第47話 最後の笑み
低い姿勢から、ホブゴブリンの左腕が振るわれる。
しずくは、真正面から下がらなかった。
斜め前へ、わずかに踏み込む。
銀のバックラーで、左腕の軌道を外す。
紙一重だ、拳が頬をかすめるほど近い。
「っ!」
重い、しかも速い。
片腕を失っているのに、まだこれだけ動ける。
その事実だけで、背筋が冷える。
だが、しずくは止まらない。
銀のバックラーを戻すより早く、身体を絞るように捻る。
相手の腕に沿って、外へ流れる。
祖父の声が、頭の奥で鳴った。
受けるな。
触れて、逸らせ。
相手の力の線から外れろ。
ホブゴブリンの二撃目が来る。
今度は、低い。
脇腹をえぐるような拳。
しずくは半歩引くのではなく、逆に内側へ潜った。
そのまま、右の掌を相手の前腕へ添える。
押し返さない。
ただ、方向をずらす。
鈍い音を立てて、ホブゴブリンの拳が岩壁を打った。
石片が飛ぶ。
視聴者コメントが一気に流れる。
『捌いた!?』
『いや避け方うますぎる』
『素手の連撃えぐいって』
『しずく近すぎる!!』
『見てる方が怖い!!』
ホブゴブリンは止まらない。
壁を打った反動をそのまま利用して、今度は肩からぶつかるように体重を乗せてくる。
武術だ。
ただの殴り合いじゃない。
相手の崩れすら次の攻撃へ変えてくる。
「しずく!」
ほのかの叫び。
でも、しずくの視界はもう目の前の相手しか映していなかった。
肩が来る。
その質量をまともに受けたら吹き飛ぶ。
しずくは、ホブゴブリンの肩の線に対して、斜めに身体を切った。
自分の中心をずらしながら、左手で肩口に触れる。
右足を相手の進行線の外へ。
腰を切る、風圧みたいなものが身体をかすめる。
完全には避けきれない。
銀兎のジャケット越しに衝撃が伝わる。
でも、芯は持っていかれない。
一歩間違えれば、今のだけで終わっていた。
でも、見えてきた。
このホブゴブリンは、強い。
武術も知っている。
けれど、だからこそ分かる。
連撃には、流れがある。
起点があり、重心があり、次へ繋ぐための癖がある。
祖父に叩き込まれたのは、まさにそこだった。
大きい相手ほど、腕を見るな。
腰を見ろ、肩を見ろ。
次にどこへ重心を移すかを読め。
ホブゴブリンの左足が、わずかに前へ滑る。
今度は、顔を狙った掌打。
しずくは、その瞬間に前へ入った。
真正面じゃない。
ほんの少し、相手の外側へ。
掌打の伸び切る前、肘のまだ曲がっているところへ潜る。
そして右手を伸ばす。
狙いは、顎。
当身だ。
乾いた音はしなかった。
けれど、手応えはあった。
ホブゴブリンの意識が、ほんの一瞬だけ逸れる。
首が跳ね、巨体がわずかに仰け反る。
『当身入った!?』
『顎打った!』
『今の判断えぐい』
『しずく何者なんだよ…』
『女子高生の距離感じゃねえ!!』
そこを、しずくは逃さない。
流れるように背後へ回る。
ただ後ろへ回り込むんじゃない。
崩れた軸のさらに内側へ、深く入り込む。
祖父に何度も何度も叩き込まれた動き。
相手の中心線を読む。
崩れた重心に、自分の重心を重ねる。
しずくの手が、ホブゴブリンの首筋へ置かれた。
身体を入れ替える。
背中合わせになるように、相手の腰を浮かせるように。
そのまま、螺旋。
大きな円ではない。
細く、鋭く、深いねじれ。
ホブゴブリンの巨体が、ついに完全にバランスを失った。
そして、前下方へ叩き落とされる。
地面が揺れ、土が舞う。
ホブゴブリンは、仰向けに近い形で大の字になった。
片腕は外れたまま、胸は上下している。
だが、もう立ち上がる動きはない。
しずくは一歩引き、杖を構えたまま呼吸を整える。
ほのかも、機弩を向けたまま固まっていた。
「…は?」
それしか出なかった。
ミコトも、杖を胸元に抱いたまま目を見開いている。
「投げた?」
視聴者コメントは、もはや混乱そのものだった。
『今の何!?』
『合気!? 完全に合気だろ!?』
『ホブゴブリン投げた!?』
『女子高生が大人サイズのゴブリンを!?』
『しずく怖い(褒めてる)』
『いや制圧してから投げたぞ今』
『技の入り方が完全に経験者』
『ホブゴブリンがでかいほど異常なんだが!?』
『体格差バグってるって!!』
床に倒れたホブゴブリンが、ゆっくりとしずくを見る。
その目には、さっきまであった殺気がない。
代わりに、どこか晴れやかなものがあった。
そして、少しだけ笑った。
にやり、ではない。
ほんのわずか。
口元が上がる程度の、小さな笑み。
まるで言っているみたいだった。
俺の負けだ。
トドメを刺せ。
しずくの胸が、どくんと鳴る。
この相手は、最初からどこか人間臭かった。
武術の構え、受け方。
今の、あの笑い方まで。
武人だ。
そんな直感が、また胸を刺す。
でも、ここはダンジョンだ。
相手は魔物だ。
立たせれば、また誰かが危ない。
しずくは杖を握り直した。
マジックアローではない。
遠くから撃ち込むんじゃなく、近くで終わらせる。
樫の杖の先に、淡い光が宿る。
ほのかが、静かに声を掛けた。
「…しずく」
ミコトも、息を潜めている。
しずくは、小さく頷いた。
「…うん」
一歩前へ。
ホブゴブリンはもう起き上がらない。
目も逸らさない。
ただ、静かにしずくを見ている。
しずくは、その額へ杖先を向けた。
「…さようなら」
放たれた魔力の一撃は、短い距離をまっすぐに走った。
額へ吸い込まれる。
衝撃と共に魔力が爆ぜたのち、ホブゴブリンの巨体が静かに光へ変わり始めた。
苦しむような動きはない。
暴れることもない。
ただ、静かに。
戦いが終わったことを受け入れるように。
全身が粒子となって崩れ、やがて何も残さなくなる。
寝ぐらの奥に、三人の呼吸だけが残った。
しずくは、その場に立ったまましばらく動けなかった。
ほのかが、先に大きく息を吐く。
「…勝った」
その声で、ようやく現実に戻る。
ミコトも、胸に手を当てたまま言う。
「…勝ちました」
しずくは、杖を少し下ろして、小さく頷いた。
「…うん」
それから、ほんの少しだけ視線を落とす。
床には、もうホブゴブリンはいない。
でも、最後の笑みだけは、まだ目の奥に残っていた。
ほのかが、そんなしずくの横顔を見て、少しだけ声をやわらげる。
「しずく」
「…なに」
「今の、めちゃくちゃかっこよかった」
「…え」
しずくが顔を上げる。
ほのかは、本気で言っていた。
「なんかもう、意味わかんないレベルで」
ミコトも、小さく頷く。
「はい、すごかったです」
しずくは、少しだけ目を泳がせた。
言葉に困る。
でも、胸の奥が少しだけ熱い。
視聴者コメントも、まだ興奮が収まっていなかった。
『神回』
『今の戦闘見返したい』
『しずくの合気ガチすぎる』
『怖いのにかっこいいってなんだよ』
『三人パーティ完成度高すぎる』
その時、ホブゴブリンが消えた場所に、光が集まり始めた。
ドロップだ。
ほのかが、さっきまでの空気を少しだけ切り替えるように笑う。
「よし」
機弩を肩に担ぎ直す。
「武人さんの遺品、見せてもらおうか」
しずくは、前髪の奥で小さく息を吐いた。
そして、ホブゴブリンが遺したものが、ゆっくり姿を現そうとしていた。
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