表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

72/105

第73話 記録に残らないもの、記憶に残るもの

三人はそのまま協会の別棟、事務棟のミーティングルームへ通された。


前にも応接室には入ったことがある。

けど、今日は空気が違った。


広くはない部屋。

長机と椅子、壁にはホワイトボード。

飾り気はほとんどなく、いかにも打ち合わせ用といった場所だ。


それでも、さっきまでいた二層の奥と比べればあまりにも普通だった。


LEDの灯りが室内を照らす。

空調の低い音と、廊下の向こうを誰かが歩く気配。

人のいる建物の気配がちゃんとする。


その普通に、しずくは少しだけ息を吐いた。

椅子に腰を下ろした瞬間、自分の足がわずかに震えていることに気づく。


戦闘の疲れとは違う。

もっと奥の方が、まだ冷えている感じだった。


ほのかにもいつもの勢いがない。

背もたれに体を預けたまま、端末を握っている。


ミコトは両手を膝の上に置き、指先を揃えるように組んでいた。

小さな手が、少しだけ強張っている。


誰もすぐには喋らなかった。

その静けさがさっきの小部屋と少し似ている気がして、しずくは思わず何もない机の上を見た。


赤い光はない。

台座もない。

壁画もない。

それなのに、まぶたの裏にはまだ残っていた。


夕焼けみたいな、不安になる赤。


「…戻ってきたんだよね」


ほのかが、ぽつりと言った。


「…うん」


しずくは小さく頷く。

ミコトも、少し遅れて頷いた。


「はい、協会の中です」


言葉にして確認するみたいだった。

ほどなくして、受付のお姉さんが戻ってきた。


トレーの上には紙コップではなく、ちゃんとした陶器のカップが三つ。

そこから、コーヒーの匂いが立ちのぼっている。


「はい」


テーブルへ一つずつ置いていく。


「月島部長、いま電話に出てるから」


それから三人の顔を見回して、少しだけ眉を下げた。


「それまで、これでも飲んで落ち着きなさい」

「結構ひどい顔してるわよ、みんな」


その言い方が、少しだけいつもの受付のお姉さんに戻っていて。

張りつめていた空気を少しゆるめた。


ほのかが、力なく笑う。


「そんな顔してます?」


「してるわよ」


ミコトも、小さく自分の頬に触れる。


「…そんなに、ですか」


「白澤さんはまだマシ。神宮さんは気を張ってる顔。佐倉さんは完全に考え込みすぎの顔」


しずくは、前髪の奥で少しだけ目を伏せた。


「…すみません」


「謝るところじゃないの」


お姉さんはそう言って、コーヒーの入ったカップをしずくの前へ少し押した。


「とりあえず、飲みなさい。熱いから気をつけて」


「…はい」


三人が小さく頷くのを見届けてから、お姉さんは扉のところで振り返る。


「思い出せること、今のうちに整理しといて」


そう言い残して、部屋を出ていった。

また静かになる。

ミーティングルームの空調の音と、遠くの廊下の気配だけがかすかに聞こえる。


今度の静けさは、さっきより少しだけましだった。

しずくは、そっとカップを持ち上げた。


じんわりと熱が指先に伝わった。

ひと口飲む。


苦い。

けれど、妙に現実へ引き戻される味だった。


赤い光でも壊れたシステムでも、記録されない小部屋でもない。

ただの熱いコーヒー。


ほのかもコーヒーを飲んでから、ゆっくりと息を吐いた。


「ちょっと落ち着いたかも」


ミコトは両手でカップを包むように持って、湯気を見ている。


「あったかいです」


しずくも、カップを両手で包んだ。

あたたかい。

そのあたたかさが、少しだけありがたかった。


けど、湯気の向こうに赤い光がちらつく気がして、しずくは一度目を閉じた。

あの赤だけが、まだ胸の奥に残っている。


「ちゃんと、話せるかな」


しずくが小さく言うと、ほのかがすぐに返した。


「話せるよ」


その声は少しだけいつも通りだった。


「三人とも見たんだし。壁画も、赤い光も、壊れたシステムウィンドウも」


ミコトも静かに頷く。


「写真は残っていなくても、わたしたちの記憶は残っています」


しずくは、カップを持つ手に少し力を入れた。


記録は消えた。

配信も赤く塗り潰された。

写真にも動画にも残っていない。

でも、自分たちは見た。


壁画の赤い丸。

台座の光。

赤い○に認識されています、という半壊れの表示。

音もなく開き始めた隠し扉。


しずくは、目を閉じる。

忘れないうちに、順番に、できるだけ正確に。


ほのかが、端末をテーブルの上に置いた。


「私、時系列で言うね」

「ボアバリスタ撃破後、最奥の小部屋へ入った。そこまでは配信も正常」


「…うん」


しずくが頷く。


ミコトが続けた。


「小部屋の中には、壁画と石の台座がありました」

「壁画には、天体運行らしき図。太陽らしき丸、地球のような丸、赤い丸、離れた位置の小さな丸」


「そこで、しずくが…」


ほのかが視線を向ける。

しずくは少しだけ喉を湿らせてから言った。


「…お母さんから聞いた話を、思い出した」


ミコトが小さく付け足す。


「十層で月の魔女と会い、未来のようなものを見せられた話ですね」


しずくは頷く。


「…地球から月が失われる未来」


その言葉を口にすると、また胸の奥がざわついた。

けれど、さっきよりはちゃんと声になった。


ほのかが、さらに続ける。


「そのあと、台座が赤く光って小部屋全体が赤くなった」

「システムがバグったみたいな表示になって、最後に赤い○に認識されていますって出た」


ミコトが少しだけ眉を寄せる。


「その後、壁画の下部に隠し扉のようなものが開き始めました」


「でも、そこで撤退した」


「…うん」


しずくが小さく返す。


「それで小部屋を出たら、赤い光は消えてた」

「配信はその間、真っ赤になって映像も止まってた」

「写真と動画は、普通の小部屋しか映っていなかった」


三人で順に言葉を置いていくと、少しずつ輪郭ができてくる。


起きたことは、やっぱり異常だ。

でも、異常なだけで終わらせたくはない。

整理すればするほど、怖さが形を持つ。

形を持つから、余計に怖い。


ほのかが端末を見下ろしながら言った。


「コメント欄、まだざわついてる」


「赤い画面のこと?」


「アーカイブ確認した人もいるっぽい。やっぱり赤くなってるって」


ミコトが小さく息を吸う。


「外部記録にも残っているのは、赤い画面だけ…」


「そう」


ほのかは、少しだけ唇を引き結んだ。


「中身は映ってない。でも、何かがあったことだけは残ってる」


それが、いちばん気持ち悪かった。

見たものは残らない。

でも、赤だけが残る。

まるで、向こうがわざとそうしたみたいに。


「赤い○」


しずくが呟く。

ほのかとミコトが、そっとこちらを見る。


しずくは、コーヒーの黒い水面を見つめた。

そこに、赤い光が映っているはずはない。


なのに一瞬、見えた気がした。

小さな赤い丸。

こちらを見ている、赤い目みたいなもの。


しずくは思わず瞬きをする。

目の前にあるのは、ただのコーヒーだった。


「しずく?」


ほのかの声がする。


「…なんでもない」


そう言ってから、少しだけ付け足す。


「赤いのが残ってる感じがするだけ」


ほのかは茶化さなかった。


「わかる」


ミコトも静かに頷く。


「わたしもです。目を閉じると、台座の光が浮かびます」


三人とも、同じものを見ていた。

それが少しだけ心強くて。

同時に、やっぱり怖かった。


しずくは、コーヒーをもう一口飲んだ。

苦味が、少しだけ頭をはっきりさせる。


「…月島さん、信じるかな」


ぽつりと出た本音に、ほのかがすぐ返した。


「信じるでしょ」


「…即答するんだ」


「だって月島さんああ見えて、変なことは変ってちゃんと扱う人じゃん」


ミコトも静かに頷く。


「少なくとも、見間違いですねで終わらせる方ではないと思います」


その二人の言葉に、しずくは少しだけ肩の力を抜いた。


その時、廊下の向こうで人の気配があった。

三人の背筋が同時に伸び、扉が開く。

入ってきた月島は、いつもの落ち着いた表情のままだった。


けれど、目だけは鋭い。


「待たせたわね」


そう言って部屋に入り、扉を閉める。

三人の顔と、まだ湯気の残るコーヒーを流し見する。


それから、しずく達の向かいの席へ腰を下ろした。


「受付から大まかな話は聞いたわ」


月島の視線が、三人を順に見た。


「普通じゃないものを見たのね」


しずくは、膝の上で拳を小さく握った。


ここからだ。

本当に話が大きくなるのは。

続きが気になる方は、ブクマお願いします!

また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ