つ。
二振りの刃が、空中へ舞い上がった。
まるで踊り子がステップを踏むように、片方が高く、もう片方が低く。
リーダーの巨体を迂回し、シャーマンへ向かって弧を描く。
シャーマンが慌てて後退する。
だが、杖はない。
赤い防御膜もない。
骨飾りの残りを握って何かを唱えようとした瞬間、一本目の双剣がその手元を斬った。
「ギィッ!?」
骨飾りが弾け飛ぶ。
二本目が、背後へ回り込むようにしてシャーマンの肩を裂く。
「通った!」
ほのかが叫ぶ。
視聴者コメントも、一気に勢いを取り戻した。
『双剣抜けた!』
『さっきの赤い光が原因だったのか!?』
『ダンシングソードきた!』
『シャーマン落とせ!』
『流れ変わったぞ!』
『ここから反撃だ!』
ほのかは双剣を踊らせながら、98式を構えた。
すぐには撃たない、構えたまま息を溜める。
チャージショットⅡ。
まず、シャーマンを落とす。
「しずく、リーダーお願い!」
「うん!」
赤い霜で鈍っていた身体が戻り、銀盾も以前よりずっと自然に動く。
リーダーの一撃を銀盾で外へ逃がし、カウンター気味に盾の縁を腕へ叩き込む。
鈍い音がして、リーダーの腕が揺れる。
「しずくさん、足元!」
ミコトがすぐに杖を振る。
【クァグマイア】
今度の泥沼は凍らない。
石畳がぬるりと沈み、リーダーの足元を絡め取った。
ゴブリンリーダーは力任せに抜けようとする。
だが、さっきと違って泥が生きている。
足が沈み、踏み込みが乱れる。
【ホーリーバインド】
続けて、ミコトの聖なる紐がリーダーの片腕へ絡む。
完全には止まらない。
リーダーは力で引きちぎろうとするが、足が完全に止まる。
「視えた!」
98式の先端に、圧縮された一撃が宿る。
鷹の目が、踊る双剣の隙間を縫ってシャーマンの胸元を捉える。
双剣がシャーマンの逃げ道を塞ぐ。
右へ逃げれば刃、左へ逃げても刃。
シャーマンが、初めて明確な恐怖を見せた。
「ギ、ギィィッ!」
金切り声のような叫びを無視するように、ほのかの声がそれを塗りつぶした。
「落ちろ!」
【チャージショットⅡ】
放たれた一撃は、空気を裂いて走る。
双剣の間を抜け、シャーマンが必死に掲げた腕ごと貫いた。
胸を撃ち抜き、背後の柱にまで深く食い込む。
「ギ…」
シャーマンの身体が、大きくのけぞる。
そこへ、戻ってきた踊り子の双剣が交差するように走った。
白塗りの顔から力が抜けると、うつ伏せに倒れた。
「シャーマン撃破!」
ほのかが歓喜の声をあげた。
『きたああああ!』
『シャーマン落ちた!』
『チャージショット強すぎ!』
『双剣復活からの連携熱い!』
『ミコトの拘束も神!』
『これで夜魔法なし!』
『勝てる!』
『残りリーダーだけ!』
頭上の月もどきは、もう赤くない。
相変わらず、模様のない不気味な白い円ではある。
だが、少なくとも闘技場を凍らせる力は消えていた。
残るは、ゴブリンリーダーのみ。
リーダーは、シャーマンが倒れたのを一度だけ見た。
ほんの一瞬だけ、その表情は読めない。
怒りでも悲しみでもない。
ただ、任務の一部が失われたことを認識したような静かな反応。
リーダーは再びしずくへ向き直った。
足場の悪さなどないように、曲刀を構える。
シャーマンを守る役割は終わった。
次は、敵を倒す役割へ移行した。。
ほのかが息を吐く。
「こいつ、まだ折れないんだ」
ミコトも杖を握り直す。
「ですが、もう支援はありません」
しずくは、ロングソードに魔力を宿した。
【マジックブロウ】
リーダーの視線が、自分だけを捉えている。
でも、さっきとは違う。
赤い光は消えた。
霜もない。
後ろには、ほのかとミコトがいる。
「…ここで決める」
魔力を乗せた剣を構える。
銀盾の縁が、淡く蒼く光るように応えた。
「ここからは、三人で倒す」
ゴブリンリーダーが、低く唸る。
二層ボス戦は、ようやく本来の形へ戻った。
シャーマンは倒れた。
細い体が、少しずつ光の粒子へ変わっていく。
赤い月光を呼んでいたはずの魔力も、端から崩れて消え始めていた。
ミコトは、しずくの背中から目を離さない。
どこでヒールを入れるべきか。
どこでホーリーバインドを差し込むべきか。
そのすべてを見逃すまいとしていた。
ほのかも、踊り子の双剣を腰のホルダーへ戻す。
そして、機弩を構え直した。
リーダーとしずくの位置を見て、射線を確保する。
三人の意識は、完全にゴブリンリーダーへ向いていた。
『残りリーダーだけ!』
『いける!』
『シャーマン落としたのデカい』
『しずく耐えろ!』
『ここから押し切れ!』
『ミコト、回復頼む!』
『ほのかの射線が通れば勝てる!』
勝てる。
そんな空気が、確かにあった。
だが、まだ諦めていない者がいた。
ゴブリンシャーマン。
すでに致命傷だった。
下半身はもう光の粒子になり始めている。
胸を撃ち抜かれ、魔法の杖も奪われた。
普通なら、もう何もできない。
だが、シャーマンの目は死んでいなかった。
白塗りの顔が、石畳に押しつけられている。
口元から、黒っぽい血がこぼれている。
それでも、その目はしずくを見ていた。
残った魔力をかき集める。
足りない。
なら、消えゆく己の命すら魔力へ変換する。
生み出されたのは、本当に小さな魔力だった。
魔力調律を持つミコトでさえ、見落としてしまうほどに。
シャーマンの指先に、小さな雷が生まれた。
雷と呼ぶには弱い。
火花に近い。
普通なら、なんでもない程度の魔法。
シャーマンは、その指先をゆっくりと持ち上げた。
誰も見ていない。
しずくも、ほのかも、ミコトも。
そして、視聴者も。
すべての目が、ゴブリンリーダーに向いていた。
小さな雷が放たれる。
それは、戦場を這うように飛んだ。
派手な詠唱も、轟音もない。
なんでもない一撃。
しずくなら、簡単に銀盾で流せる魔法だった。
だが、死角から来た。
しずくが違和感を覚えた時には、もう遅かった。
「…え」
小さな雷が、しずくの脇腹へ直撃した。
痛みはほとんどない。
焼けるような衝撃もない。
ただ、身体の芯に何かが弾けた。
しずくの動きが、ほんの僅か止まった。
システムウィンドウが開く。
【状態異常 スタン】
「しずくさん?」
ミコトが違和感を覚えた時、ゴブリンリーダーは動いていた。
曲刀を大きく振りかぶる。
止まった獲物を断ち切るための一撃。
「しずく!」
ほのかが叫ぶ。
しずくは動こうとした、銀盾で防ごうとした。
身体が動かない。
ほんの一瞬、たったそれだけ。
その一瞬で、リーダーの曲刀は振り下ろされた。
銀盾は間に合わない。
刃が、しずくの体を斜めに裂いた。
銀兎のジャケットが、大きく裂ける。
布地と内側の防護繊維が千切れ、赤い血が舞った。
「っ、ぁ…」
しずくの声にならない息が漏れる。
視界が揺れる。
足元が消えるような感覚。
ミコトの顔が、驚愕に歪んだ。
「しずくさん!」
リーダーは、さらに追撃に動いていた。
ほとんど丸太のような太い足が、しずくの胴へ叩き込まれる。
蹴り飛ばされた。
しずくの体が、血をまき散らしながら宙を飛ぶ。
世界が反転する。
ほのかの叫ぶ顔。
ミコトの伸ばした手。
すべてがばらばらに見えた。
背中が柱へ叩きつけられ、鈍い衝撃が全身を駆け抜ける。
しずくは、そのまま柱の根元へ崩れ落ちた。
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