第74話 月島への報告
月島は、ほのかの説明を一度も遮らなかった。
腕を組むでもなく、表情を大きく変えるでもない。
ただタブレット端末を机の上に置き、視線だけで先を促している。
その静かな聞き方が、かえって部屋の空気を張りつめさせていた。
ほのかが、できるだけ順序立てて話す。
二層のゴブリンラボに入ったこと。
鍛冶部屋や薬品部屋を制圧したこと。
広間でボアバリスタと遭遇し、撃破したこと。
そのさらに奥で、明らかに異質な小部屋を見つけたこと。
「他の小部屋と違って妙に整理されてました」
「中央に石の台があって、壁に変な絵…壁画みたいなのがあって」
引き継ぐように、ミコトが静かに補足した。
「天体の動きを表しているように見えました」
「一番大きな丸を太陽、中央付近の丸を地球、その近くに描かれた赤い丸を月として読めます」
月島の指先が、ほんのわずかに止まった。
ミコトは、一瞬だけ月島を見てから続けた。
「説明しきれない部分はあります」
「ただ、単なる落書きには見えませんでした」
月島は短く頷いただけだった。
続きを促す目。
ほのかが、話を引き継ぐ。
「で、そのあと石の台が急に赤く光り出したんです」
「小部屋全体がなんかこう…夕焼けみたいな、でも見てると不安になる赤で満たされて」
「システムウィンドウが正常に開きませんでした」
ミコトがすぐに言葉を重ねる。
「ノイズが走るような、不自然な挙動でした」
「表示そのものが壊れかけているように見えました」
しずくは、あの時の赤を思い出し、無意識に膝の上の手を握りしめた。
ほのかが端末を軽く持ち上げる。
「で、かろうじて出た表示がこれです」
「画面自体は残ってないんですけど、文言は三人とも同じように見えました」
ほのかの声が少しだけ低くなる。
「赤い○に認識されています」
部屋の空気が、また少しだけ重くなった。
月島は、相変わらず表情を大きく変えなかった。
けれど、目だけは確実に鋭くなっていた。
「神宮さん、配信は?」
「台座が赤くなり始めてから、視聴者側では画面が真っ赤になって全部止まったらしいです」
「こっちでは普通に見えていたのに」
ミコトも続ける。
「写真と動画も、帰り際に確認しました」
「ですが…普通の小部屋しか映っていませんでした」
「ただ、配信には赤い画面だけが残ってます」
月島の視線が、ほのかの端末へ向く。
「あとでデータを提出して貰ってもいいかしら」
「はい」
ほのかがすぐに頷く。
そこまで話してから、ほのかはしずくへ視線を向けた。
「…最後に、わたしから」
月島の視線が、静かにしずくへ向く。
「関係あるか、わからないんですけど」
そう前置きしてから、しずくは言葉を選ぶように話し始めた。
母が若い頃、十層まで到達したこと。
そこで、月の魔女を名乗る女性と会ったこと。
戦って負けたこと。
そして、その月の魔女が見せた未来のようなものが、地球から月が失われる光景だったこと。
話しながら、しずくは何度も胸の奥がざわつくのを感じた。
けれど、今度は止まらなかった。
ここで曖昧にしてはいけない気がした。
「お母さんは、それが本当に未来なのか幻なのかは分からないって言ってました」
しずくの声は、少しだけ掠れていた。
「でも…月が地球から離れる話と、あの壁画の赤い丸が…少し重なって見えて」
言ってから、少しだけ目を伏せる。
「ただの偶然かもしれないです。でも、無関係だとは思えなくて」
部屋が静かになる。
受付のお姉さんが置いていったコーヒーの匂いだけが、やけにはっきりしていた。
月島は、三人を順に見た。
その視線は、疑うものではなかった。
かといって、簡単に飲み込むものでもない。
証言の重さを測っている目だった。
やがて、月島が口を開く。
「まず結論から言うわ」
三人の背筋が自然と伸びる。
「あなたたちが見たものを、見間違いや疲労による幻覚で片づけるつもりはない」
しずくの胸の奥で、張りつめていたものが少しだけ緩んだ。
ほのかも、小さく息を吐く。
ミコトは、ほとんどわからないほど小さく頷いた。
月島は続ける。
「三人の証言は、細部までほぼ一致している」
「しかも配信の遮断と記録の欠落という、外部から見ても確認可能な異常が重なっている」
「さらに、赤い○に認識されていますという表示」
「少なくとも、こんなシステムログは聞いたこともない」
「やっぱり…」
ほのかが、思わず声を漏らす。
「協会が把握している定型表示ではないわ」
月島の指先が、机の上で一度だけ止まる。
「それと、月の魔女の件」
しずくの肩が、わずかに揺れた。
「その話は初耳ではないわ」
「え」
今度はしずくだけじゃなく、ほのかとミコトも反応した。
少しだけ言葉を選ぶように視線を落とし、それから淡々と告げる。
「断片的な証言なら、過去にもある」
「十層到達者の一部が、月に関する何かを見た、あるいは接触したという話はね」
しずくの喉が鳴る。
「ただし」
月島の声が、少しだけ低くなる。
「公式記録にまで残るほど明確なものではなかった」
「ほとんどが極秘扱いか、あるいは精神的負荷による異常体験として整理されてきた」
「でも今回は、違うんですよね」
ミコトが小さく言った。
月島はゆっくり頷く。
「今回は少なくとも、三人同時に同じものを見ている」
「さらに外部記録に異常が出ている。そこが大きい」
そして、しずくを見る。
「あなたのお母さん…佐倉七海さんの件も含めて、これは軽視できない」
しずくは、驚きで少しだけ目を見開いた。
母の名前を、月島が自然に口にしたからだ。
月島は、その反応を見て小さく補足する。
「こちらでも、過去の最深層到達者の記録くらいは把握しているわ」
その言い方は淡々としていた。
つまり母の話は、完全に個人的な昔話ではなかったということだ。
ほのかが、少しだけ身を乗り出す。
「じゃあ、どうするんですか?」
月島は即答した。
「まずは、今日この件を上へ上げる」
「上って…」
「東京の協会本部」
それから、月島は三人へはっきりと言った。
「あなたたちは、この件を今のところ外で話さないで」
「配信は大丈夫ですか?」
「小部屋の中で起きたことの詳細は伏せる。少なくとも、月や壁画の解釈までは言わない方がいい」
「了解です」
ほのかは、迷わず頷いた。
月島はさらに言葉を重ねる。
「配信遮断は、視聴者から見ても異常として残っている可能性が高いから、完全には隠せないでしょうね」
「でも、映像が乱れた、詳細不明の異常があった。その程度に留めなさい」
ミコトも、すぐに「はい」と答える。
しずくは少し迷ってから聞いた。
「…あの小部屋、また調べるんですか」
月島の目が、ほんの少しだけ細くなる。
「調べる」
その返答には、迷いがなかった。
「ただし、あなたたち三人をすぐに再突入させることはしない」
ほのかが、少しだけほっとしたような悔しいような顔になる。
月島は続ける。
「まずは協会側でログの確認と、二層全体の再マッピングをするわ」
「必要なら、深層経験者を含めた少人数調査班を組む」
そして、少しだけ声を落とした。
「ただ…」
三人の視線が月島に集まる。
「赤い○に認識されていますという文言が、認証や選別に近い意味を持つなら、次に何かが開く条件が何なのか、今の時点ではわからない」
ミコトが小さく息を呑んだ。
「つまり…」
「あなたたちがもう一度行っても、何も起きない可能性もある」
「逆もあるかもしれない」
その言葉に、部屋の空気がまた少し冷えた。
しずくは、膝の上の手を見つめる。
あの赤い光。
あの小部屋の空気。
隠し扉の向こうの暗さ。
できれば、二度と見たくない気もする。
けれど、目を逸らして終わる話じゃないのも分かる。
月島は、三人の表情を見て少しだけ口調をやわらげた。
「今日はもう十分よ」
タブレットを閉じる。
「よく持ち帰ってくれたわ」
その一言で、しずくの胸の奥にあった張りつめたものがまた少しだけほどけた。
ほのかが、軽く頭を下げた。
「…信じてくれて、ありがとうございます」
月島は首を振った。
「信じる信じないの前に、異常は異常として扱う。それが私たちの仕事」
そして、ほんの少しだけ笑う。
「でも、三人とも無事に戻ってきたのは本当によかった」
その言葉に、ミコトが小さく目を伏せた。
しずくもほのかも、同じ気持ちだった。
無事に帰ってきた。
それが一番大事なことだ。
月島は席を立つ。
「この件は、私から上へ上げる」
「はい」
三人が揃って答える。
「それと」
月島が扉の方へ向かいながら、最後に振り返った。
「佐倉さん」
しずくが顔を上げる。
「お母さんから、月の魔女の話で他に聞いていることがあれば整理しておいて」
「どんな些細なことでも構わない」
「…はい」
しずくは、小さく頷いた。
月島はそれを確認すると、静かに部屋を出て行った。
扉が閉まる。
残された三人は、しばらくそのまま動かなかった。
ほのかが、ようやく深く息を吐く。
「なんか…とんでもないことに、足突っ込んだ気がする」
しずくは、コーヒーの残りを見つめながら小さく頷いた。
「…たぶん、最初からかも」
ミコトも静かに頷いた。
「ゴブリンラボで、こんな話になるなんて思いませんでした」
それは、本当にそうだった。
ただの稼ぎ場のつもりだった。
新装備の試し打ちのつもりだった。
しずくは、そっと左腕の銀盾に触れた。
冷たい。
でも、相棒はちゃんと現実だった。
赤い光の残像も。
壊れたシステムの文言も。
今ここにあるコーヒーの苦さも。
全部現実だ。
しずくは小さく息を吸い、二人を見た。
「…とりあえず」
ほのかとミコトが、顔を上げる。
「今日は帰ろう」
その言葉にほのかが苦笑した。
「だね、さすがに今日はお腹いっぱい」
ミコトも穏やかに頷いた。
「そうしましょう」
ミーティングルームの外では、いつもの協会のざわめきが続いている。
しかし、三人の中では何かが静かに始まりかけていた。
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