第77話 誰かが用意した箱
しずくママが、今度はミコトへ視線を向けた。
「ミコトちゃん、いまの日本に探索者っておおよそ何人くらいいると思う?」
急に数字の話を振られても、ミコトはすぐに答えた。
「兼業、学生、趣味の探索者も含めるなら…おおよそ一千万人だったかと」
「一千万人、すごい数よね」
ほのかが、ケーキ皿の上でフォークを止めた。
「たしかに、国民の十人に一人くらい?」
「おおよそ、それくらいね」
しずくも、頭の中で数字を転がしてみる。
一千万、かなり多い。
けれど、ママはそこで少しだけ声を落とした。
「これは、あまり一般には出回っていないことなんだけど」
客間の空気が、また少しだけ引き締まる。
「日本に探索者が一千万人もいる割には、ダンジョンで他の探索者に会う機会ってあんまり多くないと思わない?」
その言葉に、ほのかがすぐ反応した。
「あ」
ミコトも、少しだけ目を見開く。
しずくは、言われて初めてそこに意識が向いた。
たしかに、探索者は多い。
協会にも学校にも、思ったよりたくさんいる。
なのに、ダンジョンの中で他の探索者と鉢合わせすることは、そこまで多くない。
寝ぐらの時みたいに、たまたま会うことはあった。
でも、人口比で考えたら少ない気がする。
ほのかが、少しだけ眉を寄せる。
「言われてみれば、変かも」
「二層とか初心者が多いはずなのに、毎回ぎゅうぎゅうって感じじゃないし」
「そういうこと」
「そのあたり、日本とドイツの共同研究でだいぶ見えてきたんだけど…」
「ダンジョンって、分かりやすく言えばサーバーごとに管理されてるっぽいのよね」
「サーバー?」
ほのかが、いかにも引っかかる単語だという顔をした。
「ある一定のキャパシティを超えると、同じ二層でも別の箱の二層にゲートから転送される感じ」
ミコトが首を傾げながら、頬に手を当てた。
「インスタンス…みたいなものですか」
「たぶん、それが一番近いわ」
「私たちが同じ二層だと思って潜っていても、内部的には別の区画、別のサーバー、別の箱に振り分けられてる可能性が高いの」
ほのかの目が点になった。
「それ、完全にゲームですよね」
「そう見えるでしょう?」
「すごく」
しずくも、小さく頷いた。
言葉だけ聞くと、異世界というより情報空間みたいだ。
でも、実際には魔石も素材も持ち帰れる。
怪我もするし、死ぬこともある。
だから余計に気味が悪い。
しずくママは、お茶を一口飲んでから続けた。
「今はそこもある程度解明されていてね」
「協会側では探索者がどの箱に潜っているか、ある程度追跡できるようになってるわ」
ミコトが、はっとしたように顔を上げる。
「それって…」
「緊急時の救助ができる」
「普段は、同じ箱に入れる人数に制限がある」
「でも救助の時は、その箱に割り込みみたいな形で入れるらしいのよね」
「キャパシティがいっぱいでも、優先枠みたいなもので突入できるとかなんとか」
ほのかが、少しだけ眉を寄せた。
「その人がいるサーバーに、ピンポイントで入るってことですか?」
「そういうこと」
「ただのフロア番号管理じゃないの。もっと細かく、どの箱のどの層にいるかで追ってる」
しずくは、そこでようやく月島たちの動きが少しだけ腑に落ちた。
あの人たちは、ただダンジョン全体をふわっと把握しているわけじゃない。
もっと具体的に、誰がどの箱にいるかを管理している。
「…それ、一般に出したら…かなりびっくりすると思う」
しずくがぽつりと言うと、ママは少しだけ笑った。
「だから、大っぴらには出してないのよ」
「ですよね」
ほのかも素直に頷く。
「だって二層は一つじゃなくて、実は何百何千って並列化されてますとか言われたら、だいぶ世界の見え方変わるもん」
「ええ」
しずくママの声は穏やかだけど、その中身は重い。
「この辺も、私がダンジョンを箱だと考える理由のひとつね」
箱。
しずくは、その言葉を頭の中で転がす。
閉じられた空間、分けられた区画。
条件ごとに振り分けられる場所、認識される場所。
自分たちはたぶん、その箱の通常運用じゃない部分に触れた。
ミコトが静かに言った。
「だからこそ、同じ二層でもあの小部屋に入った時だけ…少し違う二層にいるような感覚があったのかもしれません」
「そうね」
しずくママは頷く。
「同じ箱の中の、さらに別区画だったのか」
「あるいは、一瞬だけ別の箱に重なったのか」
ほのかが、ぞっとしたように腕をさする。
「重なった、って言い方すごい嫌ですね」
「でも、感覚としては近いと思うわよ」
「配信だけ切れた。映像も音も外へ出なかった。写真や動画も残らなかった」
「でも、あなたたち三人の認識だけは一致してる」
そこまで言われると、もうただのトラブルでは片づけられない。
しずくは、膝の上で手を握った。
「…じゃあ、あの部屋は」
「少なくとも、普通の二層ラボの部屋じゃない」
しずくママがはっきり言った。
「どこか別のレイヤーに触れていた可能性が高い」
言葉は現代的なのに、話している内容は神話みたいだ。
それが、いまのダンジョンらしかった。
ほのかが、姿勢を正しながら尋ねる。
「そういう箱の考えって、いつ頃から思ってたんですか?」
しずくママは少し考えるように目を細めた。
「探索者なってから、薄々はね」
「でも、決定的だったのはやっぱり深層に触れてからかしら」
「月の魔女?」
「それもあるわ。それ以前にも、ダンジョンがこちらを見てるみたいな感覚は何度かあったのよ」
しずくの背中が、わずかに強張る。
見ている。
認識している。
その言葉が、今日の小部屋の表示と繋がってしまう。
赤い○に認識されています。
あれは、ただのログではない。
何かがこちらを見て、反応した結果だった。
そう思うと、湯呑みを持つ指先が少し冷えた。
「だからこそ、深層に行った人ほど異世界説にもVR説にも微妙な顔をするの」
「どっちも違う気がすると?」
ミコトがすぐに聞き返す。
「どっちの要素もあるのに、どっちでもない」
「誰かが用意した箱って考えると、一番しっくりくるのよ」
客間にしばらく沈黙が落ちる。
そんな中、ほのかがぽつりと漏らした。
「私、今までダンジョンって危ないけど稼げる場所くらいの感覚だった」
「…わたしも」
しずくが続く。
「教科書のことは知ってても、そんなふうには考えてませんでしたね」
ミコトもゆっくり頷いた。
しずくママは、そんな三人を見て少しだけ表情をやわらげた。
「まあ、普通はそこまで考えなくていいのよ」
「え」
ほのかが顔を上げる。
「だって、普通の探索者は二層や三層で、赤い月に認識されたりしないもの」
少しだけ、空気が緩む。
でも、その緩みの下でしずくははっきりわかっていた。
もう、自分たちは二層を稼ぎ場として回るだけでは済まない場所へ来てしまったのだと。
「だから、今日の話は忘れないで」
「でも、飲み込まれないで」
「飲み込まれない?」
しずくが聞き返す。
「ダンジョンの正体が何であっても、考えすぎて日常まで全部そっちへ持っていかれたら、向こうの思う壺かもしれないでしょ」
その言い方に、ほのかが少しだけ笑った。
「なるほど…テスト勉強しろって、そういう」
「そういうこと」
「箱のことを考えるのも大事。でも、テスト勉強もやりなさい」
「うっ」
ほのかがうめく。
ミコトは、少しだけ嬉しそうに紅茶へ手を伸ばした。
しずくも、気づけば少しだけ肩の力が抜けていた。
箱だとしても。
認識されていたとしても。
赤い月が本当に何かを意味していたとしても。
今、自分のいる場所はちゃんとあって。
目の前にはお茶とケーキがあって。
隣には友達がいる。
その現実を、まず大事にしろと。
お母さんは、そう言っているのだと思った。
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