第32話 天井を落とせ
広場が見えた、と思ったその時だった。
その開けた空間の中央に、ゴブリンがいた。
その数、五匹。
棍棒、槍、石袋、さらに短弓までいる。
「…っ」
しずくの背筋が冷える。
まずい、撤退ルートである広場に五匹。
後ろには、まだ緑の波。
挟まれた。
広場へ抜ければ少しは楽になると思っていた。
なのに、その広場そのものが敵で塞がれている。
ほのかも一瞬だけ表情を強張らせた。
「待ち伏せ…」
ゴブリンたちは、逃げてくるしずく達を見て汚い笑い声を上げた。
「ギャギャッ!」
「ギヒッ!」
背後の追っ手と、前方の待ち伏せ。
完全に、狩りの形を取られている。
男達二人も、「マジかよ…」と絶望じみた言葉を漏らした。
逃げ道がない。
いや、あるはずの逃げ道を、きれいに潰されている。
二層のゴブリンは、一層の魔物とは違う。
ただ襲ってくるだけじゃない。
こうして、追い込み、挟み、確実に仕留めに来る。
その時、ミコトがはっと顔を上げた。
ゴブリンじゃない、天井を見た。
「…あ」
その声に、ほのかが反応して視線を向ける。
ミコトが震える指で、広場の中央上方を指差した。
「あそこ!」
しずくも、つられて見上げる。
天井の岩肌、不自然に重なった大きな岩塊。
それを支えるように組まれた木片と、細い縄。
洞窟の自然物に紛れているけれど、よく見れば明らかに細工だ。
ミコトがまくし立てるように言う。
「ゴブリンたちの真上! あれ、落石のトラップです!」
ほのかの目が鋭く細まる。
ミコトは続けた。
「たぶん、ゴブリンたちが仕掛けたものです! でも、ちょうどいい位置にあの五匹がいます!」
「機弩の銃撃で起動させられませんか!?」
しずくもミコトの言う方を見上げた。
落石のトラップ。
中央の五匹をまとめて潰せる。
でも、岩を支える縄は細い。
あれを狙えるのか…
ほのかは、ほとんど迷わなかった。
「できる」
即答だ、迷いがない声。
「しずく!」
「三秒だけ、後ろ止めて!」
しずくは銀盾を握り直した。
後ろから、もう次のゴブリンが飛び込んできている。
三秒、自分ならそんな時間で狙いをつけることは無理だ。
それだけあれば、ほのかなら…
ほのかはすでに機弩を構えていた。
視線は、ゴブリンじゃない。
天井の縄、その一点へ吸い付いている。
鷹の目。
ああいう弱点を見やぶる為の目だ。
ミコトが両手を前へ出す。
「…回復します!」
【ヒール】
淡い魔力が、しずくをなぞる。
ほんの少しだけ、体が軽くなる。
少しづつ削られていた身体が戻る。
血が止まり、傷が塞がる。
しずくは振り返った。
後ろの通路から、ゴブリンが二匹、三匹と飛び込んでくる。
前の広場でも、待ち伏せの五匹がこちらへ動き出した。
時間がない。
怖い。
でも、怖がっている暇すらない。
「…来い!」
しずくは後方の波の前に、半身で立った。
銀盾を前。
ロングソードを低く。
最初のゴブリンの棍棒が振り下ろされる。
銀盾に角度をつけて流す。
二匹目が横から槍を突く。
盾の縁で逸らす。
三匹目が足を狙う。
軽くバックステップして避ける。
避けた後、飛び込むように距離を詰めてからロングソードで一閃する。
強靭な体幹のおかげで、しずくは崩れない。
しかし、波は重い。
後ろから前から、圧が押し寄せてくる。
たった三秒のはずなのに、やけに長い。
ほのかが後ろから叫ぶ。
「一!」
しずくは前へ踏み込んだ。
守勢からの反撃。
銀盾で受けた直後の剣が、やけに軽い。
ゴブリンの胸を斜めに裂く。
それでも、すぐ後ろから次が来る。
「二!」
前の待ち伏せゴブリンが、弓を引いた。
ミコトが叫ぶ。
「右から矢!」
しずくは咄嗟に身をずらす。
矢が、耳元をかすめた。
冷たい感覚が、一瞬だけ首筋を走る。
「三!」
その声と同時に、ほのかの機弩が鳴った。
乾いた一発。
弾丸は、広場中央のゴブリンへではなく。
その真上にある、細く張られた縄へ吸い込まれた。
刹那の静寂の後、天井が落ちた。
巨大な岩塊がまとめて崩れ、広場中央へ降り注ぐ。
待ち伏せしていた五匹のゴブリンが、上を見上げる間もなく潰される。
「ギャ…」
悲鳴が、岩の轟音に飲み込まれる。
土煙と石片が舞い、岩の隙間から赤い液体が染み出し始めた。
広場全体が震えた。
砕けた岩が床を跳ね、壁へぶつかり、乾いた破砕音を連続で響かせる。
天井からさらに細かな石が降ってきて、しずくの肩や盾を打った。
背後のゴブリンたちも、一瞬だけ怯んだ。
自分たちの仕掛けた罠が、逆に味方を飲み込んだのだ。
「今!!」
ほのかが叫ぶ。
「抜けるよ!」
しずくはすぐに前へ向き直る。
落石で中央に穴が開いた。
待ち伏せの壁が消えた。
「ミコトちゃん、男二人、走って!」
「は、はい!」
「お、おう!」
二人の男は、青い顔のままそれでも必死で走り出す。
ミコトもローブを押さえてその後を追う。
しずくは最後尾へ回る。
後ろから来るゴブリンを、銀盾で殴りつけるようにして押し返す。
よろけた一匹に、ロングソードを突き込む。
その横を、踊り子の双剣が銀の線になって走った。
【ダンシングソード】
ほのかが機弩を構えたまま、双剣も飛ばしている。
一匹の首を切り、二匹目の腕を裂き、そのまま戻る。
「しずく、下がって!」
「…うん!」
しずくは半歩ずつ後退する。
広場を抜ける。
ゲートへの通路は、もう見えている。
でも、ゴブリンたちも立て直しが早い。
後ろから来た本隊の動揺は、もう収まりかけている。
通路の向こうで、また数が増えていく。
「きりがない…!」
しずくにしては珍しい、吐き捨てるような声。
ほのかも舌打ちした。
「だから逃げる!」
機弩を撃ちながら、双剣を飛ばす。
その手数で、後続の頭を押さえる。
ミコトが走りながら振り返る。
「もう少しで、分岐です!」
「よし!」
男二人の足はまだ遅い。
けれど、さっきよりは動いている。
生き残る気になったのだろう。
しずくは銀盾を構え直し、最後尾から一歩、また一歩と下がる。
通路の幅が狭まる。
その狭さが、今は味方だ。
ゴブリンの波はまだ来る。
だが、一度に来られる数は限られる。
「…ここは通さない」
小さく呟く。
背後では、ほのかの足音。
そのまた向こうに、ミコトと男二人。
誰かが射られないように。
誰かが掴まれないように。
しずくは、もう一度ゴブリンの先頭へ盾を叩きつけた。




