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第29話 決断

しずくが少女をよく見ると、ローブの裂け目の奥、インナーに赤い染みが広がっているのが見えた。

思わず息を呑む。


しずくはすぐに腰のポーチへ手を伸ばした。

支給されていた初級ポーションを一本取り出す。


「…これ、飲んで」


差し出す手は少し震えていたけれど、声は思ったより真っ直ぐ出た。

ローブの少女は一瞬だけ目を丸くして、それから小さく頭を下げた。


「ありがとう、ございます」


か細い声。

でも、ちゃんと届く声だった。


少女はポーションを受け取ると、迷わず栓を抜いて飲み干した。

喉がこくこくと動く。


しばらくして、胸元の赤い染みがじわりと薄くなっていく。

初級ポーションだから劇的ではない。

けれど、応急処置としては十分だった。


「…はぁ」


少女が大きく息を吐く。

ようやく人心地ついたのか、壁にもたれたまま話し始めた。


「…男の人、二人に…強引に誘われて」


言葉を選ぶように、途切れ途切れに。


「わたし、まだダンジョン経験が浅くて…マジシャンだし、一人よりはいいかなって…思って…」


しずくとほのかは黙って聞いている。

少女はぎゅっとローブの裾を握った。


「でも…ここで、囮にされました」


その一言で、ほのかの顔がすっと冷えた。


「やっぱりか」


低い声。

少女はびくっと肩を震わせたが、すぐに続ける。


「男の人たち、自分を囮にして…寝ぐらの奥にある宝箱を漁りに行きました」


そう言いながら、震える指で広場のさらに奥を指差した。


暗い穴の向こう。

寝ぐらのさらに奥へ続く通路。

そこに、男二人はいる。


ほのかが短く息を吐く。


「事情は分かった」


その声は、さっきまでの明るい調子じゃない。

探索者としての声だった。


「とりあえず、自己紹介しとくね」


ほのかは軽く胸に手を当てる。


「神宮ほのか。ガンナー」


しずくも慌てて続く。


「…佐倉、しずく…アタッカー」


いまは、だけど。

そう付け足したくなったけれど、そこまでは言えなかった。


ローブの少女は、少しだけ姿勢を正した。


「白澤、ミコトです」


そこで一度、深呼吸する。


「白澤ミコト。今年16歳の…高校一年です」


「…え」


しずくの口から、素で漏れた。

ほのかも一瞬だけ固まる。


高校一年。

自分たちと同い年。


でも、どう見ても小学生にしか見えない。


背は低いし、顔立ちも幼い。

声もまだあどけない。


しずくの頭の中に、先日協会で見たどう見ても小学生の子が重なる。

やっぱり、この子だった。


ミコトは二人の反応に慣れているのか、少しだけ困ったように笑った。


「…よく、言われます」


ほのかが我に返って、慌てて手を振る。


「あ、いや、ごめん! 別に悪い意味じゃなくて!」


ミコトは小さく頷く。

しずくは、なんだか胸がきゅっとした。


見た目だけで、勝手に守られる側みたいに思っていた。

でもこの子も自分たちと同じ16歳で、探索者としてダンジョンに入ってきたのだ。


その現実が、妙に重かった。


ほのかがすぐに話を戻す。


「ミコトちゃん、動ける?」


「…少しなら」


「魔力は?」


ミコトは少し考えてから答えた。


「…七割くらい」


「よし」


ほのかは頷く。


「じゃあ、ここで休ませるか、一緒に連れて戻るか、男二人の方を追うか」


そこまで言って、しずくを見る。

しずくも、自然と奥の暗闇を見た。


宝箱、男二人。

囮にされたミコト。


胸の奥に、嫌なものが溜まっていく。


ほのかが、奥の暗闇を見ながら呟く


「正直、放っとくとろくなことにならない気がする」


しずくは、ゆっくり頷いた。

ミコトが不安そうに二人を見上げる。


「…あの」


小さな声。


「行くんですか」


ほのかは、にっと笑った。


いつもの太陽みたいな笑顔じゃない。

ちょっとだけ怖い笑顔。


「ちょっと、お話ししに行こうかなと」


しずくは銀盾を持ち直した。

湿った洞窟の奥から、かすかに金属の擦れる音が聞こえている。


まだ間に合う。

でも、もう長くはない。

ミコトを囮にして宝箱を漁るような連中なら、何をするか分からない。


しずくは、前髪の奥で視線を上げた。


「…ミコトちゃん」


「は、はい」


「…ここ、危ないから…わたしたちの後ろにいて」


ミコトは、少し驚いた顔をして、それから小さく頷いた。


ほのかが機弩を構える。

双剣の柄にも指をかける。


「じゃ」


広場の奥、寝ぐらのさらに奥へ続く通路を睨む。


「ゴブリン退治の続き…じゃなくて」


少しだけ肩を鳴らす。


「まずは、悪い大人退治からいこっか」


しずくは、小さく息を吸った。

二層の湿った空気が、肺に入る。

怖いが、引き返す気はなかった。



三人は、暗い通路の奥へと向かった。

寝ぐらの奥へ進むにつれて、空気がさらに悪くなった。


湿った土と獣臭に混じって、古い血の匂いが濃くなる。

天井は低く、ところどころに黒ずんだ煤が張りついている。

踏み固められた地面には、小さな足跡がいくつも重なっていた。


「…声」


しずくが小さく呟く。

たしかに聞こえる。

くぐもった、人の声。


怒鳴るでもなく、泣き叫ぶでもなく。

痛みと焦りを押し殺したような声だ。


音は、脇道のほうからしていた。


ほのかが足を止める。

気配察知を走らせているのだろう、視線が少しだけ泳いですぐに細くなる。


「反応はある、でも…」


珍しく、ほのかの声に迷いが混じる。


「ここ、ゴブリンの寝ぐらだからさ、反応が多すぎる」


たしかに、空気そのものがざわついていた。


壁の向こう、さらに奥、もっと深い場所にまで、小さな気配がいくつもある。

それが全部ゴブリンなのか、それとも別の何かなのか、いまの段階では判別しづらい。


「…精度、あんまりよくない」


しずくも頷く。


ミコトはその後ろで、ローブの裾をぎゅっと握っていた。

顔色はまだ少し悪い。

けれど、足は止まっていない。


三人は息を潜めたまま、脇道へ身体を滑らせた。


通路はさらに狭くなる。

横向きになればなんとか二人すれ違える程度。

岩肌は湿っていて、肩が触れると冷たい。


声が近づく。


「くそっ、外れねぇ!」

「だから言ったろ、変な箱に手ぇ出すなって…」


男の声。

さっき聞いた話の、二人組だと思う。


ほのかが前を指で示す。

脇道の奥に、小さな小部屋みたいな空間がある。

本来は物置か、寝床か。

そんな感じの、天井の低い行き止まりだ。


しずくとほのかは壁沿いに身を寄せ、そっと覗き込んだ。


そこにいたのは…男二人。


地面に伏せるように倒れている。

というより、倒れざるを得ない状況だった。


片方は片膝をついたまま、歯を食いしばっている。

もう片方は尻餅をついた格好で、顔を引きつらせていた。


二人とも足元に、金属の罠が食い込んでいる。


トラバサミ。

獣用の大型罠みたいな鋼鉄の顎が、脛のあたりをがっちり噛んでいた。


「…罠」


ミコトが息を呑む。

ゴブリンの罠か、それとも元々あったものか。

どちらにせよ、二人はまんまと嵌められたらしい。


そしてその目の前、四匹のゴブリン。


普通の棍棒持ちとは、少し雰囲気が違う。

一匹は短い槍。

一匹は石斧。

残る二匹は、刃物みたいなものを持っている。


どいつも、すぐには襲いかかっていない。

少し距離を取って立ち、ニヤニヤしていた。


口の端を吊り上げ、汚い笑い声を漏らしながら。

この間抜け二人を、どう料理しようか品定めしている顔だった。


「ギヒッ」

「ギャッ、ギャッ」


人語ではない。

でも、十分すぎるほど悪意が伝わる。


片膝をついた男が、震える手で短剣を構えている。

けれど腕がぶれていて、まともに戦える状態じゃない。


もう一人は、腰のポーチを探りながら何かを取り出そうとしていた。

でも焦っているせいで、指がまるで言うことを聞いていない。


しずくは眉を寄せた。


さっきまで、嫌なやつらだと思っていた。

それは変わらない。

目の前の二人は、今は明らかに追い詰められている側だった。


ほのかが、ほんの少しだけ首を傾ける。

視線はゴブリン。

でも声は、後ろのミコトに向けられていた。


「で」


小さな、小さな声。


「助ける?」


ミコトがびくっと肩を揺らす。

しずくは、その横顔を見た。


囮にされた子。

見捨てられた子。

その子が、今から見捨てた二人をどうするか。


その答えを、ほのかはちゃんと本人に委ねた。

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