第102話 礼拝堂への道
ミコトが、巨大ザリガニの動きを見ながら叫んだ。
「転ばせましょう!」
「転ばせる?」
ほのかが思わず聞き返す。
「真正面からひっくり返すのは無理です。でも、支点を作ればいけるかもしれません!」
ミコトは杖を握ったまま、庭園の一角を指した。
白い花畑の少し奥。
そこに、大きな木が立っていた。
幹は太く、根が石畳を押し上げるように広がっている。
星明かりを受けたその姿は、夜の庭園に落ちた黒い影のようだった。
「しずくさん、あの木を背にしてください!」
「…木?」
「はい。あの鋏で挟む攻撃を、木へ誘導します」
しずくは、一瞬だけ意味を掴みきれなかった。
だが、ミコトは早口で続ける。
「鋏が木に噛めば、そこが支点になります。そこを固定した状態で、反対側の脚と胴体を攻めれば、暴れた時に力が逃げません」
ほのかが目を見開いた。
「つまり、鋏を木に引っ掛けて、そこを軸に転ばせるってこと?」
「はい」
ミコトの声に力が入る。
「普通に押しても無理です。ですが、あの巨体ならバランスが崩れた時の負荷も大きいはずです。片側の鋏を固定できれば、転倒まで持っていける可能性があります」
「なるほど、梃子!」
ほのかがすぐに機弩を構え直した。
「ミコト、頭いい!」
「褒めるのはあとでお願いします!」
「了解!」
巨大ザリガニが、再び鋏を鳴らした。
傷ついた右脚を引きずりながら、それでも礼拝堂の前から退かない。
まるで門番として、ここを守ることだけを命じられているようだった。
しずくは大木を見でから、巨大ザリガニを見る。
あの鋏の攻撃を、木に誘導する。
「…わかった」
しずくは短く答えた。
「しずく、ほんと無理しすぎないでよ!」
ほのかの声が飛ぶ。
「…うん」
そう返しながら、しずくは走った。
真正面からではなく、斜めに。
ザリガニの視界に入りつつ、大木の方へ誘導するように。
巨大ザリガニの複眼が、ぎょろりとしずくを追う。
やはり、目の前で一番動くものへ反応するらしい。
しずくは大木の前へ立った。
背中のすぐ後ろに、太い幹の気配がある。
逃げ場は狭い、失敗すれば鋏に挟まれる。
背筋に冷たいものが走る。
それでも、しずくは銀盾を前に出し大鋏剣を低く構えた。
「…こっち」
巨大ザリガニが、脚を動かして向きを変える。
傷ついた右側が少し沈んでいる。
だが、まだ十分に動ける。
その巨体が、予想よりずっと機敏に迫ってくる。
体長十メートルもある甲殻類、普通なら自重で潰れてもおかしくない。
それなのに、節くれだった脚は石畳を掴み、巨体を滑らせるように前へ進む。
その異様さが、近づくほどはっきり分かった。
生き物として、どこかおかしい。
左の巨大な鋏が、大きく開いた。
「来ます!」
ミコトの声と同時に、鋏がしずくへ向かって突き出された。
ただ振るのではない、挟む攻撃。
太い鋏が左右から閉じようとする。
それを、しずくはぎりぎりまで引きつけた。
あと一歩、もう一歩。
「しずく!」
ほのかの声を合図に、しずくは横へ滑った。
強靭な体幹で、足場の悪い根元を踏みしめる。
銀盾で鋏の内側を軽く叩き、軌道をほんの少しだけずらす。
巨大な鋏が、しずくを捕えきれずに大木の幹を挟んだ。
大きな音が響き、幹の表面が砕け樹皮が飛び散る。
白い花びらまで衝撃で舞い上がる。
しかし、大木は折れず鋏が深々と食い込んだ。
「かかった!」
ほのかが叫ぶ。
『木に挟ませた!』
『ミコトちゃん天才か?』
『支点作った!』
『ザリガニ攻略ガチすぎる』
『しずく誘導うまい!』
『いや今の挟まれてたら終わってたぞ』
『見てるこっちが怖い』
巨大ザリガニが鋏を引き抜こうとする。
だが、鋏は幹に噛み込んでいた。
木の太さと鋏の角度が悪く、すぐには抜けない。
大木が、ぎしりと悲鳴を上げる。
「今です!」
ミコトが杖を振る。
【クァグマイア】
ザリガニの足元、特に傷ついた右側が泥に変わった。
湿った地面がさらに沈み込む。
脚が取られ、踏ん張りが鈍る。
「神宮さん、右側を!」
「任せて!」
ほのかが軽業で横へ走る。
狙うのは、傷ついた右脚と胴体の境目。
そのまま機弩を構え、弾丸が関節へ叩き込まれる。
甲殻には弾かれるが、節の柔らかい部分には通る。
巨大ザリガニが大きく身をよじった。
その動きで、固定された鋏がぎしりと軋む。
大木がさらに揺れ、樹皮がぼろぼろと剥がれ落ちた。
「効いてる!」
ほのかが声を弾ませる。
しずくは、大木の横を抜けてザリガニの右側へ回った。
大鋏剣を両手で開く。
狙うのは、さっき半ば裂いた右前脚。
「…もう一回」
大鋏剣が硬い殻の隙間に刃が入る。
今度は、さっきより深い。
しずくは全身の力を込めた。
アタッカー型の筋力補正が乗り、大鋏剣の刃が節を噛み切るように沈む。
嫌な音とともに右前脚が大きく裂け、巨大ザリガニの巨体がさらに傾く。
「まだです!反対側へ体重が逃げています!」
ミコトが叫ぶ。
「神宮さん、胴体側を押し込めますか!しずくさんは脚を!」
「了解!」
ほのかは腰のホルダーから、双剣を抜いた。
【ダンシングソード】
踊り子の双剣が宙へ舞い、ザリガニの胴体側面へ風の刃を叩きつける。
硬い甲殻には深く入らないが、衝撃はある。
それも、片側へ押し込むような角度で。
ほのか自身も機弩を構え、関節部分へ速射を叩きこむ。
巨大ザリガニが、さらに大きく暴れだした。
固定された鋏を引き抜こうとして、身体をひねる。
しかし、そのひねりが逆に支点を作ってしまう。
鋏は大木に固定。
右脚は泥に沈み、傷ついて踏ん張れない。
胴体には双剣と弾丸の雨が降り、しずくの大鋏剣が脚をさらに削る。
ミコトが目を見開いた。
「倒れます!」
巨大ザリガニの身体が、大きく傾いた。
ぎちぎち、と鋏が悲鳴のように鳴る。
大木の幹が裂けるが、鋏は抜けない。
巨体が支点を軸にして横へ転がり、庭園全体が揺れるような音が響いた。
巨大ザリガニが横倒しになり、腹部が見える。
灰色の甲殻とは違う、白っぽく柔らかそうな腹。
節が重なっているが、明らかに背中や鋏より防御が薄い。
「お腹!」
ほのかが叫ぶと、ミコトもすぐに杖を構える。
【ホーリーバインド】
聖なる紐が暴れる脚に絡みつく。
完全には止められないが、今必要なのは数秒だ。
「しずくさん!」
「…うん!」
しずくは横倒しになったザリガニへ距離を詰める。
大鋏剣を両手で構える。
今度は挟むのではなく、剣として。
魔力を乗せて、柔らかい腹部へ全力で叩き込む。
刃が入った。
甲殻を相手にした時とは、まるで違う手応えだった。
肉を裂き、奥へ沈む。
巨大ザリガニが、声にならないような音を立てて暴れる。
ほのかの機弩が、さらに腹部へ集中する。
踊り子の双剣が、露出した柔らかい部分を刻む。
ミコトの光輪が、腹を往復して切り裂く。
「いける!」
ほのかの声が弾む。
視聴者コメントも沸騰していた。
『転ばせたあああ!』
『腹出た!』
『総攻撃!』
『三人の連携えぐい』
『ザリガニ攻略完璧すぎる』
『ミコト作戦勝ち!』
『しずくの大鋏剣が完全に正解武器』
『ほのかの押し込みも効いてる!』
巨大ザリガニは、なおも暴れた。
鋏が大木を砕き、脚が地面を掻く。
泥と水と花びらが飛び散る。
だが、もう門番として立ちはだかる姿勢は取れない。
しずくは腹部に刺さった大鋏剣を引き抜き、もう一度構えた。
「これで…」
しずくが、大鋏剣を大きく開く。
狙うのは腹部の節。
柔らかい部分を挟み込み、全力で閉じる。
重く鈍い音がして、巨大ザリガニの身体が大きく震えた。
最後に鋏が小さく鳴る。
それは威嚇ではなく、力を失っていく音だった。
灰色の甲殻に覆われた巨体が、ゆっくりと崩れていく。
池から這い出てきた門番は、星明かりの庭園の中で光の粒子へ変わり始めた。
ほのかが、大きく息を吐く。
「…初手から、きつすぎない?」
ミコトも肩で息をしながら頷いた。
「けど、倒せました」
しずくは大鋏剣を下ろし、礼拝堂を見た。
巨大ザリガニが消えたことで、正面の道が開いている。
その奥に、荘厳な礼拝堂の扉が静かに待っていた。
まるで、今の戦いは入口の試験だったとでも言うように。
しずくは小さく呟いた。
「…ここからが、三層」
星明かりの下、白い花びらが静かに舞っていた。
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