第33話 ここは通さない
ゴブリンの追撃は、想像以上に激しかった。
狭い通路の中、しずく一人が前に立つ。
その一点に、棍棒も、石も、矢も、全部が集まる。
「来い!」
己を鼓舞するように、しずくが声を出す。
いつものか細いのじゃない、覚悟を決めた声だ。
銀のバックラーで受け流し、ロングソードで弾く。
バックステップを棍棒を避け、カウンター気味に銀盾でゴブリンの鼻っ柱を叩く。
半歩下がり、また受ける。
でも、数が多すぎた。
前から来るだけじゃない。
後ろに詰まった個体が、前の仲間の肩越しに石を投げる。
弓持ちは通路の隙間を縫うように矢を差し込んでくる。
棍棒持ちは前衛を押し込みながら、その後ろでまた次の個体が武器を振りかぶる。
一匹ずつじゃない。
押し寄せる圧そのものが、しずくを潰しに来ていた。
矢が飛ぶ。
銀盾で一本を弾く。
でも次の一本が肩口へ、さらにもう一本が脇腹へ。
刺さると思ったしずくが身体に力をいれるが、銀兎のジャケットが矢を止めた。
布を裂く音。
衝撃はくる。肺の奥まで響く。
でも、鏃はそこで止まる。
「…い、痛くない!」
鏃が刺さらない、貫通しない。
もしこれが支給品のレザー防具だったら、たぶん終わっていた。
ほのかもそれに気づいているのか、叫ぶ。
「銀兎ジャケット偉すぎる!!」
しかし、ジャケットが覆っていない箇所は、どうしようもなかった。
太ももや膝から下、下半身は支給防具だ。
低い位置を狙うゴブリンの石や短い矢が、薄い部位へ容赦なく来る。
「っ、う!」
膝の横に痛みが走る。
次にふともも。
直撃でなくても、鏃が掠っただけでも確実に削られる。
血が、ズボンの布をじわっと濡らしていく。
痛みと出血が、少しずつしずくを蝕んでいった。
足が重い。
半歩下がるのに、少しだけ時間がかかる。
その少しが危ない。
ゴブリンは、その遅れを見逃さない。
一匹が棍棒で上半身を打ち、しずくが盾を上げた瞬間、別の一匹が低く石を投げる。
さらにその背後から矢が走る。
「多い!」
全部は捌けない。
一つ防ぐたびに、一つ届く。
二つ弾いても、三つ目がくる。
視聴者コメントも、いつもの勢いとは違っていた。
『しずくやばい…』
『削られてる』
『無理するな…』
『これ見てるのしんどい』
『ジャケットなかったら終わってた』
『逃げ切ってくれ…頼む…』
背後から、ミコトの焦った声。
「か、回復魔法あります!」
次の瞬間、淡い光がしずくの背中に触れた。
【ヒール】
じんわりと温かく、傷口が閉じる感覚。
流れた血が少しだけ止まる。
「た、助かる…」
ミコトの声が震える。
「追いつかない!」
その通りだった。
一発治しても、次が来る。
二発防いでも、三発目が刺さる。
まるで焼け石に水。
ほのかの声に焦りが滲む、いつもの太陽に陰りが見える。
「しずく、このままだと削り負ける!」
しずくも分かっていた。
このまま捌きながら下がるだけでは、どこかで足が止まる。
止まったら、波に飲まれる。
背後では、男二人がまだもたついている。
「ま、待て、足が痛いんだよ!」
「もっと止めてくれ!流れ弾が来てるぞ!」
「黙って走れ!!」
ほのかが怒鳴る。
でも、その声にも焦りと怒りが混じっていた。
しずくは息を荒げながら、通路の先を見た。
ゲートはまだ遠い。
いや、距離はそこまでじゃない。
でも、この波の前では遠すぎる。
前から来るゴブリンの顔が、どれも同じに見え始める。
棍棒、黄色い歯、赤い目、汚い笑い。
それが途切れない。
一瞬だけ、足が止まりそうになる。
しずくの頭の中に、昨日の月島の言葉がよぎる。
『価値が高いものは、人も寄せます』
今は人じゃない。
でも、寄ってきているのは同じだ。
ゴブリンの波、緑の津波。
しずくは顔を下げない、前髪の奥の目はまだ死んでない。
痛い、怖い。
ここで倒れたら、ほのかもミコトも波に呑まれる。
まだ倒れられない。
ほのかが、射線を探りながら叫ぶ。
「しずく! 一回しゃがんで!」
しずくは即座に膝を落とした。
その頭上を、銀の線が飛ぶ。
【ダンシングソード】
踊り子の双剣が、通路いっぱいに広がるゴブリンの顔面を薙ぐように走った。
一匹の目、二匹目の耳、三匹目の首筋。
完璧に仕留めきるわけじゃない。
でも、痛みで怯ませるには十分だった。
その隙に、ほのかの機弩が火を吹く。
弓持ち二匹の額を撃ち抜く。
「今、弓減らした!」
しずくは立ち上がりながら頷く。
「うん!」
ミコトのヒールがもう一度背中を撫でる。
少しだけ、足が軽くなる。
ほのかが下がりながらリロードする。
「しずく、あと少しだけ耐えて!」
「…どこまで」
「次の曲がり角!」
気配察知で先を読んでいるのだろう。
ほのかの声に、妙な確信があった。
「そこ、通路がさらに狭くなる!一列にできる!」
しずくは、それだけで少し希望が見えた。
なら、捌く数が減る。
もう少し、もう少しだけ。
「…負けない」
自分に言い聞かせる。
しずくは銀盾を前に出した。
矢を最優先で弾く。
石は無理に受けない、避けない、まずい箇所だけ対処する。
急所じゃないなら、石は無視する。
下からすくい上げるように、棍棒が唸るのを銀盾で弾く。
そのまま、反撃のカウンター。
銀盾で受けた直後は、ロングソードがやけに軽い。
守勢からの反撃の効果だ、鉄の刃が一段切れ味を増す。
振り下ろされたロングソードは、ゴブリンの頭部をぐしゃりと潰した。
そのまま、前のめりに倒れ光になる。
少しずつ、少しずつ。
しずくたちは、緑の波を削りながら後退した。
視聴者コメントも、祈るようなものが増えていく。
『頼む、曲がり角まで』
『しずく限界近いだろ』
『ミコトもほのかもギリギリだ』
『誰も置いてかないのしんどい』
『あの男二人は、この期に及んで文句いうのかよ』
『見てるこっちが息止まる』
『お願いだから全員生きて帰ってくれ…』
男二人も、ようやく必死で走り始めている。
さっきよりは前へ進む。
ミコトはヒールと足止めを交互に使っていた。
魔力はもう限界に近いはずなのに、それでも止めない。
ほのかの額にも汗が浮く。
機弩の弾数、双剣の制御によるMP。
全部が、少しずつ削られている。
それでも、誰かを置いていこうとは言わなかった。
やがて、ほのかが叫ぶ。
「曲がり角、ここ!」
通路が、ぐっと狭くなる。
岩がせり出して、完全に一列しか通れない幅。
「しずく、ここで止める!」
「…了解!」
しずくは、最後の踏ん張りみたいにその細い通路の入口へ立った。
銀盾とロングソード。
血の滲んだ足。
膝は痛い、脛も熱い、息も浅い。
でも、目だけは前を見ていた。
ゴブリンの先頭が、怒鳴りながら突っ込んでくる。
しずくは、銀盾を少しだけ前へ押し出した。
「…ここは」
息を吸う。
「通さない!」
盾が、真正面から棍棒を受け止める。
今度は流すだけじゃない、押し返す。
強靭な体幹、盾修練、物理耐性。
全部がしずくを支える。
押し負けたゴブリンが一瞬よろけた。
ほのかが、その頭を撃ち抜く。
曲がり角の狭さが、ようやく三人の味方をし始めた。
そしてその向こう。
遠くに、虹色の揺らぎがちらりと見えた。
ゲートだ。
しずくの胸が大きく鳴る。
見えたなら、たどり着ける。




