表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

59/93

第60話 遠い目標と近い現実

話がひと段落したあと、しずくは一度フォークを置いてから、ぼそりと母に尋ねた。


「…お母さん、三天堂のテスターしてるんだよね」


「うん」


「いまも、ダンジョン潜ってるの?」


その一言で、ほのかとミコトもぴたりと動きを止めた。


たしかに気になる。

家ではおっとりした専業主婦。

でも、三天堂で装備の試験運用までしている。

じゃあ今も現役なのか。


しずくママは、紅茶のカップを持ったまま、あっけらかんと答えた。


「潜ってるわよ」


「…え?」


しずくが目を瞬く。


ママは、本当に何でもないことみたいに続けた。


「テスターの仕事もあるけど、勘が鈍るの嫌なのよね」


そこで少しだけ笑う。


「だから、たまに気分転換も兼ねて潜ってるわ」


気分転換でダンジョンを。

その言い方に、ほのかの手が止まる。


「気分転換で潜るの、強者すぎません?」


しずくは、もう驚くことにも少しずつ慣れてきた気がした。

でも、それでもやっぱり思う。

うちの母、やっぱりちょっとおかしい。


ほのかが、目をきらっとさせながら聞いた。


「ちなみに、何層くらいですか?」


ママは少しだけ考えるように首を傾げた。


「うーん…」


紅茶をひと口。


「七か八かな」


「え?」


ミコトも、完全に固まる。

しずくは、前髪の奥で遠い目になった。

やっぱりそういう答えになるんだ。

ママは、そんな三人の反応に気づいていないみたいに、さらっと続ける。


「ソロだと九層以降はちょっと大変なのよね」


「九層がちょっと大変で済む人、初めて見たんですけど」


「だって、あの辺から単純に面倒なのよ」


「面倒…」


「危険でもあるけど、どっちかというと面倒」


ママは本気でそう思っているらしかった。


「単独だと、索敵も火力も全部一人でやるでしょ?だから効率が悪いのよ」


効率の問題らしい。

ほのかが、少し笑うしかない顔になる。


「しずくのお母さん、次元が違う」


「…うん」


しずくも素直に頷くしかない。


ほのかが、少しだけ上目遣いでしずくママを見る。


「え、じゃあ今度、一回一緒に潜ってもらったり」


「それは却下」


「早い!」


「いまのあなたたちに私が混ざると、勉強にならないもの。雑に蹴散らして終わるわよ」


それはそれで見てみたい、とほのかの顔が言っていた。

でも、たしかにそうかもしれない。


「あなた達は、あなた達のペースで強くなる時期なの」

「困った時の相談くらいなら乗るけど、基本は自分たちで考えて、自分たちで潜って、自分たちで失敗しなさい」


ミコトが、小さく頷く。


「はい」


ほのかも、少しだけ真顔になって頷いた。


「わかりました」


しずくは、ママの横顔を見ながら思う。

甘やかすわけじゃない。

でも、見捨てるわけでもない。

その距離感が、なんだかママらしかった。


「まあでも、七層くらいまでなら、三人でもちゃんと順番踏めばいつか行けるわよ」


「ほんとですか」


ミコトが少しだけ目を見開く。


「ええ」


ママは頷く。


「しずくが前を止めて、ほのかちゃんが削って、ミコトちゃんが支える形は悪くないもの」


ほのかの顔が、ぱっと明るくなる。


「お墨付ききた」


「まだ悪くない止まりだけどね」


「十分です」


今の自分たちには、ずっと遠い。

でも、まったく届かない場所だとは思わなかった。


「じゃあ、しずくママ基準でちょっと大変って言えるくらいまでは、三人で頑張りますか」


「うん、それくらいがいいわ」


ミコトも、小さく微笑んだ。


「目標が大きいですね」


「大きいくらいでちょうどいいのよ」


ママはそう言って、モンブランをひと口食べた。


喫茶店のやわらかい空気の中で、七層だの八層だのという話をしているのは、やっぱり少し変だった。

でも、その変さが今は心地よかった。


しずくは、残りのケーキを見ながら少しだけ思う。

まだまだ七層は遠いけど。

遠いからこそ、少しわくわくした。


ほのかが、パフェの底に残ったコーンフレークをつつきながら、ぽつりと漏らした。


「来週まで、ダンジョン潜れないんだよねぇ」


新しいジャケットは加工中。

しずくの銀盾と、ミコトの杖は太田工房。

びっくり箱は保留。


つまり、少なくとも今週は本格的な探索ができない。


「なんか急に暇になったなーって」


その言い方は、完全に探索者脳だった。


しずくは、紅茶のカップを持ちながら少しだけ首を傾げる。


「…暇、かな?」


「暇でしょ、放課後の目的が急になくなったし」


たしかに、ここ数日は放課後といえば協会、協会といえばダンジョン、みたいな流れだった。


その時、ミコトが静かにカップを置いた。


「でしたら」


その声が妙に落ち着いていて、しずくはなんとなく嫌な予感がした。


「GW明けに中間テストがありますから、今のうちに範囲の見直しをしましょうか」


ほのかが止まる。

しずくも止まる。

時間まで、少し止まった気がした。


「え?」


最初に声を出したのは、ほのかだった。


「中間テスト?」


「ありますよね?」


「ある…かも」


しずくが、小さく答える。


ある。

あるのだ。


入学してまだ間もない。

でも、当然のように中間テストは来る。

しずくの脳裏に、一瞬で現実が押し寄せた。



ほのかが、ゆっくりとスマホを確認するように見る。


「…うそでしょ」


「うそではないです」


ミコトは真顔だった。


「範囲表、先週配られてましたよ」


「配られてたっけ!?」


しずくは、前髪の奥で少しだけ視線を泳がせた。


「…たぶん、配られてた」


「しずくも!?」


「…見た覚えは、ある」


「覚えはあるの!」


ミコトが、二人を見ながら少しだけ困ったように眉を下げる。


「お二人とも、見てないんですか?」


しずくとほのかは、同時に黙った。

それが答えだった。


ほのかが、テーブルに額を打ちつけそうな勢いでうなだれる。


「やばいなぁ」


「…やばい」


しずくも、小さく同意する。


ダンジョンでは、ホブゴブリンを投げた。

ミミックの酸にも対応した。

でも、中間テストの一言で固まる。

それが高校生だった。


しずくママが、その空気を見て楽しそうに笑った。


「いいじゃない、健全な悩みで」


「健全だけど重いです!」


ミコトは、そんな二人を見ながら少しだけ考えて言った。


「でしたら」


嫌な予感の続きだ。


「放課後、図書準備室で勉強会しませんか?」


また沈黙。


ほのかが、ゆっくり顔を上げる。


「勉強会?」


「はい」


ミコトは頷く。


「ダンジョンに行けないなら、今のうちに中間テスト対策をした方がいいと思います」


ミコトは正しい、正しすぎる。

しずくは、言い返せなかった。

ほのかも、唇を引き結んでいる。


「いいんじゃない?」

「探索者も勉強も、基礎が大事よ」


「しずくママまで!?」


ほのかが抗議する。


「ほのかちゃん、あなたガンナーでしょう?」


「はい」


「射線管理と試験範囲管理、似たようなものよ」


「似てないと思います」


ほのかが真顔で返しながら、ちらりとしずくを見る。


「しずくは?」


「…え?」


「どのへんやばい?」


しずくは少し考えてから、正直に答える。


「…数学」


「私も数学、あと英語の長文」


「…わかる」


「わかる!」


ほのかが少し嬉しそうになる。

なんでそこで仲間意識が生まれるのかは、よくわからない。


ミコトは、すでに頭の中で段取りを組み始めている顔だった。


「では、明日から放課後は一時間くらい図書準備室で勉強」

「そのあと解散、でどうでしょう」


ほのかが、今度はちゃんと考えた。


「装備戻るまでなら、まあありかも」


それから、しずくを見る。


「しずく、いける?」


しずくは少しだけ息を吸った。

本音を言えば、勉強会なんて、前なら絶対に緊張して無理だった。

でも今は、相手がほのかとミコトなら、そこまで嫌ではない。


三人で勉強する、というのも少しだけ予定がある感じがして悪くない。


「…いく」


ほのかが、観念したように笑った。


「決まりかぁ」


ミコトが、ほんの少しだけ嬉しそうに頷く。


「では、範囲表を明日持ってきます」


「持ってきます、じゃないんだよなぁ…」


ほのかが小さくぼやく。


しずくママは、そのやりとりを見ながら満足そうだった。


「いいお友達ねぇ」


「うん」


しずくは、小さく答えた。

今度は、前より自然に言えた。


お友達。


一緒にダンジョンに潜って、装備を選んで。甘いものを食べて。

そして今度は、一緒に中間テスト対策をする。


変だけど。

でも、すごくちゃんとしてる。


ほのかが、最後のひと口のパフェを食べながら、遠い目で言う。


「ミミックより、数学の方が罠かもしれない」


「…それは、ある」


しずくがぽつりと返すと、ミコトが思わず吹き出した。


「例えが探索者すぎます」


「だって実際そうじゃん」

「見た目はただの問題集なのに、中開けたら即死トラップある」


「…わかる」


そう言いながらも、しずくは前髪の奥で少しだけ笑った。

ダンジョンがなくても、毎日はちゃんと忙しい。

でも、そういう忙しさも、今は少しだけ悪くなかった。

続きが気になる方は、ブクマお願いします!

また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ