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第66話 大丈夫じゃないです!

隣の小部屋を覗き見していたほのかが、そっと身を引いた。


声は潜めたまま。

でも、内容ははっきりしている。


「次はたぶん薬部屋」


「…薬部屋」


しずくが小さく繰り返す。


「大きい釜で何か煮てる」

「ゴブリンは三匹。二匹は釜をかき回してて、もう一匹は棚の前をうろうろしてる」


ミコトが、少しだけ眉を寄せた。


「棚…薬品棚ですか?」


「たぶんそう、いくつも並んでる」


「それ、投げてくるかもしれません」


ほのかも頷いた。


「私もそう思った。しかもこの匂い、絶対ろくでもない」


実際、部屋の奥から流れてくる臭気は、さっきまでの金属と油の匂いとは種類が違った。


鼻を刺す臭い。

腐った薬草を煮詰めたような、嫌な臭いだ。


しずくも思わず顔をしかめる。


ほのかが少し鼻をつまむような仕草をした。


「さっきの部屋よりやばい。あれ、たぶん薬じゃない」


「…そりゃそう、ゴブリンだし」


しずくが返すと、ミコトが小さく頷いた。


「毒か、酸か…とにかく、近づけたくないですね」


しずくは、通路の先の小部屋を思い浮かべる。

ゴブリンのラボというより、ほとんどゴブリンの薬品工房だ。


ほのかが、空間に指で簡単な配置を示す。


「釜の二匹は作業担当。棚前の一匹は、たぶん材料係か投擲係」


「…投擲係」


「ほら、嫌な予感しかしないでしょ」


たしかにそうだ。

棚前の一匹が薬品を取って投げるだけで、状況が一気に悪くなるかもしれない。


ミコトが小声で提案する。


「なら、最初に棚前を落としましょう」


「賛成」


ほのかが頷く。


「小部屋の入口にクァグマイア置いて、逃げ道と突撃を潰そう」

「その後、棚前をヘッドショットか光輪で落とす」


しずくも頷く。


「…うん」


「しずくは入口で止める役ね。もし薬を持って投擲してきたら盾で弾いて」


銀盾に軽く触れながら、しずくは呼吸を整えた。


「…やってみる」


ミコトは杖を握り直す。


「クァグマイアは、さっきより少し浅めに置きます」

「部屋の中に流れ込みすぎると、釜まで倒れそうなので」


ほのかが少しだけ目を丸くする。


「ミコト、ちゃんと事故まで考えてるんだ」


「煮えてるものを浴びたくないです」


「それはそう」


三人とも、そこは完全に一致した。


ほのかがもう一度、壁越しに部屋の様子を確認する。


「まだ気づいてない」


鍛冶部屋での銃声が、逆にこの区画全体の作業音の一部みたいになっているのかもしれない。

ラボというだけあって、常に何かしら鳴っているのだろう。


ほのかが息を潜める。


「よし、次も静かにいこう」


しずくは79式を構え直した。

ミコトは杖先を通路の床へ向ける。

ほのかの目が、獲物を狙うように細くなる。


部屋の奥からは、ぐつぐつと何かが煮える音。

そして、ゴブリンたちの気の抜けた声。


まだ、死神が来ていることを知らない声だ。


「棚前から」


ほのかが囁く。

しずくとミコトが、同時に頷いた。


次の小部屋は、鍛冶場ではなく薬品工房。

だからこそ、一手でも間違えれば面倒になる。


三人は音を殺したまま、臭気の流れてくる入口へと静かに位置を取った。

ミコトが杖を低く構える。


【クァグマイア】


小さな詠唱とともに、入口の床がぬるりと沈んだ。


その直後だった。

泥沼が部屋の内側へ浅く広がった瞬間、床に置かれていた小皿のようなものが倒れた。


紫色の液体が泥と混ざる。

嫌な音と共に、部屋の中から紫煙が噴き出した。


「っ!」


先頭にいたしずくの顔と上半身を、煙が包み込む。


鼻と喉が焼けるように痛む。

肺の奥に、ぬるりとした冷たさが入り込む感覚。


「…っ!」


しずくが思わず一歩下がる。

視界の端に、半透明のシステムウィンドウが開いた。


【状態異常 毒】


「しずくさん!」


咄嗟にミコトの声が跳ねる。


ほのかも、舌打ち交じりに叫んだ。


「やば、毒煙!」


視聴者コメントも一気に荒れる。


『毒煙!?』

『罠かよ!』

『しずく毒った!』

『キュア!キュア出番!』

『薬部屋こわすぎ』


だが、立ち止まっている暇はない。

こちらの叫びに、ゴブリン達がさすがに気づいた。

釜をかき回していたゴブリン二匹が、混ぜ棒を槍みたいに構えて泥沼へ突っ込んでくる。


泥沼が足を取る。

けれど、勢いが完全には死んでいない。


さらに、棚前のゴブリンが小瓶を掴んでいた。


しずくは、咳き込みそうになる喉を無理やり押さえ込む。

頭が少し重い。

でも、まだ動ける。


「大丈夫」


自分に言い聞かせるみたいに呟いた瞬間。


「大丈夫じゃないです!」


ミコトの声が今までにないくらい強い。

短い詠唱の後、杖の先端のミスリル球が淡く光る。


【キュア】


柔らかな光が、しずくの胸元へ流れ込む。

焼けるようだった喉が、すっと冷える。

肺の奥に絡みついていた嫌な重さが、じわじわほどけていく。


紫煙の残滓が、肌の上から洗い流されるように消えた。


ウィンドウが、静かに更新された。


【状態異常 毒解除】


しずくが息を吸い直す。

ミコトのキュアは、思っていた以上に速かった。


『キュア仕事した!』

『ミコト加入してなかったら危なかった』

『状態異常回復ありがたすぎる』

『薬部屋でキュア初実戦は熱い』


「しずく、前!」


ほのかの声。

泥沼を抜けかけた一匹目のゴブリンが、混ぜ棒を振りかぶる。


しずくは咄嗟に銀盾を前へ出した。

新しい銀盾が、まるで最初からその角度を知っていたみたいに滑り込む。


棒を受ける。

違う、受け止めるんじゃない、流した。


混ぜ棒の先が逸れ、ゴブリンの体勢が崩れる。

そこを逃さず、ほのかの弾がゴブリンの額を抜いた。


二匹目は、泥沼でもがきながら無理やり腕を伸ばしてくる。

しずくは79式を構え、短く斉射した。


銃弾が、胸と腹を連続で抉る。

泥に足を取られたゴブリンは、そのまま前のめりに倒れ光へ変わる。


残るは棚前の一匹。

瞬時に倒された仲間を見て、腰が引けたようになっていた。

だが思い直したように、手元の小瓶を投擲しようと振りかぶった。


「それ、投げさせない!」


ほのかが身を乗り出し、機弩の照準を合わせようとする。

けれど、ゴブリンは棚を盾にしながら左右へ動く。


射線が通りにくい。

ミコトが小さく息を吸った。


「しずくさん、少しずれてください!」


しずくがちらりとミコトの位置を確認し、素早く右へずれる。

その動きに合わせるように、ミコトが詠唱と共に杖を振った。


【光輪】


聖なる光の輪が、小部屋の入口から斜めに滑り込む。

棚の前で小瓶を掴んでいたゴブリンの手首を、小瓶ごと切り裂いた。


「ギャッ!?」


手にしていた小瓶が破裂し、緑色の液体がゴブリン自身へ降りかかる。


「ギッ、ギィィィ!?」


自分の薬品を浴びたゴブリンが、床をのたうち回った。


「…自爆してる」


しずくがぽつりと呟く。

ゴブリンは、ほどなくして光になって消えた。


ぐつぐつと煮える釜の音だけが、まだ部屋に残っている。

ほのかが大きく息を吐いた。


「…あっぶな」


ミコトも、肩の力を抜きながらしずくを見る。


「しずくさん、大丈夫ですか?」


しずくは、自分の喉を軽く押さえてから頷いた。


「問題なさそう」


ミコトが少しだけ照れたように目を伏せる。


「間に合ってよかったです」


それから、床に転がった割れた小瓶の残骸を見て顔をしかめる。


「最後のは、恐らくかなり強い毒ですね」


しずくも、部屋の奥の釜を見た。

まだ中身が煮えている。

紫とも緑ともつかない泡が、時々ぼこっと浮かぶ。


「…あれ、なんだろ」


「見たくないけど、見なきゃだよね」


ほのかも釜の方へ視線を投げた。


ミコトは、慎重にラボ全体の様子を伺う。


「他の部屋は大きくは反応していません。今のうちに回収できます」


しずくは小さく頷く。


毒は解除された。

前より盾は馴染む。

ミコトのキュアも、ちゃんと戦場で機能した。

この部屋で、それが全部証明された気がした。


ほのかが98式を持ち直し、にやっと笑う。


「よし、薬品部屋制圧」


それから、釜を見て付け足す。


「でも、あの中身だけは最後まで信用しないでいこう」


ミコトも、静かに頷く。


「触らず、近づきすぎず、必要なら浄化できるか確認します」


「ミコト、頼もしすぎ」


ほのかが笑う。


しずくは銀盾を前へ寄せ、まだ煙の残る小部屋を見た。

ゴブリンラボ。

鍛冶部屋だけでも面倒だったのに、薬品部屋はさらに厄介だった。


けれど、こちらも前とは違う。

状態異常を治せるミコトがいる。

強化された盾がある。

ほのかの射撃も、新しい戦術もある。


三人は、ゆっくりと紫煙の名残が漂う小部屋へ慎重に足を踏み入れた。

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