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 まだ暗い寝室の中で眼を覚ました。独りきりで寝ていたダブルベッドの上に身を起こし、僕は、ああまたあの人の夢を見たな、と思った。その夢はいつも通り、普通の夢とは違って眼が覚めた後もくっきり頭の中に残っている。


 寝ぼけ眼のままリビングに行くと、リビングの隅っこ、ソファのそばに布団を敷いて、妻の菜奈が眠っていた。菜奈を起こさないように静かにキッチンへ行き、野菜ジュースとハムエッグを作る。ハムエッグが焼けるちょっとした時間を縫って、玄関へ日経新聞を取りに行き、朝食が出来るとリビングのテーブルに座って、新聞を社説から読み流しながら朝食をとった。


 いつものように菜奈はまるで起きようとしない。食事をしている僕の目の前で、すうすう鼻息をたてて眠っている。いい気なものだ、とそれを見ながら僕は少しいらだった。


 歯磨きとヘアセットをしてスーツに着替え、コートを羽織って六時半過ぎにマンションを出た。世田谷の住宅街の早朝はひどく寒く、静かだった。住宅街を南へ歩き、途中甲州街道を横切って、その先の商店街を通って最寄り駅へたどり着く。ホームで待つとすぐ京王線の車両がやってきた。まだ空いている、しかしながら座れるほどではない車内で、東から昇ってくる朝陽に照らされながら、つり革に掴まって新聞の続きを読む。


 終点の新宿で電車を降りた。会社は西新宿のオフィス街にある。新宿駅西口の巨大なロータリーから出ている動く歩道に乗り、少しでも早く着くよう、その上を早足で歩きながら、会社に向かう。


 いつも通り、七時半、出社。社内にはまだ数人しかいない。僕は自分のデスクに座るとノートパソコンを出して、明日、顧客へのプレゼンで使う、後輩が作った提案書の確認を始めた。


 ・・・四年前に結婚した妻との仲が冷め切っていることと、同期の社員より少し早く昇進したこと、それから、早くして母を亡くしたこと、この三つをのぞけば、平凡そのものの人生だった。


二流私立大学を平凡に卒業して、リーマンショックにぶつかって少し就活に苦労しながらも平凡に就職して、合コンで知り合った女性、菜奈と平凡に結婚して、人並みに苦楽を味わいながら平凡に暮らしてきた。


そんな僕の人生に不思議なことが起き始めたのは、今年の夏の終わりごろのことだった。そのころから僕は、現実には会ったことが無く、テレビでもネットでも見たことの無い女性とデートする夢を、たびたび見るようになったのである。


夢の中で彼女と会うたび、僕はいろいろなところへデートをした。東京タワー、六本木、ディズニーランド、谷根千の夕焼けだんだんと谷中銀座、三鷹の森ジブリ美術館、浅草、上野、サンシャインシティ、新宿御苑、少し足を伸ばして高尾山、川越、日光・・・。夢は、大抵二人が新宿駅で待ち合わせするところから始まって、これらのデートスポットへ行って、普通にデートをする、というものだった。僕たちは男女の関係を持つわけでも、キスをするわけでも、手さえ繋ぐわけでもなく、ただ一緒に歩き、食事をし、美術館や動物園や水族館などを観覧し、そうして一通りその日のデートコースを回り終えてしまうと、夢が終わって眼が覚めるのだった。


そうやって彼女の夢を見続けるうち、僕は、あることに気づいた。そのあることと言うのは、彼女とデートする夢を見るのが、毎週火曜日の夜(つまり水曜日の未明)だということだった。それに気がついたのは確か秋の中ごろで、気づいた後も、僕はやはり、毎週火曜日の夜にだけ、決まって彼女の夢を見続けたのだった。


秋が深まり、冬がやって来るに連れて、僕はこの夢の中で会う女にどんどん魅かれていった。彼女といる時、僕はそれまで付き合ってきた他の女性との間では決して無かった、気の遣わなさを感じられるのだった。


彼女は基本的に無口で、僕も元々あまりしゃべる方では無かったから、僕たちの間には沈黙がはびこりがちだった。しかしそこには気まずさは介在せず、好きな時に、好きなことをしゃべればいいのだという居心地の良さがあった。気遣いとか、気まずさとか、そんな面倒なものを全て捨ててしまって、お互い相手の心に寄りかかって身を任せ、それで幸福を感じられるような――一言で言えば「しっくりくる」感じ、それが彼女相手だとあるのだった。


さっき言った通り、僕は妻の菜奈とはすっかり冷め切ってしまっていたから、それも夢の女に魅かれた理由のひとつだったかも知れない。菜奈との間には子供ができなかった。結婚前から何よりも子供を欲しがっていた僕と菜奈にそれはずいぶんこたえて、自然と夫婦仲は悪くなり、菜奈が僕のいびきを嫌がって別々の部屋で眠るようになって、いわゆる夜の営みも、いつの間にか無くなってしまった。


今では僕が夜に帰って来ると、菜奈は大抵先に食事をすませてリビングのソファでテレビを観ていて、僕は冷めた料理を自分でレンジで温めて、発泡酒と共に一人寂しく食べ、平日に夫婦として顔を合わせるのはその時くらいで、後は風呂に入って別々の布団で寝るのだから、そんな寂しい夫婦仲も、夢の女との仲とどうしても比べてしまうのだった。


平凡で、さえない僕の日々の生活の中で、夢の女と会えるこの不思議な火曜日の夜だけが、だんだん唯一の楽しみになっていった。僕は毎週の彼女とのデートの内容を忘れないよう、水曜の朝眼を覚ましてから、何度も夢をリフレインさせて過ごした。だから今日も僕は、人気の無い静かなオフィスで、パソコンで提案書を確認しながら、時々手を止めて、さっきまで過ごした彼女とのデートを思い出すのだった。


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