第34話 友達を見捨てない
ゲートが、ようやく視認できる距離まで来た時だった。
虹色の揺らぎが、確かにそこにある。
しずくが、ゲートに視線を預けたその時、視界にシステムウィンドウが開いた。
【条件達成】
スキル習得:【捨て奸】
撤退戦時、攻撃・防御・スタミナ回復速度に補正(大)
HP自動回復(中)
「…え」
声が漏れた次の瞬間、身体の感覚が変わった。
重かった足が、少しだけ軽い。
焼けつくようだった肺が、急に空気を取り込める。
太ももを流れていた痛みが、まだ消えてはいないのに動ける痛みへ変わる。
傷口が、じわじわと塞がっていく。
「しずく?」
ほのかがしずくを見る。
しずくは銀盾を握り直した。
「…いける」
今度の声は、はっきりしていた。
「もうちょっと、耐えられる」
ゴブリンの先頭が、また怒鳴りながら棍棒を振り下ろす。
しずくは銀盾を真正面から合わせた。
今までなら、腕が痺れて半歩下がっていた。
でも、今は違う。
衝撃を受けても、体幹が崩れない。
盾がぶれない、足が地面に根を張ったように微動だにしない。
そのまま、力で押し返す。
魔力を乗せた返す剣で、喉を裂いた。
断末魔を上げる間もなく、一匹が光になる。
次の一匹が飛び込む。
今度は短剣を持った個体。
しずくは半歩踏み込んで、ロングソードへさらに魔力を乗せた。
【マジックブロウ】
刃が淡く光る横薙ぎが、短剣を持つ腕ごとゴブリンを吹き飛ばす。
ほのかが目を見開いた。
「なにそれ、急に強っ!」
しずくは短く言う。
「…撤退戦補正」
ほのかがシステムウインドウをチラ見して、理解して、すぐに笑った。
「捨て奸!最高!」
その笑い声と同時に、機弩が鳴る。
しずくの横を抜けようとした二匹の額を撃ち抜く。
ミコトも、少しだけ顔色を戻していた。
聖なる光が、しずくの背中にもう一度触れる。
【ヒール】
「回復、追いつきます!」
「助かる!」
しずくが叫ぶ。
だが、追撃は緩まない。
通路の奥から、また緑の影が雪崩れ込んでくる。
棍棒持ちの後ろから石が飛ぶ。
そのさらに後ろから矢が差し込まれる。
前の個体が倒れても、穴を埋めるように踏み越えて次が来る。
怒鳴り声と足音が、洞窟全体を震わせる。
「ギャッ!」
「ギギッ!」
「グァァ!」
視聴者コメントも、もはや悲鳴に近かった。
『しずく無理するな!』
『でも止まったら終わる…』
『見てるだけで苦しい』
『お願いだから生きて帰って』
『男二人もっと走れよ!』
その男二人は、ゲートが見えたことでようやく本気になった…かと思いきや。
「くそっ、まだ遠いのかよ!」
「足が動かねぇ…なんで俺らがこんな目に!」
しずくが前で必死に剣と盾を振るい、ほのかとミコトがしずくを支えている。
それを見てもなお、ぼやきは止まらない。
ほのかの顔が引きつる。
「は?」
短く低い声。
次の瞬間、機弩を撃ちながら怒鳴った。
「誰のせいだと思ってんの!走れ!!」
弓持ちの額を撃ち抜く。
ミコトも、珍しく強い声を出した。
「あなたたちが、わたしを囮にしたんでしょう!」
ヒールを飛ばしながら、怒りの混ざった厳しい声が飛ぶ。
「文句を言う前に、足を動かしてください!」
男二人は一瞬だけ黙る。
でも、次の瞬間にはまた顔を歪めて前へ進むしかなかった。
しずくは、そのやり取りを背中で聞きながら、歯を食いしばる。
情けない、腹も立つ。
正直、置いていきたいと思わないわけじゃない。
でも、ほのかを死なせたくない。
ミコトを、もう一度置き去りにされる側に戻したくない。
そして…友達を見捨てたくない。
ほのかは、もう友達だ。
しずくの中では、はっきりそうなっていた。
だから、ここで崩れるわけにはいかない。
しずくは曲がり角の細い通路を、完全に栓みたいに塞いでいた。
一匹ずつしか来られない。
なら、一匹ずつ落とせばいい。
捨て奸の効果で、呼吸の戻りが異様に早い。
心臓はうるさいのに、体が止まらない。
銀盾で受け、押し返す。
カウンターの剣で裂く。
また受け流す、そして返す。
でも、それでも楽じゃない。
ゴブリンの棍棒は軽くても、数が重い。
一発一発は耐えられる。
けれど十発、二十発と重なれば、骨に響く。
石が肩を打つ。
矢が盾の縁を掠める。
低い打撃が膝へきて、足が一瞬だけ沈む。
そのたびに、捨て奸の回復が追いつこうとする。
でも、それは無敵じゃない。
ただ、倒れる速度を遅らせてくれているだけだ。
いまのしずくは、限界が遠のいただけで、限界の中にいる。
「しずく、あと少し!」
ほのかが叫ぶ。
ゲートが近い、虹色の膜がもうはっきり見える。
でも、その少しが遠い。
後ろで、男二人が必死にゲートへ向かう。
それでも途中で、まだ情けない声を漏らす。
「ま、間に合うのか!?」
「置いてくなよ!」
ミコトが振り返って、今度ははっきり言い返した。
「置いていってないから、こうなったんです!」
その声に、男二人がびくっとする。
ようやく、自分たちが誰に助けられているのか、少しだけ分かってきた顔だった。
しずくは、目の前のゴブリンの顔面へ盾を叩き込んだ。
ゴブリンがのけぞる。
その頭を、ほのかが撃ち抜く。
「よし、次で終わり!」
でも、後ろからまた緑の影が押し寄せる。
きりがない、ここが引き際だ。
ほのかが叫ぶ。
「しずく! 下がる!」
「…うん!」
しずくは最後に銀盾を前へ突き出した。
追ってきた先頭のゴブリンが、それに食らいつくみたいに棍棒を叩き込む。
その瞬間、しずくは盾をひねって流した。
大きく体勢を崩したゴブリンを、そのまま緑の波へ蹴り飛ばす。
後続がもつれる。
さらにもう一匹へ、剣の腹を叩きつけて押し込む。
狭い曲がり角に緑の身体が折り重なり、波が一瞬だけ止まった。
「今!」
ほのかとしずくが同時に走った。
背中を向ける。
でも、もうゲートは目の前だ。
矢が飛ぶ。
しずくは振り返らず、銀盾を後ろへ回した。
一本、弾く。
その衝撃が腕に走る。
でも、止まらない。
ほのかが横で笑う。
「それ出来るの反則!」
「…今だけ!」
その少し前。
ゲートの手前で、男二人がふらつきながらも立ち止まっていた。
逃げ込むだけなら、もうできたはずだった。
それでも、一人が歯を食いしばってミコトを振り返る。
「…お前、先に行け!」
もう一人も、苦い顔のまま言う。
「さっきは…悪かった」
かすれた声。
綺麗な改心じゃない。
でも、逃げることしか考えていなかった顔ではなくなっていた。
ミコトが一瞬だけ目を見開く。
ほのかが怒鳴る。
「喋ってないで全員飛び込め!!」
その一喝で、五人はようやく同時にゲートへなだれ込んだ。
虹色の膜が、身体を包む。
最後に見えたのは、通路の向こうで悔しそうに叫ぶゴブリンたちの姿だった。
世界が切り替わる。
協会の地下ロビー。
しずくは着地と同時に膝をついた。
「はっ…は…」
でも、生きている。
ほのかも、隣で息を切らしながら笑った。
「…生還」
ミコトは、少し離れたところでへたり込んでいる。
男二人は、床に転がるみたいに倒れていた。
ロビーの職員が慌てて駆け寄ってくる。
でも、その前に。
しずくは、自分の視界の端に残るウィンドウを見た。
【捨て奸】
撤退するための力。
逃げ切るための力。
祖父の言葉が、ふっと頭をよぎる。
逃げるのは、恥じゃない。
しずくは、荒い呼吸のまま、小さく笑った。
今日は、その意味が少しだけ分かった気がした。




