第61話 相棒が帰ってきた日
受け取りまでの一週間。
長かったような、短かったような日々だった。
ダンジョンには潜っていない。
けれど、まるで別種の戦場に放り込まれていた。
図書準備室での中間テスト対策。
最初に範囲表を机の上へ広げられた時の絶望感を、しずくはしばらく忘れないと思う。
そんな一週間を経て、ついに受け取りの日が来た。
しずくは、自室の机に広げていたノートを閉じた。
窓の外は、少しだけ明るい春の空。
今日は学校はない。
図書準備室でもなく、協会でもなく、太田工房へ行く日だ。
強化された銀盾。
ミコトの杖。
先週まで、ただの案だったものが形になって戻ってくる。
そのことを思うと、胸の奥が少しだけそわそわした。
駅前の時計台の下で、三人は待ち合わせていた。
休日の駅前は、平日より人が多い。
買い物客、家族連れ、部活帰りっぽい学生。
そんな人の流れの中で、ほのかはベンチのそばで片足を軽く引いて立っていた。
「おはよー」
しずくが近づくと、片手を上げる。
今日は学校じゃないから、髪は下ろしていない。
軽くまとめたポニーテールで、動きやすそうな私服だ。
「…おはよう」
しずくも、小さく返す。
少し遅れて、ミコトが小走りでやって来た。
今日も落ち着いた色の服だけど、きちんとしている。
小さい体に合わせて、服のサイズ感もぴったりだ。
「すみません、お待たせしました」
「全然、今来たとこ」
ほのかがすぐに、にやっと笑った。
「ミコト、もう連絡済みなんでしょ?」
ミコトがこくりと頷く。
「昨日のうちに、今日の受け取り時間をメールで送ってあります」
「さすが」
ほのかが素直に感心する。
しずくも、前髪の奥で小さく目を瞬かせた。
ちゃんとしてる。
本当に、そう思う。
工房に行く時間を先に連絡しておく。
それだけのことなのに、自分なら思いつかなかったかもしれない。
しずくは、ぼんやりそんなことを考える。
ミコトは、派手ではない。
でも、こういう段取りが自然にできる。
図書準備室の使い方もそうだし、勉強会の進め方もそうだった。
「…ミコトすごい」
しずくがぽつりと漏らすと、ミコトは少しだけ首を傾げた。
「そうですか?」
「要領がいいっていうか、段取りがいいっていうか」
「うんうん」
ほのかも強く頷く。
「私たちが行こっかーで終わるところを、ちゃんと何時行くかまでやってくれるタイプ」
ミコトは少しだけ困ったように笑った。
「でも、そうしないと相手の方に失礼かなと思って」
その感覚が、やっぱりきちんとしている。
ほのかが、楽しそうに言う。
「しずくは前衛で、私は後衛」
「ミコは段取り担当、パーティとして完成度高くない?」
「…役割が、地味に現実的」
しずくが返すと、ほのかが笑った。
そのまま、三人で歩き出す。
駅前からモールへ。
休日の昼前だから、人通りはそこそこ多い。
でも、平日の放課後とは少し違うゆるさがあった。
モールに入り、探索者エリアへ足を向ける。
平日の夕方よりさらに人が多い。
でも今日は迷わない、行き先は決まっている。
企業ショップの並ぶ通りを抜け、少しずつ工房エリアの方へ進む。
空気がまた少し変わる。
金属の匂い、油の匂い。
そして見えてきた、太田工房。
やっぱり、ここだけ昭和みたいだった。
休日のモールの中なのに、無骨な看板と引き戸は空気が違う。
初めて見た時ほどの圧はない。
でも、変わらず本物っぽい感じがある。
ほのかが小さく息を吐く。
「来たねえ」
ミコトが、少しだけ表情を引き締める。
しずくは、胸の奥が少し速く鳴るのを感じていた。
先週まで自分の腕にあった相棒。
それが、どう変わって戻ってくるのか。
ミコトの杖もそうだ。
たぶん、見た目も少し変わっている。
でも見た目以上に、手に持った感覚が変わるんじゃないか。
そんな気がした。
ミコトが、一歩前へ出て引き戸に手を掛けた。
「行きます」
「うん」
ほのかが頷く。
しずくも小さく息を吸って、頷いた。
ミコトが引き戸を開けると、中から流れてきたのは、あの時と同じ鉄と革の匂い。
でも今日は、そこに少しだけ待っていたものに会いに来た感じが混ざっていた。
奥から、聞き覚えのある低い声がした。
「来たか」
太田だ。
その一言だけで、三人の背筋が少しだけ伸びた。
今日は、受け取りの日。
強化された盾と杖が、ようやく自分たちの手へ戻ってくる。
太田が奥から持ってきた銀盾は、ぱっと見ただけで前とは違っていた。
元の銀のバックラーの面影はある。
けれど別物になっている。
縁の部分が、うっすらと蒼く輝いて見えた。
強く光っているわけじゃない。
ただ、工房の照明を受けるたびに、内側から静かに色を返す。
中央には、丁寧にカットされた円形のミスリル。
派手ではない。
でも、そこにあるだけで盾全体の空気が締まる。
ほのかが、思わず声を漏らした。
「うわ…」
ミコトも、目を見開く。
「綺麗です」
しずくは、しばらく何も言えなかった。
自分の盾だ。
たしかに、元はあの銀のバックラーだ。
でも、手を伸ばすのが少しだけ怖くなるくらい、ちゃんとしていた。
太田が顎でしゃくる。
「つけてみろ」
しずくは、こくりと頷いて盾を受け取った。
冷たい。
けれど、嫌な冷たさじゃない。
金属なのに、どこか静かに手へ吸いつく感じがある。
左腕に装着し、固定具を締めた後に腕へ沿わせる。
いつもの動き。
そのはずなのに。
「…あ」
しずくの口から、小さく声が漏れた。
元々、この盾とは相性がよかった。
かなり馴染んでいた。
でも、今はそれよりさらにしっくりくる。
重さがあるはずなのに、重さを感じにくい。
角度を変えた時の返りが、頭で思うより少し先に来る。
手首の向き、肘の位置、肩の流れ。
まるで、これが本来の姿だったみたいに。
しずくは、無意識に腕を振った。
前へ、斜めへ流すように返す。
銀盾が、ぴたりとついてくる。
違和感がないどころか、今までの方が仮の姿だったみたいだ。
ほのかが、少し興奮した声で言う。
「え、めっちゃ合ってる」
ミコトも頷いた。
「本当に、自然です」
太田は、その反応を見てから腕を組んだ。
「こいつはな」
しずくを見る。
「嬢ちゃんの呼吸を、ある程度読める盾だ」
「…呼吸」
しずくが繰り返す。
太田は頷く。
「縁と中央のミスリル共鳴を、単純な強化だけで終わらせてねぇ」
「お前の腕の動きと、重心移動の癖に合わせてある」
しずくが、少しだけ目を見開く。
「…そんなの、できるんですか?」
「できる」
太田はあっさり言う。
「ミスリルは、思ったより正直だ」
「使い手が雑なら雑に返すし、繊細なら繊細に返す」
それから、しずくの盾へ視線を落とす。
「頭の中で思い描いたように、ある程度合わせてくれる盾だぞ」
その言葉の意味が、しずくの中でゆっくり広がる。
思い描いたように合わせてくれる。
それは、勝手に動く魔法盾とは違う。
でも、使い手の呼吸と意図を拾って、ズレを減らしてくれるということだ。
ほのかが感心したように言葉を落とす。
「もう半分ファンタジー装備じゃん」
太田が鼻を鳴らす。
「ファンタジーじゃねぇ、職人仕事だ」
「かっこいい」
ほのかが即答すると、太田は露骨に嫌そうな顔をした。
でも、少しだけ口元が上がった気もする。
しずくは、もう一度盾を構えた。
欲しいところに、欲しい角度で、欲しい速さで来る。
「すごい」
「お前向けに仕立てたんだ、合わなきゃ困る」
ミコトが、少しだけ笑う。
「でも、ここまで変わるんですね」
しずくは、左腕の盾から目を離せなかった。
銀のバックラーだった。
それが今は、ちゃんとしずくの盾になっている。
ただ強いだけじゃない。
ただ硬いだけでもない。
自分の戦い方を知って、寄り添ってくれるような盾。
そのことが、妙にうれしかった。
ほのかが、しずくの肩を軽くつつく。
「しずく、ちょっと構えてみて」
「…こう?」
しずくが半身に構える。
銀盾を前へ、右手を軽く引く。
いつもの流しの姿勢。
その瞬間、ほのかが声を上げた。
「うわ、絵になる」
「絵?」
「なんかもう、上手く言えないけどかっこいい」
ミコトもこくりと頷く。
「似合ってます」
しずくは、少しだけ頬が熱くなった。
でも、嫌じゃない。
盾が変わっただけなのに、自分まで少しだけ変わったような気がしたから。
太田がそこで、顎をしゃくった。
「次、嬢ちゃんの杖だ」
その一言で、今度はミコトがぴんと背筋を伸ばした。
しずくは盾を抱え直しながら、ちらりとミコトを見た。
待ったのは、自分だけじゃない。
今度は、ミコトの番だった。
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